国造りと国際社会の関与

国造りと国際社会の関与

2013年2月24日

 平和、安全、開発の問題は国造りの基本に他ならないが、一国の国造りに、国際社会はどのように関与すべきか。一国の国造りの努力に対して、どのような関与が適切で、効果的なのか。
 国家体制の根幹となる政治制度については、その国の置かれた状況に照らして最適の選択をする上で、当事国自身が一義的な責任を持ち、自ら推進するのが最善と考えられる。一国の国家体制は、その国の歴史、伝統、文化、国民性に即応して構築されなければならず、こうした事情に疎い外国がこの問題に介入するのは、有難迷惑の余計なお節介にしかならない。この点については、国際社会は当事国の努力を見守り、開発援助(ODA)、貿易、投資、技術移転、観光、学術文化交流などでこれを側面的に支援するのが好ましいあり方である。
 アジアにおいて、近年急激な変貌を遂げて、世界の注目を集めている国はミャンマーである。この国では①公正に選出された議員による連邦議会が機能し、②言論の自由、労働組合の結成、経済統制などの面で、規制の緩和・撤廃による自由化が促進され、③政治犯の釈放が行われ、④少数民族との和解も進む等、好ましい方向を目指しての著しい進展が見られている。
 このような状況の変化に応じて、欧米諸国はミャンマー政策を大きく転換しているが、ここに至る長期間、彼らはこの国に厳しい制裁を科し、締め付け一本槍のミャンマー・バッシングを続けてきた。その言い分は「軍事政府が政権にしがみついて、民主化を怠っている」という点にあった。とりわけ「1990年の選挙結果を無視して、政権移譲を行わないのは怪しからん」という訳だ。
 この間における日本の政策も、制裁こそ実施しなかったが、政府開発援助(ODA)を極端に制限する等、欧米諸国と協調し、基本的には彼らの政策と平仄を合わせてきた。
 欧米諸国は「冷戦に勝利したことは、民主主義、自由、平等、人権尊重、市場経済といった自分たちの基本理念こそ<正義>であり<善>であることが証明されたのだ」との確信を抱くようになった。そして彼らは、この基本理念はアジアでもアフリカでも遍く妥当すべきものと考え、これに背馳している怪しからん国には非難の矛先を向けるようになり、ことにアメリカは、場合によって軍事介入をしてでもこれを押し付けるという態度をとるようになった。
 ミャンマー・バッシングはまさにこうした風潮の中で続けられてきたのである。
 民主主義はそれが理想的な形で機能すれば、好ましい政治制度と言える。しかしこれが機能するには、所要の前提条件が満たされていなければならない。国家の統一と安定が確保され、国民の生命・財産が保障されていることがなによりも大切である。内戦によって国の安定が損なわれ、統一が危殆に瀕し、国民の安全が保たれない状態では民主制度は機能できない。統一と安定が確保された上で、最低限国民が餓死しない程度の経済の営みも必要となる。こうした状況が満たされ、ある程度国民の教育水準が向上し、政治意識が高まっていることも重要だ。
 このような前提条件が欠落したまま、ただ闇雲に形だけ民主的政治制度を採用してみたところで、政治家は利権に狂奔して政争に明け暮れ、選挙民は金や暴力や社会的因習に禍されて行動することになってしまう。
 ミャンマー・バッシングの大きな理由は、1990年の選挙で、アウン・サン・スー・チー女史の国民民主連盟(National League for Democracy)が圧勝したにも拘わらず、民政移管をしなかったという点にあった。しかしこの時点で、ミャンマーでは18の少数民族武装勢力が反政府闘争を繰り広げていたのである。軍主導の政府でなければ、到底この内戦を収拾することはできず、もしこの時、軍が政権を手放していれば、カレンやカチンなどの少数民族が分離してこの国は四分五裂し、もはや今日のミャンマー連邦共和国は存在していなかったであろう。
 そこでミャンマーの軍事政権は、自国の統一と安定を保ちつつ、自分たちに合ったやり方で民主化を進めて行くという方針を打ち出し、国造りに取り組んできた。現に、現行憲法の下では、連邦議会の議員の四分の一は軍から出すとか、国防、内務、国境の三大臣は軍が指名するなど、軍が政治に関与する規定を設けている。これは完全な民主制度に到達する中間段階の制度であり、この段階を経て、やがて最終的な民主的政治制度を実現するというのが、この国に合ったプロセスなのである。
 しかし欧米はこうした事情を理解せず、政治面での露骨な干渉をする一方、制裁を科して締め付けを続けてきた。国際社会の望ましい関与のあり方として、私が冒頭に述べた「政治制度の構築は当事国自身の責任に委ね、援助、貿易、投資などで側面的にその努力を支援する」という対応とは、全く逆のことをしてきた。
 この意味で、欧米との協調路線をとってきた日本の政策も、到底適切な対処ぶりとは言えなかった。
 国際社会はミャンマーのケースのような個々の国の実情には、もっと理解を示すべきであり、形だけの民主主義を押し付けようとする欧米の態度は、彼らの独善と言わざるをえないし、このような欧米の政策と足並みを揃えてきた日本政府の行き方も、欧米同様に、好ましくない対処ぶりであったと言わざるをえない。

政策オピニオン
山口 洋一 元駐ミャンマー大使
著者プロフィール
1937 年佐賀県生まれ。60 年東京大学教養学部教養学科卒。外務省入省後,経済局,アジア局,調査部などに勤務し,在外ではフランス,南ベトナム,イタリア,インドネシア各大使館等を経て,81 年ユネスコ常駐代表,86 年より駐マダガスカル大使,駐トルコ大使,駐ミャンマー大使などを歴任。現在,NPO法人アジア母子福祉協会理事長。著書に『マダガスカル-アフリカに一番近いアジアの国』『トルコが見えてくる』『ミャンマーの実像』『<思いこみ>の世界史』『敗戦への三つの<思いこみ>』『腑抜けになったか日本人』『歴史物語ミャンマー・独立自尊の意気盛んな自由で平等の国』『アウン・サン・スー・チーはミャンマーを救えるか ?』(共著)他。

関連記事

  • 2019年5月22日 グローバルイシュー・平和構築

    中国の対外援助政策

  • 2018年12月26日 家庭基盤充実

    人口減少社会日本の選択 ―少子化対策から「人口政策」への転換を―

  • 2018年7月30日 グローバルイシュー・平和構築

    日本の中東政策と日本型国際協力の可能性 ―パレスチナ支援の経験を踏まえて―

  • 2015年2月20日 グローバルイシュー・平和構築

    政治と宗教のかかわり

  • 2018年3月20日 平和外交・安全保障

    政治の安定と政治エリートの育成 ―英国に学ぶ日本政治のあるべき姿―

  • 2016年6月10日 平和外交・安全保障

    メディア環境の変化と政治のファッション化 ―トランプ旋風とシールズ現象―