日本の外交戦略:北朝鮮・中国・ロシア、そして長期的ビジョン

日本の外交戦略:北朝鮮・中国・ロシア、そして長期的ビジョン

2018年4月9日

はじめに

 最近の日本外交の喫緊の課題は、北朝鮮の核・ミサイル問題であろうが、中長期的にはやはり中国の動向は重要なイシューである。さらに周辺国の中ではロシアも無視できない。そしてグローバルな意味で米国のアジア・世界戦略も注視しながらみていく必要がある。こうした問題について過去の外交体験もふまえて論じながら、今後の長期ビジョンについても考えてみたい。

1.最近の世界情勢と安倍政権の対応

(1)「自国第一」の時代

 最近の時代がどのような特徴を持った世界になっているかについて、大局的にまとめたのが表1である。大きな特徴は、トランプ政権に代表されるように、「自国第一」主義である。その背景には、ナショナリズムやポピュリズムといった国内的な動きがある。

 ここ数十年の流れを簡単に振り返ってみたい。
 1989年に冷戦が終焉し、91年にソ連が自壊した後、1990年代は基本的に「米国一人勝ち」の時代で、世界は比較的安定した時代だった。日本にとっても、この時代は対アジア、対米関係ともに調和的だった。
 その流れが大きく変わった転機が、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件だった。一人勝ちの米国に対する、イスラームからの政治面での強烈なパンチであり、これによって米国の姿勢が大きく変わっていった。次の転換点は、経済面で米国に対するパンチとなったリーマン・ショック(2008年9月)であった。ちなみに中国の「韜光養晦」戦略が終わったのは、このリーマン・ショックの年ではないかと思う。そして中国流の「中国ファースト」は、ここから始まったと考えられる。その後約10年を経た2017年に、米国において「米国ファースト」が出てきたのである。
 そして現在につながる強力なリーダーが、ロシア(プーチン)、中国(習近平)、日本(安部晋三)に現れたのが2012年で、それらが併走し始めた。その前年に北朝鮮の金正恩が現れ、このころ「アラブの春」が中東諸国を覆ったのだった。

(2)安倍政権の外交

 最近の安倍政権の内外政策について、前述の国際情勢と対比しながら見て見たい。
 私はこの間の安倍政権の外交について基本的に高く評価しているが、政治外交分野における特徴として、次の三つが挙げられると思う。
 ①総理として実現すべきいくつかの重要案件については、決してぶれずに不退転の決意で取り組む。
 ②周囲に経験ある有識者・官僚を配置し、必ずしも総理の信条にぴたりとあわない人たちの見解をも聴取し、総理としての均衡ある判断に到達している。
 ③取り上げる問題は非常に難しいが、それらを一遍に重複しないように順番に、即ち戦略的に処理してきた。
 安倍総理は2012年暮に再び総理となり、最初に手がけた外交案件が中国だった。その直前の2012年9月から中国は、尖閣周辺の領海に自分の思う通りの数の公船を思うとおりの頻度で侵入させ始めているので、それに対応するべく2013年はまず防衛関連予算を増やし、新しい安保組織と安保戦略を創り、平和安全法制の整備の検討も始め、抑止力を高める努力を傾けたのは、当然だと思う。その一方で、中国との対話も試み、抑止と対話を同時に進めながら対応してきた。そして対話の成果としては、2017年に一つの転換点を迎えたように思う。
 対米関係では、平和安全法制の整備に向けて柳井委員会を再開し、2014~16年にかけて平和安保法制を実現化させた。その鍵となった閣議決定は2014年になされた。とくに集団的自衛権については、限定的ではあるが集団的自衛権の行使可能な道を開いた。これは大きな実績といえる。トランプ大統領は大統領選挙戦のころから日本の安保タダ乗り論を展開していたが、トランプ政権誕生前までに平和安全法制によって集団的自衛権行使の問題を大きく乗り超え、日本がタダ乗りだけではないことを主張できる根拠を整備していたことは、日本外交にとって重要なことだった。
 それに加えて米国との歴史和解に対しても安倍総理は大きな足跡を残した。2015年4月の米国連邦議会上下両院合同会議における演説は、日米の歴史和解に言及した素晴らしいものであった。その成果として、2016年5月にはオバマ大統領が、米大統領として初めて被爆地広島を訪問し、慰霊碑への献花と核兵器のない世界に向けた演説を行い、翌16年12月には、安倍総理がハワイの真珠湾を訪問し日米両国の戦没者のための慰霊を行った。
 一方、アジアとの歴史和解については、2015年8月の「戦後70周年談話」がある。この談話の内容は、本来安倍総理がもっていた考え方とは距離があると思うが、有識者の意見を取り入れた、むしろ村山談話に近いものであった。しかし村山談話にはないものも加えた立派な内容を備えた談話だったと評価する。そしてその土台の上で、同年12月暮の「日韓慰安婦合意」に至ったのだと思う。
 対露外交に関しては、安倍総理は以前から再び総理になったら対露関係改善に努力したいと語っていたように、就任の翌2013年4月にロシアを訪問して経済・安全保障を含む日露交渉の進展があったが、2014年3月にクリミアを併合したことに始まるウクライナ問題の発生によって、国際社会の対露経済制裁へと拡大、日本もG7の一員として抑制的であってもこれに参加、日露交渉は丸2年間完全にストップしてしまった。
 ところが、2016年5月に安倍総理がロシアのソチを訪問してプーチン大統領と会談を行い、同年12月には安倍総理の故郷である山口県と東京をプーチン大統領が訪問。両首脳の対話を通じて日露交渉が大きな進展を見せた。マスコミ等の論調では、この安倍・プーチン会談はあまり評価していないようだが、私は非常に意義ある会談になったと考えている。その後の日露間の具体的な進展が思うほど芳しくないことは事実であるが、大枠は維持されている。

