習近平政権の宗教政策と中国カトリック教会の処遇

習近平政権の宗教政策と中国カトリック教会の処遇

2018年5月30日

1.問題の所在

 バチカン最大の悩みの一つは、地元である西欧で、近年(カトリックを含め)「キリスト教離れ」が進行し、信徒数減少に歯止めがかからないことだ。かかる事情もあり、カトリック教会にとり、信徒数アップと言う観点からポテンシャルが高い中国とインドは、魅力的な「市場」に映る。従来のローマ法王はヨーロッパ出身者で、ヨーロッパ中心主義が強かったこともあり、アジアへの関心は総じて低めであったが、南米出身のフランシスコ現法王は、より自由な発想で世界を眺めており、中国に対しても柔軟に臨もうとしている。
 ところで、バチカン(以下、必要に応じローマ)は、1949年に建国を果たした中国共産党政権がカトリック教会弾圧に走ったのを受け、1951年に北京と断交の上、台湾と外交関係を打ち立て、今日に至っている。ただ、数十年前から台湾に派遣する使節のレベルを臨時代理大使に格下げしたことが着目される。かかるバチカンの姿勢から読み取れることは,条件さえ整えば、台湾から北京に「乗り換える」用意があるということである。その背景に、既述の通り、巨大人口を擁する中国の潜在性がある点、言うまでもない。
 とは言え、中国政府は、後述するように、宗教に対する締め付けを近年一層強めており、加えて、バチカンと北京の間には未解決の問題が幾つも存在する。それらにつき、両者間で近時進められて来た協議が、ここへ来て進展を見ているとの報道が最近目立つ。双方の狙いは奈辺にあるのか。先ずは、習近平政権の宗教政策を分析し,次いで、習政権が中国カトリック教会をどう位置づけ、どう遇することになるか、考察展望する。

2.中国の宗教統制は世界でも特に過酷――国際評価

 先ず、中国政府の宗教に対する姿勢につき、国際比較をベースに、4つの機関が提示する「評価」を紹介する。

(1)International Religious Indexes(ARDA,2003)
 世界最大規模の宗教データ・アーカイブスであるARDA(The Association of Religious Data Archives)は、196カ国につき、政府統制度ランキングを提示する。2003年のデータによれば、中国は世界で7番目に「厳しい」国(大関級)であった。因みに、最も「厳しい」国(横綱級)は、サウジアラビア、モルディブ、ミャンマーであり、また、上位30位までを見ると、中東イスラム諸国かアジアの社会主義諸国(北朝鮮14位,ベトナム23位など)が顔を揃える。
 参考まで、先進諸国では、フランス81位、日本87位、ドイツ97位、最も統制が緩い国は、ブラジル、オランダ等としている。

(2)Government Restrictions Index(GRI)(Pew Research Center,2013)
 次いで、米国のピュー研究所の政府抑圧度調査(対象198カ国)を紹介する。同調査によれば、中国は198か国中トップ(最も抑圧が厳しい国)とされている。次いで、インドネシア、ウズベキスタン、イラン、エジプト、アフガニスタンが続く。

(3)The 25 Most Populous Countries(2007-15)
 同じく、ピュー研究所が実施した25の人口大国についての調査を紹介する。同調査は、当局締め付け度(横軸)に加え、社会的対立度(縦軸)を示す座標を用意し、各国を座標にプロットした。すると、中国は、イランと共に、社会的対立度こそ高くないものの、当局による締め付け度はトップ級であった(、座標の右下に位置)。因みに、座標の右上(締め付け度、対立度ともトップ級)に来たのは、ロシア、エジプトであった。
 なお、両指標ともに最もマイルドな国(座標の左下に位置)は、日本とブラジルであった。また、米国,英国,ドイツなどは、両指標ともに日本より高い。

