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政策オピニオン

イスラエル・パレスチナ紛争と宗教間の理解・協力の必要性


Universal Peace Federation イスラエル事務総長 ホッド・ベンズビ

2014.04.11

イスラエル・パレスチナ紛争は単なる宗教・領土紛争ではない

 私は学者ではないが、長年、イスラエルで平和運動に携わってきた立場から、イスラエル・パレスチナ問題と、その解決策について私見を述べ、私自身が実践してきた取り組みについて紹介したい。

 最初に強調したいのは、イスラエルとパレスチナの紛争が単なる領土紛争ではなく、ましてや本来の意味での宗教紛争ではないということだ。これを宗教紛争だと言いたがる人々の頭の中には、「イスラエルvsパレスチナ」、「ユダヤ教vsイスラム」という対立構造が、何世代にもわたって続いてきたかのような先入観がある。しかし実際にはスペイン王国のように、ユダヤ教、キリスト教、イスラムが平和的に共存した時代もある。宗教、特に一神教が常に葛藤して紛争の種になっているという見方は正しくない。

 例えば、よく宗教的葛藤の象徴にされる、旧エルサレム市街にある「神殿の丘」について触れてみたい。ユダヤ教のラビやイスラムのイマームも証言したことがあるが、神殿の丘にある「岩のドーム」や「アル・アクサモスク」でムスリムが礼拝をしたり、ユダヤ教徒が「西の壁(嘆きの壁)」で祈りを捧げているからといって、それぞれの宗教にとって何ら問題があるわけではない。

 また土地をめぐる紛争だと言われるが、これも20年以上前に、ヨルダン川の東・西岸を如何に分割して利用するかという基本的な部分では、合意が成立している(オスロ合意)。それ以前の段階でも、基本的な土地交渉は終わっているようなものだった。では何が問題なのだろうか。

人工的に作られた中東の国々

 イスラエル・パレスチナ紛争は、広義の文化的葛藤を反映したものだと思われる。つまりパレスチナ・アラブ側では部族を単位とした伝統的な社会形態があるのに対して、イスラエルはヨーロッパで発展した「民族国家(Nation State)」の理念によって建国されたことに由来する葛藤だ。

 ヨーロッパで民族国家が成立するまでには、部族や諸侯が入り乱れ数百年にもわたって葛藤したプロセスがあった。その混乱と葛藤のエネルギーが、60年~70年という短期間に一気に噴き出しているのが中東の現状ではないだろうか。しかも欧州では、もともとそこに住んでいた人々の手で民族国家が作られたが、中東の近代国家の成立は外部の圧力による人工的なものだった。その証拠が、直線的な国境線の多さである。宗主国の都合のみで、住民の部族や宗教事情、山や川などの地形さえ考慮せずに引かれた国境線であり、それが住民たちに様々な不都合、軋轢を生じさせる原因となった。

 そのような人工的国家が植民地から独立した後に、どのようにまとまっていくか。手っ取り早いのは独裁政権だ。かつてのイラクが典型的だ。しかし支配者のサダム・フセイン大統領が米国などの軍事攻勢で倒された後、それまで抑えられていたクルド族や、イスラム・シーア派と同スンニ派など各勢力が対立し紛争を起こし、今も混乱が続いている。旧ユーゴスラビアも異なる人種、民族、宗教が人為的に統合されていたが、冷戦が終了して独裁の重しがとれた時、血で血を洗う抗争が繰り広げられ、いくつかの共和国に分裂して行った。

 西側の先進国は善意で民主化を促進するのかもしれないが、「自由」「民主主義」などの近代の理念を地元の伝統や民族感情などを無視して押し付けたため、疎外感が強まり、不自然な統治に起因する多くの紛争を生み出す結果になってしまった。

テロの動機は「抑圧された怨みの感情」 

 私は「イスラミック・テロリズム」という表現が嫌いだ。イスラムという宗教がテロを生み出しているわけではないからだ。テロを起こす動機は「抑圧された怨みの感情」であって、イスラムとテロリズムを結び付けて語るのは不当である。

 アラブ諸国の人々が「自由」や「民主主義」を求めていないわけではない。実際、多くの若者が高等教育を受けるために欧米の国々に留学している。ただし真に民主的な社会が建設されるには、国民自身が動機となって内発的に作り上げられない限り、安定したものにはならない。

 アラブの人たちは、「私たちも民主主義を求めるが、それは欧米型の民主主義ではない」と主張する。彼らの多くは、ハリウッド映画に象徴されるような「退廃的」な文化に嫌悪を感じており、そのような欧米が中東の伝統的社会に教えを垂れるような態度を取ることに反発している。善良なムスリムたちは、自分たちの子弟が「不道徳」な西洋文化の影響を受け続けていることに反感を持っているのだ。

 そのような意味で、中東紛争を「イスラエルvsパレスチナ」という構図だけで捉えることは、より深い構造的問題を見えなくしてしまう。すなわち、先進大国が国境を押し付けて人工的国家をつくり、不道徳な文化の圧力をかけ続けてきたことが問題とされている。その責任を曖昧にして、まるで中東の人々にのみ責任があるかのように振る舞っていることは理不尽だと言うわけだ。