(3)2017年の北朝鮮情勢
 2017年の外交関係では、トランプ政権の登場が大きな要因となり、二つの重要なテーマが登場した。ひとつは北朝鮮情勢の緊迫化とこれへの安倍政権の対応であり、もう一つは、トランプ登場をふまえた安倍政権の対中国戦略の変化である。

 2017年における北朝鮮のミサイル・核実験の現状については表3のとおりだが、その能力の程度に関しては、大陸間弾道ミサイル(ICBM)に搭載可能な水準まで核弾頭の小型化に成功する段階に近づきつつあり、完成段階に到達するのも時間の問題だといわれている。
 この年トランプ大統領が登場して、彼は言葉による北朝鮮たたきを始めたが、両者による舌戦が熾烈化した。一方マティス国防長官は、「北朝鮮と衝突が起きれば…仮に緊張がそこまで高まった場合…破滅的なものとなろう」「北朝鮮での衝突は、恐らく殆どの人々が生涯経験したことのないような最悪の戦いになろう」「北朝鮮の現政権は、当該地域、日本、韓国にとっての脅威であり、戦争が起きれば、中国やロシアにも危険をもたらすであろう。しかし、結論は、もし、我々が外交的手段でこの状態を解決することができず戦いになった場合、破滅的な戦争になるということである」などと述べて、単なる舌戦による事態の悪化に警鐘を鳴らしてもいる。
 このような北朝鮮の現状に対する日本の対応として、安倍総理は一貫して「対話のための対話では全く意味がない。いまは最大限の圧力をかけるときだ」という基本認識で、国際的協調を図りながら圧力をかけて北朝鮮の態度を変えさせ、意味のある対話に持ち込むという姿勢をぶれずに主張してきている。
 ただし、2016年9月の国連総会での安倍総理の演説では、次のように述べて圧力の必要性を強調したが、ここまで言い切ったのは国連総会演説だけだったように思う。
「我々が思い知ったのは、対話が続いた間、北朝鮮は、核、ミサイルの開発を、諦めるつもりなど、まるで、持ち合わせていなかったということであります。対話とは、北朝鮮にとって、我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった」「対話による問題解決の試みは、一再ならず、無に帰した。何の成算あって、我々は三度、同じ過ちを繰り返そうというのでしょう。北朝鮮に、全ての核、弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で、放棄させなくてはなりません。そのため必要なのは、対話ではない。圧力なのです」。
 安倍総理が「国際社会との協力」と言った場合に、そのメイン対象国は中国である。昨年(2017年)安倍政権の対中政策の転換が見られた背景には、中国との一層の対話の円滑化が必要になってきたという見方がある。

(4)2017年安倍政権の対中戦略の変化
 対中戦略の変化はもう一つ、経済面での理由もあった。
 日本の地域経済協力は、太平洋地域の経済協力から始まった。1980年代の「太平洋協力会議」から始まり、90年代の「アジア太平洋協力」、2000年代の「東アジア協力」というように、太平洋⇒アジア太平洋⇒東アジアと発展していった。その後、オバマ大統領がアジア太平洋への回帰を唱え、2010年の東アジアサミットに米露が参加し、米国がTPPに参加したことがきっかけとなって、地域協力の中心が環太平洋地域に戻ってきたかの感が生じた。
 その象徴としてのTPPに日本は2013年3月に参加した。ところが、その半年後の同年秋に習近平が「一帯一路」を主唱したことで、TPPを柱に米国と協調してやっていこうとしていた日本は、中国の新たな戦略を突きつけられることとなった。当初、日本は中国の思惑を警戒して様子見しているうちに3年が過ぎ、トランプ大統領が現れてTPPからの離脱を唱えたのだった。