(4)「各国における信教の自由に関する報告書」(米国務省)
 米国務省は,毎年「各国における信教の自由に関する報告書」を発行している。同報告書では、中国は、宗教に対する締め付け度が高いことから、「特別の懸念を有する国」(CPC=a Country of Particular Concern)と認定している(1999年にCPCに認定、2016年に再認定)。
 これら4機関以外の各種調査も似たような結果を示しており、結論的に言えば、中国は、宗教に関し国家の抑圧が極めて厳しい国であるとの評価が国際的に定着している。
 では、その底流にありものは何か。そこには、我が国とは比較にならない複雑な事情があるようだ。私なりに整理すると、以下のような思想、思惑などがあることに気付く。
 ①「歴史の教訓」:宗教運動が政権を脅かした歴史(太平天国乱、義和団事変等)・・・宗教への警戒心・・
 ②「反宗教主義」:共産党政権に特有・・・「唯物論」に基づく
 ③「反西洋、反帝国主義」的心情:キリスト教への警戒心
 ④「民族主義、排外主義」:「外国の関与」への反発・・・「中国化」にこだわる
 ⑤「安全保障」:新疆ウイグル、チベットにおける宗教的民族主義を警戒
 ⑥「漢族中心主義」:新疆ウイグル、チベットの「中国化」(=非イスラム化、非仏教化)
 以上のようなこだわりがあるため、北京政府には、「国家」が宗教を管理することへの執着はことのほか強く、高位聖職者の人事まで関与する。この点は、ローマ法王から高位聖職者(司教)の人事権を取上げたナポレオン皇帝を髣髴とさせる(後述)。同じ社会主義国でも、ベトナムは、司教任命権を取上げてはおらず、ずっとマイルドだ。振り返れば、建国(1949年)当初、北京は、キリスト教会を徹底的に弾圧したが、かれらの「反宗教主義」(上記②)には、これも後述するが、カトリック教会を弾圧した仏革命政権を髣髴とさせるものがある。

3.中国の宗教事情

(1)中国の主な宗教、信徒数
 以上のような前提に立って、以下、中国国内の宗教事情を眺めてみよう。中国の宗教人口は,中国当局によれば約1億人とされているが、米国のフリーダムハウス(the Freedom House)は約3.5億人(2017年)としている。なお、中国政府は、5宗教――道教、仏教、プロテスタント、カトリック、イスラム――を公認しているが、法輪功は禁止している。
 では、3.5億人の内訳はと言えば、① 仏教(中国系):1.85~2.5億人、② プロテスタント:6000~8000万人(公認教会約3000万人,地下教会3000~5000万人)、③イスラム:2100~2300万人(新疆ウィグル族、回族など)、④法輪功:700~2000万人、⑤カトリック:1200万人(公認教会と地下教会が半々)、⑥チベット仏教:600~800万人、などである。

(2)中国政府による抑圧の実態
 中国政府による宗教抑圧度を5段階に分けて分析しているフリーダムハウスの調査を紹介しよう。同調査(附表参照)によれば、「最も厳しい(VH)」抑圧を受けている宗派としてはチベット仏教、ウィグル・ムスリムが挙げられる一方、「最もマイルド(VL)」なのは道教に対してであり、カトリックに対する抑圧度は「中程度(M)」としている。
 同研究はまた、習近平政権発足後の5-6年について見ると、(宗教に対する)締め付けは全体的に厳しさを増して来たとする。特に締め付け度が「最も厳しい(VH)」ないし「厳しい(H)」に該当する宗教・宗派の人口は1億人に達し、総宗教人口3.5億人の凡そ1/3に及ぶ。

4.習近平政権の宗教政策

(1)父習仲勲の宗教への姿勢
 本題に入る前に習近平の父親である習仲勲(1913-2002年)の宗教に対する姿勢について振り返る。文革時代,下放されて苦衷を味わった仲勲は,鄧小平の改革開放時代を迎えると中央委員に入り、宗教分野の枠組み作りにおいて、リーダーシップを発揮した。
 具体的に言えば、1978年憲法は「信教の自由」を規定しながら,その一方で「無神論を宣伝する自由」も規定していたが,仲勲ほか82年憲法策定者は,「無神論を宣伝する自由」を削除し、「宗教を信仰する公民と宗教を信仰しない公民とを差別してはならない」旨の規定を付加した(注1)。
 加えて、仲勲は、紅旗論文「宗教問題に関する党の基本政策」(1982年)発表、「19号文件(Document 19)」作成にも関与した。
 更に、文革時代に無実の罪で捕らえられ、罪人とされた人の名誉回復,或いは、取り壊された宗教施設の回復にも尽力した。