 そういう文明史的な対立構造に加え、地政学上の問題もある。石油・ガスといった天然資源や、戦略的要衝の確保など、世界の主要国家が中東地域に大きな関心を寄せ、競って自分たちのプレゼンスを高めようとしている。例えて言うならば、「中東」というスープを皆が寄ってたかって、それぞれの思惑でかき混ぜているようなものである。

隠されてきたスンニ・シーア派の対立と支配層の腐敗

 「イスラエルvsパレスチナ」という構図は、結果として二つの大きな問題を覆い隠してきた。一つは、最近のシリア内戦やイラクの政情で浮き彫りにされたことだが、イスラムの二つの宗派、すなわちスンニ派とシーア派の対立構造だ。従来は、「共通の敵」であるイスラエルの存在によってその対立構造が見えにくく、周囲の関心が逸らされてきた。もう一つは、中東の支配層の腐敗や汚職だ。アラブ産油国の支配者・エリート層が途方もない富を寡占しているが、この明らかな不公平や不正が、イスラエル敵視政策の陰に隠されてきたと言えよう。

 もっともイスラエル自体も大きなことは言えない。イスラエルの場合は、治安や安全保障という大義名分を掲げて、不適切な施策が行われることがある。つまり「イスラエル生存のため」と言われれば、誰も不平を言えない現状がある。アラブとの敵対構造がなくなれば、あらゆる悪事が白日に晒されるだろう。「もし私たちに敵がいなくなったら、どうしよう?」というブラックユーモアがあるほどだ。

 「アラブの春」という、民主化や社会改革を求める現象がチュニジアから始まり、エジプトなどで展開されてきた。独裁や不平等を押し付けられてきたことへの反発だ。これらの国の国家体制は近代に人工的に作られたものであり、現地の人々の自然な社会的成長による政治システムではない。しかし国自体の社会的成長なしには、外交的手段による平和も恒久的なものとならないだろう。国際会議で枠組みを作るだけでは平和は来ない。中東社会が透明性を高め、社会統治の善きシステムが作られる必要がある。

 一例を挙げれば、中東社会には女性への途方もない差別・抑圧の文化が残っている。しかし女性、すなわち母となる人が抑圧され、差別され、軽蔑される社会で、子供が正しく育つだろうか?母親が尊重され、自由な心を持っていてこそ子供が健全に育つのであって、中東にそのような文化が作られない限り、平和や安定した社会は望むべくもない。

対話による合意形成のプロセス

 私はそうした問題意識から、1年半前に「平和と安全保障に関するエルサレムフォーラム(Jerusalem Peace and Security Forum)」を立ち上げ、今まで会合を重ねてきた。理想を意味する「平和」と、軍事的抑止力を伴う「安全保障」を一緒にすることは不適切だとの見方もあるが、イスラエルではこの二つを同時に語るべき状況がある。「安全が保障されなければ平和はない!」という、国家と国民の生存をかけた状況があるからだ。

 毎回、特定のテーマで、元将軍や情報機関責任者、外交官など、ハイレベルの参加者が自由に討論する場を提供してきた。誰かが解決策を語るという形式ではなく、対話から生まれてくる気づきや悟りを通じて合意を形成していくプロセスが大切だと考えている。良い結果も生まれつつあり、このような取り組みによってこそ民主的社会が成熟していくのだと期待している。

 こうしたフォーラムでの討論を重ねながら理解できたことの一つは、軍事分野や情報分野で働いた経験のある人々ほど、ある意味では軍事的手段の限界をよく理解しているということだった。平和や安全保障を目指す上で、軍事力以外の力が重要だという彼らの意見は貴重である。

敵国イスラエルで医療を受けるシリア難民

 2013年9月にエルサレムで「シリア危機と近隣地域へのインパクト:平和と安定を達成する方策について」と題するシンポジウムを開催した。その前にヨルダンでも同様の会議が開かれたが、イスラエル国民は参加できなかったため、改めてイスラエルで開催したものだ。会議ではシリア避難民らへの医療支援、食糧支援など人道援助の可能性も協議された。その中で報告されたエピソードを紹介したい。

 現在シリアでは化学兵器使用のみならず、想像を絶する非人道的な行為が横行しているが、その一つが医療関係者に対する攻撃だ。それは外国から来た医療奉仕団にも向けられていて、敢えて医療関係者のいる施設を攻撃し、相手に損害を与える作戦まで行われている。その結果、ある街では五千人近くもいた医療関係者が25人に減ってしまったという。

 そのような状況で、シリア人の医師が患者にイスラエルでの治療を勧めるケースも増えてきた。しかしイスラエルとシリアは交戦状態にある敵国同士なので、シリア人の患者がイスラエルで治療を受けることは完全に秘密でなければならない。そうしたリスクを背負いながらも、多くの医師がシリア人の患者を受け入れ治療している。