 その3年の間に「一帯一路」に関してさまざまな動きや情勢変化が生まれたが、安倍政権としては、安全保障・地域政治協力を含む総合戦略としての「一帯一路」には十分の警戒心を持ちながらも、経済面に関するAIIBなどについては十分野関心を示し、むしろ中国との対話局面へ向けて関係改善を図ろうとしているように見える。
 昨年前半は、「森かけ問題」で政界は揺れていたが、国際情勢は北朝鮮の度重なるミサイル・核実験で緊張の度を増しており憂慮する状況であった。安倍総理はその難しい局面の中で静かに新たな対中国戦略を立て政策転換に踏み切ったと思われる。それは2017年5月の北京の「一帯一路国際協力サミットフォーラム」から始まる一連の国際会議での政府の動きや総理の発言に表れている。
 2017年の安倍外交の最も重要な点を一つにしぼれば、「一帯一路」を通ずる中国との対話路線への切り替えではなかったかと思われるが、以下その動きを列挙する。
 ①2017年5月14日・15日北京にて「一帯一路国際協力サミットフォーラム」が開催、日本からは二階俊博自民党幹事長が出席、16日習近平主席と会談した。『人民中国』は二階氏の言葉として「『一帯一路』の着眼点は素晴らしいものだ。十分理解している人とこれからその重要性をだんだんと理解していく人との間に多少の温度差はあるが、この考え方に共感を持って、今後の発展を眺めていくというのが日本の大方の考え方だ」を伝えた(『人民中国』June 2017より)。
 ②同年6月5日第23回国際交流会議「アジアの未来」晩餐会安倍総理スピーチ。
「今年はユーラシア大陸の地図に、画期的な変化が起きました。本年初めて、中国の義烏と英仏海峡を越えて英国と貨物列車で繋がり始めました。一帯一路の構想は、洋の東西、そしてその間にある多様な地域を結びつけるポテンシャルを持った構想です。・・・万人が利用できるよう開かれており、透明で公正な調達によって整備される・・・プロジェクトに経済性・・・債務が返済可能・・・国際社会の共通の考えを十分にとりいれる・・・日本としては、こうした観点からの協力をしていきたいと考えています」(首相官邸HPより)。
 ③同年7月8日、ドイツ・ハンブルグでのG20会合の際に開かれた日中首脳会談で安倍総理は、一帯一路構想について「ポテンシャルを持った構想であり、国際社会共通の考え方を十分採り入れて、地域と世界の平和、繁栄に前向きに貢献していくことを期待している」と公平性の確保について条件を付したうえで、「日本としてはこうした観点からの協力をしていきたい」と表明。中国外務省によると、習氏は「経済・貿易関係は中日協力の推進器だ。日本が一帯一路の枠組みで協力を広げることを歓迎する」と応じた(『朝日新聞』2017年7月9日)。
 ④ベトナム中部のダナンでのAPEC首脳会議の際、11月11日に行われた日中首脳会談について邦字各紙は一様に、この会談をもって、日中関係改善の機運が出てきたことを報じている。「(それぞれに)政権基盤を強化した両首脳の6度めの会談は余裕の笑顔で始まった。・・・習氏「この会談は日中関係の新たなスタートとなる」安倍総理「全く同感だ」約50分の会談は最後、このような友好モードで終わった。・・・習氏は会談で、日中関係について「改善のプロセスはまだやるべきことがたくさんある。時流に乗って努力し、前向きな発展を推進したい」と呼びかけた。総理は、「関係改善を力強く進めていきたい。日中両国は地域、世界の安定と平和に大きな責任を有している」と応じた。両首脳は、中国の現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」にからみ「日中が地域や世界の安定と繁栄にどのように貢献するか議論していく」ことで一致した」。両国国旗を背にして安倍総理と習近平主席が握手を交わしている写真は、日本では、「習近平主席の最初の微笑み」として広く報道された(『産経新聞』2017年11月12日)。
 ⑤今年の2018年1月22日の施政方針演説において安倍総理が、「中国とも協力して増大するアジアのインフラ需要に応えていきます」と述べたのは、かつての対中発言に比べれば少々信じがたいような表現だった。安倍総理が中国と何について協力するのかといえば、一帯一路の経済協力の部分だ。いままで外から眺めていたのを、今度は中に入っていっしょに考え、日本の国益として取れるものは取るという意味での発言ではなかったかと思う。