(2)地方時代の習近平
 習近平は,1980年代から2007年迄地方勤務――先ず河北省正定県(1982-85年)、次いで福建省(1985-2002年)、浙江省(2002-07年)で――を続けた。
 その間、特に仏教につき深い知識を蓄えた模様だ。特に河北省正定県時代には、臨済宗寺院の修復に尽力し、聖職者との個人的親交を深めた。他方、浙江省時代には、キリスト教会の建物に関してトラブルがあった。
 習近平は、特に土着の宗教や中国化した宗教(儒教,仏教,道教など)を評価している。目下「中華民族の夢」を実現しようとしている習にとり、中国文明の核となるべき仏教、儒教を前向きに評価することは、当然と言えよう。
 以上のように,父譲りかは兎も角,それまでの総書記と比較すると,習近平は宗教に対する問題意識は高いと言われている。

(3)習近平政権の宗教政策
i)全国宗教工作会議
 2016年4月22~23日に開催された「全国宗教工作会議」において,習は、国家宗教事務局長が取り仕切ってきた従来の慣例を破り,自ら乗り出して演説を行った(総書記の同会議参加は15年ぶり)。
 この演説での主要点は以下の通りであったが、その後の習の宗教に関する発言と軌を一にしている点に注目したい。
 1 宗教は、党の指導の下特色ある社会主義(中国の夢)の実現のために奉仕せよ。
 2 愛国主義,社会主義の旗の下、(党は)宗教界と統一戦線を結成せよ。
 3 宗教工作は,祖国統一などに関係する特殊な重要性を有する(注:台湾統一を含意)。

ii)宗教問題に関する論文(「人民日報」)
 2016年7月の「人民日報」には,宗教問題に関する論客3人の論文を特集掲載した。すなわち,牟鐘鉴(中央民族大学教授,哲学・宗教学),葉小文(国家宗教事務局長,在職1995~2009年),卓新平(中国社会科学院世界宗教研究所長)の三人である。彼らの論文の主なポイントは次の通りであったが、習路線理解の一助となるものだ。
 1 極端な開放,閉鎖のアプローチは避けよ(葉)。
 2 社会主義建設のために宗教管理は必要(葉)。
 3 一部反中国勢力は宗教を利用(葉)。
 4 宗教の「中国化」は伝統との融和を要する(牟)。
 5 宗教の「中国化」は、中道・寛容の精神で(牟)。
 6 当局は、感情的にならず、冷静に対処せよ(卓)。
 7 外国のコントロールには抵抗せよ(卓)。

iii)外国NGO国内活動管理法施行
 2017年1月1日に,外国系NGOの国内活動に対する管理を厳しくするための法律が施行された。この法律は,外国系NGOに中国公的機関の認可を取り付けることを求めるとともに,警察への定期的な活動報告を義務化した。
 この法律の狙いは,民主化,人権,宗教関連で,国内活動に海外からの資金が流入することを防止することにあり,この結果,外国系NGO1000団体の大半が、事実上活動停止状態に追い込まれたものと見られる。

iv)中国共産党第19回全国代表大会における習総書記の報告
 2017年10月,第19回党大会が開かれたが,ここで習近平は3時間半にわたる大演説を行った。その中で宗教に関し、2点―――(宗教全般にわたる党による統制の意義を述べた上で)党は宗教が中国の特色ある社会主義建設に適応するように指導するべきこと、宗教の中国化の方向を堅持するべきこと――を強調した。
 因みに,胡錦濤前党総書記は2回党大会で報告を行ったが、宗教に関しては、「経済社会の発展における宗教の積極的役割を促進せよ」と述べ,習近平のトーンとは違っていた。

v)宗教事務規則の改定
 2018年2月1日,国家宗教事務局(SARA)は宗教事務規則を改定した。この改定で,団体の登録手続きの厳格化,無許可集会の罰則強化,集会可能の場所の規制など、規制強化策を打ち出した。
 主な事項は次の通り。
 1 宗教団体登録手続き規定
 2 無許可集会の罰則規定
 3 集会可能な場所に関する規制
 4 海外宗教活動への参加⇒事前許可
 5 屋外大型彫像などの建立の禁止
 6 (宗教学校以外の)布教施設設立禁止
 7 宗教財産への監視強化
 8 インターネット情報サービスの規制(注:聖書販売規制がねらい)