 もちろんシリアの状況は深刻で悲劇的なものだが、そうした中で人々の善なる本性が目覚め、「敵をも愛する」実践が行われているわけだ。ただ残念なのは、このような人道的援助を率先して行っているのは医療従事者であり、宗教者が関わっていないことだ。大きな影響力を持つ宗教指導者が真に「敵を愛する」精神を発揮できるようになれば、どれだけ平和が近づくだろうか。

宗教間の理解と協力こそ今もっとも必要だ

 2013年で10年目を迎えたUPFの平和プロジェクト「中東平和イニシアチブ(Middle East Peace Initiative、MEPI)は、まさにその課題に焦点を当てている。対立関係に置かれてしまったユダヤ教、キリスト教、イスラムの宗教指導者が対話し、共に平和を祈り、エルサレムの市街を行進するというプロジェクトだ。

 最近行われたMEPIの国際会議の際に、会議関係者らと共にイスラエルの政治家と会見する機会があった。その議員も「宗教間の理解と協力を促すことが今一番必要なことなのに、一番取り組みが遅れている分野だ」と語り、MEPIをはじめとするUPFの活動を高く評価してくれた。

 MEPIのテーマこそ「宗教間の理解と協力による平和の促進」だ。それは単に、「異なる宗教が相手を理解し尊重する」だけでなく、平和構築のために宗教者同士が積極的に協力しあうことだ。「お互いの宗教のために何かできることはないのか?」、「家族のような社会や世界を築くために、宗教者同士が協力してできることは何か?」そうした課題を話し合い、積極的な超宗教活動を目指している。

 イスラエルの諸宗教の指導者や宗教行政の関係者にもこのような考え方が浸透しつつある。UPFの国際会議に参加して啓発された宗教行政の高官が、イスラエルのすべての宗教の指導者を集めた会議を毎年開催するようになった。すでに5回実施され、信仰の自由や宗教間の葛藤について、率直に話し合っている。その成果として、異なる宗教間のもめ事が起きた際に派遣される超宗派の緊急対応チームがつくられた。宗教者同士が協力して平和を作り上げる一つの取り組みとして貴重である。

青年層に蔓延する絶望感と敵対感情

 最後に、最も深刻に感じていることに触れたい。それは青年たちの問題だ。イスラエルやパレスチナに限らず、相互不信や敵対感情が強くなりやすいのが実は若者たちだ。年配の人々は争いの現実に直面しても、かつての平穏で安定した時代を経験しているため、状況が変わることを期待できる。しかし中東紛争の渦中に生まれ育った青年たちは常に緊張状態の中で育ち、そのような状況しか知らないため、未来の変化に希望や期待を持つことが難しい。

 多くの外交的な努力がなされていても、彼らは頭の中で「この悪循環は終わらない」「結局は力でしか解決できない」と諦め、極端に過激かつ単純な方向へと走りやすい。例えば「自爆テロ」という現象を考えてみてほしい。本来若者は未来に希望を持ち、生きることの喜びや楽しみを求めているはずだ。死ぬことが分かっている自爆テロに、なぜその身を投じるのだろうか。それは宗教理念やイデオロギーが原因というより、若者たちが抱えるもっと深い絶望感、苦しみの反映だと私は考えている。

 そのような若者たちが将来リーダーになった時、一体、中東はどうなってしまうだろうか。青年たちの意識を変えることは非常に難しく、最も深刻な課題だと考えている。

 ささやかな取り組みではあるが、破壊されたモスクなどの宗教施設に諸宗教の若者を集め、共同で修復作業をするプロジェクトを継続している。これはUPFのプログラムである「宗教青年奉仕団(Religious Youth Service、RYS)」の一環だが、青年たちに相互理解、信頼、また協調し合うことの喜びや素晴らしさを少しでも啓発したいとの願いから行われている。

成長、反省、自己変革のための宗教者の役割

 平和構築のために宗教および宗教者が果たす役割は重要だ。政治家は紛争状態の中で概して相手側、もしくは自分たち以外の誰かに責任を押し付けようとする傾向がある。イスラエルもパレスチナも共に、「自分たちは相手の行動のせいでこうせざるを得ないのだ」という理屈を振りかざし、自分たち自身の問題を隠し、自己変革の努力を怠り、責任を転嫁する傾向がある。それが政治というものの限界だろう。

 実際にはイスラエル、アラブ世界の双方とも、家族や社会のあり方に多くの矛盾を抱えており、それこそが紛争の構造的な要因にもなっている。しかし多くの政治家は国民の関心をそれらの課題から逸らすために、「安全保障」という大義名分を掲げ、敵対勢力への非難の応酬に明け暮れている。

 本当の問題は、人間自身の成長、反省、自己変革にあり、そのための教育こそが不可欠である。そのために宗教者の役割が重要である。彼らが率先して宗教・宗派間の葛藤を克服し、より良い社会と国家を築くために協力していかなければならない。

(2014年3月1日に行われた「平和政策研究所オープンフォーラム」における講演を要約して掲載)

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