<施政方針演説(2018年1月22日)から>
「太平洋からインド洋に至る広大な海。古来この地域の人々は、広く自由な海を舞台に豊かさと繁栄を享受してきました。航行の自由、法の支配はその礎であります。この海を将来にわたって、全ての人に分け隔てなく平和と繁栄をもたらす公共財としなければなりません。『自由で開かれたインド太平洋戦略』を推し進めます。
 この大きな方向性の下で、中国とも協力して、増大するアジアのインフラ需要に応えていきます。日本と中国は、地域の平和と繁栄に大きな責任を持つ、切っても切れない関係にあります。大局的な観点から、安定的に友好関係を発展させることで、国際社会の期待に応えてまいります。
 本年は日中平和友好条約締結四十周年という大きな節目に当たります。経済、文化、観光、スポーツ、あらゆるレベルで日中両国民の交流を飛躍的に強化します。早期に日中韓サミットを開催し、李克強総理を日本にお迎えします。そして、私が適切な時期に訪中し、習近平国家主席にもできるだけ早期に日本を訪問していただく。ハイレベルな往来を深めることで、日中関係を新たな段階へと押し上げてまいります。」

2.2018年:日本外交の選択

(1)北朝鮮との戦争を回避できるか?
①「金王朝」としての北朝鮮
 まず北朝鮮が何を考え、何をしようとしているのかについて考えてみたい。外交は具体的な相手がなくては交渉ができない。その観点からすると、私は、相手国との関係を考えるときには、具体的な人物の顔が浮かんでくるような関係を造る努力をしてきた。ところが北朝鮮については、これまで行ったこともなく、北朝鮮の人と直接交渉したこともなく、一人の顔も浮かんでこない。そのように北朝鮮に関しては素人的な立場ではあるが、現下の東アジア情勢は北朝鮮問題を抜きにしては語れない。そこで、2002年に外務省をやめてから、脇から眺めてきた北朝鮮と言う国についての印象を基礎に考えたい。その場合、私には、この国が、日本の一部として35年を過ごした直後に独立していったと言う歴史的経緯が頭を離れない。
 北朝鮮は、戦後現在のような政治体制になる必然性があったわけではないが、結果として、「金王朝」という体制として根付いてしまった。つまり国体としての金王朝ができて、初代金日成、第2代金正日、そして3代目の金正恩とつながっている。その結果、「金王朝の体制維持」と「北朝鮮という国家の維持」が同等なものとなってしまい、北朝鮮の限られた指導部の中で金王朝の体制が維持できないのであれば、北朝鮮という国家がなくなってもいいという意識レベルに達しているのではないか。
 現時点で金正恩は、米本土にまで到達可能な核兵器(ICBM)をもつことのみが自らの金王朝存続の保障と考えており、自国の体制保持と同等の意味をもつのは、唯一米大統領による体制の保障と考えてきたのではないかと思う。その保障が得られたときに、交渉の結果として何らかの解決案が出てくるかもしれないという状況である。