vi)憲法改正(2018年3月11日)
 2018年3月に開催された全人代において,憲法の一部が改正された。特に重要な点としては,前文に「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」、「社会主義現代化強国の建設」、「中華民族の偉大な復興」を追加したことと,第1条に「中国共産党による指導は中国の特色ある社会主義の最も本質的な特徴」を追加した点が挙げられる。
 特に注目すべきは,「党が国家よりも上に立つ」と言う点を明確に打ち出した点だ。20年前の朱鎔基の時代には,党と国家の分離を基本とすることとされたが,今回は、そのラインから決別し、「党による独裁」をより明確化した。

vii)宗教監督管理事務の党への移管(2018年3月21日)
 宗教の監督管理は、従来国務院(政府)に所属する国家宗教事務局(State Administration for Religious Affairs: SARA)が担当して来た。ところが、この3月の全人代で、同事務局を共産党の中央統一戦線工作部(略称=中央統戦部)(United Front Work Department: UFWD)に移すことが決められた。因みに、王作安国家宗教事務局長は中央統戦部副部長に異動(副首相級に昇格)の上、引き続き宗教を監督する。
 中央統戦部とは何をする部署か。簡単にいうと、共産党と国内の民主勢力との間の連携を進めることが中心的任務であり,民族運動、宗教運動などとの関係を扱う(例えば、中国国内にいるダライラマ勢力に対する工作)。
 これまでも、中央統戦部は、宗教に対する大きな方向付け(方針)を策定し,国家宗教事務局はそれに従って政策を実施して来たが、今回の措置によって、共産党の統制はより確固としたものとなる。

viii)「宗教白書」の発表(2018年4月3日)
 中国政府は,2018年4月に「中国の信教の自由保障の政策と実践」白書、いわゆる「宗教白書」を発表した。そこでは、「党の指導の下,宗教活動の法治化水準を高め・・・宗教を信仰する公民と・・信じない公民は,尊重し合い・・中華民族の偉大な復興・・という夢の実現に・・力を捧げる」べきだとの理念を掲げると共に、「宗教の社会主義社会への適応」と「宗教の中国化という方向の堅持」の2点を強調している。

ix)まとめ
 習政権の宗教に対する管理・規制は、国際的に見て極めて厳しいものである。ただ、宗教・宗派、地域によりその厳しさには濃淡がある。
 習近平は,父親の影響があってか、宗教に対する関心が高い。
 仏教はもともと外来の宗教であったが、いまや「中国化」しており、「中国化」の手本のようなものだ。その仏教を含め,儒教,道教などの宗教は、中国のアイデンティティーを表象していると言うのが、習の思想。
 習政権になってから、党が宗教全般を指導すること、宗教は社会主義社会建設に向けて奉仕すべきこと(極言すれば、宗教はそのための道具にすぎないという位置づけ)、外国の影響(干渉)を減らしていくとの路線を堅持することなどが、より明確となった。

5.中国のカトリック教会

(1)現状: 中国政府、一元管理に至らず
 これまで述べて来た党・政府の宗教に対する基本的姿勢・政策は、当然、カトリック(教会)に対してもあてはまる。そこで、先ず、カトリック教会の現状を眺めてみよう。
 宗教の監督機関である国家宗教事務局(SARA)は、中国カトリック教会については、中国天主教愛国会(Chinese Patriotic Catholic Association:CPA、CCPAないしCPCA)に管理せしめている。このCCPAの傘下にある教会が、いわゆる「公認教会」であり、その傘下にあるということは、政府の指導を直接受けることを意味する。この流れに乗る信徒は400-600万人と目される。
 他方、中には、ローマ法王に従うことに強いこだわりを示し、政府指導を好まない(=「公認教会」になることを好まない)教会もある。いわゆる「非公認教会」(「地下教会」)である。その信者数は約600-800万人と目される。「普遍教会(the Universal Church)」を自認するカトリック教会は、ローマ法王による一元的指導を旨としていることもあり、中国の一部教会がそのローマ法王との結びつきにこだわることは理解出来る。
 かかる二元的構造には、北京もローマも共に不満を有している。先ず、中国政府(SARA、CCPA)であるが、この二元的構造を一元化したいと念じているものの、これまでのところ、それをゴリ押し・強行する構えは示していないようだ(局所的には、教会取り壊しや十字架取り外しなどの「嫌がらせ」があるが)。他方バチカンも、地下教会とのパイプを強化したいところであるが、「北京の壁」は高く、現状を改善出来ずにいる。
 かくして、異質な二つの教会が併存するというこの「矛盾(二元性)」を、北京、ローマの双方ともに整理出来ずにいる。