②北朝鮮関係とのこれからの展望――「圧力」から「交渉」への切り替え
 安倍総理も「いまは圧力のとき。国際協力によって圧力を強化する。迎撃体制の強化をすべき」と一貫して強く主張している。ところが、国際協調による圧力と言ってはいるものの、米・日・露・中・韓の関係国ごとにその温度差がみられるなか、北朝鮮は平昌冬季オリンピックに向けて「平和」攻勢をかけてきたわけである。
 今後どのような展開になるだろうか。
 軍事専門家に聞いてみると、北朝鮮によるICBMに搭載可能な核兵器の小型化がさらに進み、米本土を狙う兵器になるような危険水域段階に達したときに、米国はそれを許さないだろうと予測する。それはアジアの問題というよりは、米国自体の安全保障が脅かされると感じるためだ。そのとき米国は北朝鮮に一撃を加えるのか。
 ある人の説明によると、米国の一撃はサイバー攻撃で、それによって北朝鮮のすべての指揮命令系統を30分で混乱させてしまい、ピンポイントで要所を狙い、完全に打ちのめしてしまうという。その場合100%完勝できるとするのだが、本当に完勝できるのか。もし北朝鮮の兵力が残った場合、どのように反撃してくるだろうか。
 北朝鮮の出方に関するシナリオを考えるに際しては、「1941年問題」「1945年問題」を想起してみる必要がある。とくに後者で、1945年8月15日に日本が降伏したときに何が起きたかである。
 1945年4月8日に鈴木貫太郎内閣が成立したが、その使命はいかに戦争を終えるかにあった。7月26日にポツダム宣言がで、8月6日広島原爆、9日ソ連参戦と絶体絶命においつめられた時に、一刻も早く戦争をやめるべきと主張した「和平」派は1条件を、まだ余力があるからと主張した「決戦」派は4条件を主張。誰一人無条件降伏を考えた人はいなかった。両方ともポツダム宣言の「条件」付き受諾を考えたのであり、その1条件が「国体の護持」最低でも「皇室の安泰」であった。8月10日未明の第一回午前会議で天皇は1条件を裁可、そこから「天皇統治の大権を変更する要求は含まれていないと言う了解」の下でのポツダム宣言の受諾となったのである。14日の第二回の午前会議による聖断は、返ってきた「バーンズ回答」はこの条件を満たしていると言う和平派の主張を天皇が裁可されたわけである。70年前の日本は、もし国体が滅びるのであれば、1億玉砕で戦うと考えていたのであり、そうならなかったのは、こういう日本人のものの考え方を知悉するアメリカの知日派が、かろうじて、和平派が決戦派を説得できる材料を、ポツダム宣言及びバーンズ回答の中に残したからと言ってよいと思う。
 当時の日本の天皇と国民の関係と、現在の北朝鮮の金正恩と国民との関係は全く違うので、同じように考えるわけにはいかないことは当然である。けれども、金正恩が、最後に自分の国体(金王朝体制)がなくなると理解したときに、もっているあらゆる兵器を総動員して攻撃に出る、玉砕を図るかもしれないという心理は、私は、我々の判断の中に残しておかねばならないと思う。そのときどこを狙うのか。まずは韓国だろう。軍事専門家によると、韓国にはミサイルを撃つ必要はなく、放射砲で十分だという。その次は日本だろう。日本には多数のノドンを打ち込むだけで壊滅的な打撃を受ける脆弱な攻撃目標が、駐日米軍基地や自衛隊基地だけではなく大都市から原発など、数えきれないほたくさんあるのではないか。ましてや、これに、小型の核兵器が搭載されたら、その被害は、想像を絶する。
 このような考えは、欧米の人と話してみると、彼らの合理的思考の外にあるものだ。しかし70年前に、同様のことを日本人は考えていたわけで、人ごととは言えない。こうした思考法の問題と米国の高度な兵器技術をどう結びつけて考えるかという問題がある。
 いま安倍総理は「圧力」を主張しておられ、そのこと自体に違和感はない。けれども、私はどこかの最適点で、日本外交は、「交渉」への切り替えのために役割を果たせるのではないかと考える。国連憲章の6章(紛争の平和的解決)、7章(平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動)の立て方を見てもわかるように、平和的解決義務を果たした後に軍事的措置がくるのであり、戦争の対極にあるのが交渉だ。交渉に至るプロセスの一つに圧力があるのだ。現在の状況で、圧力を主張するのはいいと思うが、それだけでは限界ではないか。
 金正恩政権に対してかつて六者協議で主張したComplete Verifiable Irreversible Dismantlement (CVID) という「完全で検証可能で不可逆的な廃棄」への同意が交渉開始の条件といえば、おそらく今の金正恩はのってこないのではないか。のってこないから、それでは、米国の攻撃と北の玉砕シナリオという危険な状況をいつまでも長く続けていっていいものか。そこで安倍総理には、どこかの段階でトランプ大統領に、日本の過去の経験を踏まえてこの問題をアドバイスし、交渉の局面に進めるように話してほしいと思う。韓国の文在寅大統領は、真剣に対話と北との融和政策を進めると思うが、それは所与のものと理解されるやもしれず、これまでぶれずに「圧力のみ」を主張してきている日本が言ってこそ、ある種の説得力があるのではないか。そのことによって北朝鮮の脅威を違った形に変えていけないだろうか。
 最終的にどのような姿になるか。ここまできたら、現在の北朝鮮にCVIDを前提とした核廃棄を説得することは不可能ではないかと思う。かといって北朝鮮に核兵器をもってもいいというわけにはいかない。事実上核兵器をしばらく北朝鮮が保有するとしても、並進路線としての経済路線をしっかり進めさせ、国際社会が認められるように米国を保証人とする平和国家に軟着陸させることが大まかな将来のシナリオではないだろうか。

(2)中国への柔軟路線はこれからどこまでの結果を生むか?
①尖閣領海への中国公船の侵入への対応
 尖閣問題で中国のいう「新しい現状維持(尖閣領海への公船侵入の既成事実化)」は、日本として到底受け入れられない。そもそも尖閣諸島は日本が19世紀末から実効支配してきた領土であったが、2008年12月に初めて中国の公船が尖閣領海に侵入した。その後数回の侵入があったが、2012年9月14日以降大量の公船が侵入するようになり、それが常態化した。これは主権国家としては絶対に許せないことだと思う。
 もし日本が、中国と同様の論理で、北方四島や竹島の領海内に公船を入れたとしたら、何が起こるか。ロシアや韓国の人にこのことを話してみると、彼らは一様に「日本船を撃沈する」と答える。しかし尖閣で日本はそれができない。
 尖閣領海に中国公船が度々侵入することで、国家主権の面で、たくさんの「穴」が空いていくと考えるべきだろう。ところが外務省は、領土問題の存在を認めず交渉は一切しない。実は「領土問題の存在を認める」ことは、交渉において大きな分岐点になる。
 ソ連は1991年にゴルバチョフが来日したときの日ソ共同声明で国後・択捉島の領土問題の存在を初めて認めた。戦後の交渉で初めておきた大きな転換であり、ソ連が実効支配をしている北方四島だからこそ、非常に意味のあることだった。
 「領土問題は存在しないから交渉しない」という状態が今後も続いた場合に、日本と中国のどちらに有利になっていくか。自分は中国だと考える。時間が経過すればするほど、尖閣領海の小さな「穴」はどんどん空いていくからだ。例えば、10年後に国際司法裁判所(ICJ)に提訴したときに、日本が実効支配していると主張しても、「中国の公船が領土要求を根拠にして毎月侵入しているではないか。それで実効支配しているといえるのか?」と聞かれるだろう。時間が経てば経つほど日本に不利になっていく。
 ゆえに今の状況がこのまま継続するよりは、外交交渉によってこの状況から抜け出すことを政府として考えるべきではないか。それが尖閣について真面目に交渉することでもある。私案をいえば、目標は、交渉によって1972年から2012年までの尖閣の現状(status quo)に戻すことにある。そのあと、尖閣をどう扱うかについて交渉し、一つでもいいから共同プロジェクトを尖閣で展開する。
 例えば、かつて緑の島だった尖閣がヤギによって草木が枯れて地面が露出し、斜面の崩落が進んでいるので、エコロジーの観点から、この問題の解決に向けて日中が共同プロジェクトを立ち上げて対応する。これをきっかけにして、少なくとも領土問題についての双方の立場を害することなく共存する方向にもっていく。現状では夢物語のようなことであるが。

②歴史認識問題の広がり
 2013年の末に安倍総理が靖国神社を参拝されたとき、私はなぜいま参拝なのかと問うたことがあった。小泉時代とちがい、尖閣問題が爆発している以上、中国を刺激するのは非常に危険だからである。しかし、翌年両国事務当局が知恵をしぼってつくった「四点文書」による初の安倍・習金平会談が実現した後、尖閣問題と靖国問題の二つをある程度片付ければ、日中間の歴史認識問題はけりがつくのではないかと考えていた。
 ところがいまは状況が全く違っている。いま中国が世界中にはりめぐらした網は、本当にすごい。例えば、上海交通大学には「東京裁判研究センター」が、上海師範大学には「中国慰安婦問題研究センター」があって、それぞれ歴史認識問題の研究を推進している。またユネスコ記憶遺産として南京事件を登録し、さらに慰安婦問題をも登録しようとし、日本の対応によって一旦は挫折したものの、このまま収まる様相はみえない。慰安婦問題というと、専ら韓国の問題と考えがちだが、そうではない。その後ろで中国が動かしている。少女像や徴用労働者の像はアメリカから欧州に広がり始めており、米国では、百戦錬磨の弁護士がアジアの案件を自国の案件として提起し始めている。
 それらがグローバルなネットワークを形成して動いており、われわれが気が付いたときにはあっという間に対日包囲網が形成されているという感じだ。最近友人になったエジプト人の日本研究者の話では、エジプトの華僑(華人)たちが、南京虐殺に関して(従来の30万人説ではなく)「300万虐殺」だと宣伝しており、一般エジプト人は「日本人はそんなに残虐なのか」と思い始めているという。
 中国にとって日本カードは実に利用しやすいもので、今後も中国の指導者の一部にはこのカードを持ち続けるだろうことは、覚悟しなければならない。
 2015年12月の日韓慰安婦合意の内容はよかったと思う。ところが朴槿恵大統領の弾劾を契機に、朴政権が行ったすべてを否定するような風潮になって、これもそれに巻き込まれた。慰安婦・徴用工をめぐる文在寅政権との今後の対応は、危ういものがあると思う。
 私は、この難しい問題については、日本人は、高次の道徳性を維持し、批判に対して動ぜずに謙虚に対応するしかないように思う。
 安倍総理の「戦後70年談話」(安倍談話)の中に、次のようなくだりがある。
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」。
 このパラグラフの前半は、メディアでもよく言及されていたが、後半の重要性を指摘するものはほとんど見られない。つまり、安倍総理としては、「子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせないようにしっかり自分は対応する」が、その上でなお自分を含む日本人は、「世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合」い、「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任」があると述べていることがほとんど知られていないのである。その土台の上で、同年12月の日韓慰安婦合意につながっていったのにもかかわらずである。
 中国との長期的な歴史戦を考えたときに、村山談話と安倍談話を一連のものとしてとらえ、未来に対する責任、過去を忘れないという謙虚さを示して、この謙虚さの顕示の中からいつか「日本の犯罪化」のための歴史問題は静かに幕を下ろすようになるのを待つしかないように思われる。そう考えるなら、歴史認識に関する、国家としての大きな方針の基礎は村山談話と安倍談話にあることを示しながら、歴史認識問題に対する日本としてのけじめをつけ、今後はもはや節目での総理の談話を出すようなことは必要のない時代を造らねばと思う。