(2)北京・バチカン間の争点
 北京とバチカンは、かかる矛盾の克服ないし改善を目指して、協議を継続中であるが、難儀しているようだ。両者間には、二つの大きな溝(争点)があるためと言って良かろう。
 最大の争点は、司教(bishop)の任命権をローマ、北京のどちらが有するかの問題。自らを「普遍教会」と位置付け、各国の文化・国境の壁を超えて全世界の教会を一つのドクトリン、一人の法王によって仕切っているカトリック教会では、各地の司教が法王の意を受けて司教区の信徒を指導する。世界全体では4000弱の司教区が存在するところ、各司教区の責任者である司教はローマ法王が任命することが基本とされている(神学的に言えば、司教はローマ法王が任命することではじめて、「特別なパワー(霊性)」を神から付与されると言うことだ)。ただ、中国(公認教会)については、この基本が実現していない。
 これを、北京の側から見ると、別のピクチャーが見えて来る。かれらは、国内の宗教に対する外国の干渉・影響を極力排除しようとしており、特にローマ法王が国内の司教任命を行うことは、内政干渉であり、受け入れ難いとしている。このため、公認教会系の司教の任命は、政府(SARA)がCCPAを通じ行っている。
 以上のように、北京とローマの立場は、原理的に相容れないものがある。
 ところで、かかる中国の事情には、仏革命以来のフランスとの類似性を感じる。1949年に中華人民共和国が成立すると,カトリック教会や聖職者の弾圧、国外追放が続いた(ために、51年にバチカンは北京と断交)。その後も,文化大革命時代まで、教会の破壊や聖職者処分は多数に上った。これに対し、フランスであるが、革命後、共和国政府は,カトリック教会を弾圧し,多数聖職者を投獄した。その後登場したナポレオン皇帝は,革命精神を引継ぎ,カトリック教会全体を「国有化」。司教任命権を法王から取り上げ、彼自身が司教を任命した。ナポレオン体制崩壊後,司教任命権は法王に返還されたが、そのような経緯もあり、現在でもフランス司教の任命に関しては、法王はフランス大統領と協議することとされている。
 このように、革命後にフランスと中国がやったことは、発想においても、プラクティスにおいても、類似している。現在中国がやろうとしていることは、フランスが既に手を染めたことと同旨に見える。ナポレオンは中国の「手本」となるようなことをやったのであり、中国はバチカンとの協議に際し、フランスの「先例」を念頭に置いているのかも知れない。
 もう一つの争点は,公認教会と非公認教会とが併存する二元的構造をどう整理するかの問題。こちらの方も、北京とローマの双方が一元性にこだわっているため、風穴を開けることは容易ではない。

(3)イデオロギーとしての「宗教の中国化」
 さて、昨年の第19回党大会をはじめ、多くの機会に,宗教の「中国化」路線堅持を強調した習総書記であるが、この点を徹底するとどうなるか。とどのつまり、英国のヘンリー8世がローマから「完全に決別」して、英国国教会(Church of England)を創設したように、ローマから「完全に切り離した」独自の教会にするのが、最も論理的だ。現に、2016年12月の中国カトリック全国代表会議に来賓として参加した全国政治協商会議・愈正声主席(党序列No.4:当時)は、「中国のカトリック教会を,ローマから独立した形で運営せよ」と檄を飛ばした。
 いまや、宗教の「中国化」はイデオロギーとしては、完全に定着した感がある。にもかかわらず、実際には、様々な事情から、習総書記は、ヘンリー8世流の「完全な切り離し」は当分控えるものと見る。何故か。その点は次項でお話しする。