(3)日露関係の正常化は安倍政権の下で実現するか?
①「新しいアプローチ」
 安倍総理の対露関係への原点には、父親の安倍晋太郎とゴルバチョフの関係への思い入れがあると思う。それゆえ父親が果たせなかった日露関係の正常化は、安倍総理にとっての大きな課題だった。
 一方、プーチン大統領は、2012年3月に大統領選挙前の記者会見で、日本語の「引き分け」という言葉を使いながら領土問題について日露双方が「双方が負けない」妥協点を探りたいと述べ、同時に経済協力推進の必要性を述べた。
 その後、ウクライナ問題による二年間の遅延にもかかわらず、2016年後半交渉が活性化された経緯はすでに述べた。2016年12月15~16日にプーチン大統領が山口と東京に来日し、安倍総理と一対一の会談を行った結果、北方領土問題について「新しいアプローチ」で進めることが合意された。しかしこの時、プーチン大統領は、領土問題だけではなく、経済全般と安全保障の二つの分野でも両国関係は発展しなければいけないと述べており、これはこれまでの日露交渉で双方により繰り返し言われてきたことでもある。
 まず経済関係についてであるが、2013年4月に安倍総理が大経済ミッションを引き連れて訪露した際に、「日露パートナーシップの発展に関する共同声明」を発表し、大プロジェクトから小規模・役に立つ中小プロジェクトを進めることとなった。その後2017年5月以降、すべてが順調にいっているわけではないが、一部の人たちは非常に熱心に取り組んでいる。ただ大プロジェクトが結実を見ないために、なかなかはずみがついていかないところがある。
 次に安全保障分野においては、日露国交正常化(平和条約締結)と日米安保条約の両立問題がよく指摘される。私には、プーチンは、日露平和条約によって日米安保条約の土台を壊そうとしているとは考えられない。他方広く報道された引き渡しの後の色丹島に、自衛隊にせよ米軍にせよ、ロシアをむいたミサイルを配置するかと言えば、そのようなことをロシアが了解するはずもないし、日本がするはずもない。安保条約との関係は、しかるべく整理することであり、外務省の専門家の出番以外のなにものでもない。
 もうひとつ、最近迎撃ミサイルの問題がよく報ぜられる。日本の迎撃ミサイルは対北朝鮮向けにすでに配備されてきたものであり、ロシア人と話していても、彼らは中国人ほど神経質な反応はしない。この辺は専門家が中心となり詰めて欲しいところだ。
 それでは最後に北方領土に関する「新しいアプローチ」とは何か。
 私が外務省で勤務していた1990年代「主権の輪」と「環境整備の輪」を同時に回すという議論し取り組んできた。主権問題は、正に四島の主権をどう動かすかの問題でありなかなか進捗しない。しかしその間、現場の北方領土では様々な問題が起きる。それが政治的に難しい問題にならないように一つ一つ手当をしようというのが「環境整備の輪」であった。墓参、ビザなし交流、四島周辺漁業問題、など6つの個別合意をして、現場の問題の政治化を避けてきた。それを可能にしたのが、ゴルバチョフが北方四島について領土画定の問題の存在をはじめて文書で認めた合意である(1991年4月)。
 今度の「新しいアプローチ」では、「主権の輪」は当面難しい状況にあるので、まず「環境整備の輪」から始めようということで日露が共同して四島を開発し、日ロで四島をいっしょに開発することがいかに実り多いかと言うことをまず先取り体験しようというものであったと理解している。そういう趣旨で、時間差のついた共同経済活動が行われた。
 以前とは順序を変えて進めたわけだが、2017年を通じて1つ、2つくらいはプロジェクトが進展していくだろうと予想していた。ところが一つも結実していない。なぜそうなのか。実際には、「主権の輪」が動かない状況の中で、「環境整備の輪」を動かすことは大変難しい。それをあえてやろうというわけなので、簡単なものから手をつけないといけないし、しかも次には必ず「主権の輪」を動かすことにつなげていかないといけない。法的構造がしっかりしたものをつくろうとすればするほど難しくなる。それゆえそうでないものについて小さいところから始めて、ある段階になったときに「主権の輪」について交渉することが道筋ではないかと思う。