(4)実態を見れば――キーワードは「グレー」
 そこで、中国カトリック教会の現状を、もう一度、つぶさにみて見よう。中国には、公認教会系,地下教会系を合わせ,全国に現在100人余の司教がいる。そのうち65人が公認系,36人が非公認系となっている。ところが、前者65人のうち、何と60人については後にバチカンが追認している。つまり、公認系に限れば、その9割が、ローマ、北京の双方から「二重」に認知されている――「黒」でもなく「白」でもなく、「グレー」である―――ということだ。これが実態である。イデオロギーとか「公式論」は兎も角、現実には、ある種の「相互乗り入れ」が進んでいる。
 「グレー」の事例はまだある。先ず第1に、北京が任命した多くの司教をバチカンが追認しているだけでではなく,北京はそれに対して異議を唱えない。
 第2に、公認教会系聖職者でも、ローマとの繋がりにこだわっている人が少くない。
 第3に、多くの一般信徒が、二つの教会の双方に出入りしている。
 第4に、習近平政権成立後,北京は新たな司教を任命して来たが、ローマが明らかに嫌うような司教任命は控えている。つまり,北京は司教任命に際し,ローマに「忖度」している。
 このように、「グレー」な関係、「相互乗り入れ」は、多岐にわたる。
 そう、ローマと北京の間では、「相互乗り入れ」は既にある程度進んでいる。中途半端ではあるが。習近平が、宗教の「中国化」を声高に叫ぶ一方で、カトリック教会については、(一元化に向けた)ゴリ押しを控え、「相互乗り入れ」を容認するマイルドな態度をとるのは何故か。そこには、習なりの「思惑」ないし「計算」が――それが何であれ―――あるのであろう。そう考えることで初めて、「グレー」を容認する北京の姿勢、思いのほかマイルドな姿勢に合点が行く。と言う次第もあり、北京は、ローマからの「完全な切り離し」を当分は強行しないものと見る。

(5)北京・バチカンの協議
 先に述べた幾つかの争点を巡り、バチカンと中国政府は、昨年から本年にかけ4-5回協議を重ねている。バチカン側の思惑は何か。
 何よりも先ず、13-14億人という巨大市場の潜在力、魅力がある。加えて、「中国に楔を打ち込む」と言うと言い過ぎかもしれないが、「とっかかり」をつけておきたいという気持ちがあるのであろう。これまで地下教会の人々に対しては、(裏ではコンタクトしていたとしても)公然と手を差し伸べることは出来なかった。今後、北京との間で折り合いがつけば、地下教会に対し堂々と接触が出来る訳で、その方向を期しているのだろう。それによって、法王の祝福が地下教会の人々まで及ぶことが、念頭にあるのだろう。
 今年(2018年)になってから,司教の任命権を巡っての両者間の合意につき発表間近との報道が何回かあった。この司教任命権の問題に加え、地下教会の一部司教の処遇について妥協間近との報道もあった(具体司教名に言及したものもあった)(注2)。ただ、4月以降、合意発表を期待する報道は、何故か失速気味に見受けられる(6(1)参照)。
 実のところ、「発表間近」とのこの種観測は、過去にも何度か報じられたことがあった。たとえば、1年半前(2016年11-12月頃)には、今回報じられたことと似た報道を何回か読んだ。しかし、結局何らの発表もなかった。
 また、私がまだバチカンにいた2009年から帰国した2010-11年にかけても、同様の観測が報じられた。バチカン関係者の中にも「(今度は)感蝕は悪くない」と囁く人がいた。しかし結局、何も出て来なかった。当時について補足すれば、司教任命方式については、事実上歩み寄りが出来ていた趣だったが、文書として両者が署名するところまでは行なかったと言うことだ。2010年と言えば、人権活動家劉暁波氏へのノーベル平和賞授賞を巡り、中国政府が姿勢を硬化させ、それを契機として、西側全般との関係見直しが行われた時期だ。北京は、従来の低姿勢・微笑戦術(韜光養晦)から、本音を隠さない強面姿勢に転換した時期であった。尖閣水域で、中国漁船による体当たり事件が起きたのもその頃(2010年9月)であった。西側に対し強硬姿勢に転じた北京は、2011年になると、バチカンへの配慮をかなぐり捨て、数年かけてようやく築き上げられた「ガラス細工」のような妥協パッケージを、金槌で一気にぶち壊した模様。

6.まとめ

 以上からお察し頂けると思うが、ローマと北京の協議に関し、近く合意が発表される可能性は3-4割程度にとどまると見る。因みに、バチカン側の判断に影響を与えているかも知れない要素として、2018年3月に全人代が行った新たな決定(4(3)vii)参照)に言及しておきたい。それは、国家宗教事務局(SARA)を、国務院(政府)から共産党に移すと言う決定だ。そう、宗教管理の仕事が、「無神論の牙城」とも言える共産党に移された訳だ。それだけに、この決定はバチカンをギクリとさせたに違いない。その結果、対中国接近につきより慎重になった可能性はある。
 次に、仮定の話になるが、仮に何らかの合意が成立したとしよう。それは、如何なる意味を有するのだろうか。3点挙げて、私の話を締めくくる。
 先ず第1に、12億人のカトリック教徒が背後に控えるバチカンと、13-14億人の国民を擁する中国と言う二大巨人の間で、(外交関係の不在は言うまでもないが)宗教関係においても公式のパイプがない現状、すなわち、バチカンが中国に対し必要に応じクレームするためのパイプすらない現状は、明らかに不健全である。両者の間に何らかの公式パイプが設けられることにより、両者間の距離(ないし距離感)が縮められることは,当事者間にとってだけではなく、国際社会にとっても、良いことだ。
 第2に、「ヨーロッパ中心主義」の強いバチカンは、これまでアジアを含む世界全体の潮流や実態に関心を払い、これを直視すると言う姿勢が足りなかった嫌いがある。5年前、南米出身のフランシスコ法王が就任することで、バチカンがよりストレートに、ありのままの世界を見るようになったことが、中国との関係改善に繋がった(そうなった場合の話)と言うことだとすれば、一歩前進と言えよう。冒頭に述べたが、中国とインドが、「市場」として有望視される中、そこに目を向けることは、早晩実現されざるを得ないことと言える。
 第3に、対中接近反対派は、中国ペースで協議が進むことを警戒すると共に、宗教を抑圧する中国に歩み寄ることは、地下教会の人々を見棄てることに繋がるとする。然しながら、その論法で行けば、中国が宗教の自由を認めるようになるまで、(何十年かかるか分らないが)中国には接近するなと言うことになってしまう。現在のような厳しい宗教管理が続くにせよ、中国との間でパイプを持つことは、半歩前進であり、現実的選択と言えよう。バチカンと中国が、対話のチャネルを持つようになることは、長い目で見れば、中国の穏健化にも資するものと期待したい。

(本稿は、2018年4月25日に開催した「IPP政策研究会」における発題内容を整理してまとめたものである。)

(注1)第36条: 中華人民共和国公民は,宗教信仰の自由を有する。 いかなる国家機関,社会団体又は個人も,公民に宗教の信仰又は不信仰を強制してはならず,宗教を信仰する公民と宗教を信仰しない公民とを差別してはならない。 国家は,正常な宗教活動を保護する。何人も,宗教を利用して,社会秩序を破壊し,公民の身体・健康を損ない,又は国家の教育制度を妨害する活動を行ってはならない。 宗教団体及び宗教事務は,外国勢力の支配を受けない。

(注2)他に、地下教会の処遇問題、法王から破門された7名の公認教会司教の処遇問題や、外交関係修復の問題などの懸案があるが、それらについて、協議進展という観測は聞かない。

政策オピニオン
上野 景文 元駐バチカン大使
著者プロフィール
1948年東京都生まれ。70年東京大学教養学科卒、外務省入省。73年英国ケンブリッジ大学経済学部卒、同修士課程修了。OECD政府代表部公使、国際交流基金総務部長、駐スペイン公使、在メルボルン総領事、駐グァテマラ大使などを経て、2006~10年駐バチカン大使。2011~17年杏林大学外国語学部客員教授。主な著書に、『ケルトと日本』、『現代日本文明論(神を呑み込んだカミガミの物語)』、『バチカンの聖と俗(日本大使の一四〇〇日)』。ほかに、論考、エッセイ多数。

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