②過去の逸機を鑑として
 安倍総理が「自分とプーチンの間で解決する」と言うのであれば、次の段階で主権の問題を首脳が解決していくことが不可欠になる。では、おおむねどのような内容でプーチンのいう「引き分け」としての平和条約にいたるのだろう。この点では、過去の逸機の経緯を考えて鑑とし、「二島+α」ということも考えないといけないだろう。
 過去に機会を逸したのは2回あった。ひとつは、1991年にソ連邦が崩壊し新生ロシアが誕生したとき、すなわちロシアが一番弱かったときだ。当時日本は、バブル全盛期であった。領土交渉は、ある面で国の力比べという側面もあって、最終的には国力がものをいう。このときロシアは譲歩する気持ちがあった。エリツィン大統領による「ロシア国民への手紙」(1991年11月16日)には、次のように書かれてある。
「近い将来においてわれわれが解決しなければならない問題の一つに、日本との関係における採集的な戦後処理の達成がある。・・平和条約締結への主な障害として、ロシアと日本との間の境界画定問題が提起されている」。
 そしてロシア側は、1992年3月コズイレフ=クナーゼと言う新生ロシア外務省による「非公式・極秘提案」を出してきた。その案によると、56年の「日ソ共同宣言」で(平和条約締結後の)引き渡しが決まっている歯舞・色丹二島についての引き渡し交渉を始め、合意を得た段階で協定を締結するが実際の引き渡しは控え、これに倣った形で国後・択捉の地位に関する協議を行い、それが妥結したところで、四島に関する平和条約を結ぶと言う提案だった。
 しかし、日本側は、「国後・択捉引き渡し」の保証が足りないとしてこの案を受け入れず、交渉はまとまらずそのまま流れてしまった。
 もう1回は、2000~01年にかけて行われた森・プーチン会談を中心とする交渉だった。この時双方は、92年提案が流れた経緯をよく考え、歯舞・色丹が先、国後・択捉があとと言う時間差ではなく、歯舞・色丹と国後・択捉の同時並行協議を考えだし、森総理からこれをプーチンに提案した。プーチンはこれに対し英語に直訳すれば「Let us see」と言う言い方で間接ながら、交渉進捗を了承した。けれども、その後小泉政権に交替し、日本側はこの並行協議から後退し、交渉は止まってしまった。
 この間の経緯をもう一回ながめてみると、「2」すなわち56年宣言に明記されている「歯舞・色丹の引き渡し」と、「アルファ」すなわち双方の間に実質的に合意のない「国後・択捉」についてのなんらかの合意であり、しかも「アルファ」は相当に小さいというのが、概ね交渉の射程ではないかと思われる。
 機会がうまく開いているときにうまくそれをつかまないと、相手はそのうちに縮んでゆき、結局は日本の取り分が小さくならざるを得ない。ロシアの関係者は、「プーチンほどこの領土問題を自分の外交課題として取り組める人物は、今後出てこないだろう」と口をそろえている。
 現在の北方四島の現状は、1990年代とは状況が大きく変化してしまい、どの島もロシアによって開発が進行中であり、ロシアによる実効支配は事実上強まっている。さらに開発は外国に対して大きく開かれており、中国人、韓国人、北朝鮮人などが入ってきているという。一方、日本政府は「不法占拠だから原則四島に入らないでほしい」と言う立場をかえず、例外措置としてのビザなし訪問などがごく限定的に行われているにすぎない。
 四島を追い出されて亡くなった人の魂の願いは、日本人が四島に戻ってくることだと思う。ただここまで来てしまった以上、「二島+α」という現実的なところからでも進める。不法占拠論をやめて、日本人も積極的に訪問しながら、時間をかけて日本とロシアの共生の島だという認識を深めさせていく。実際、そのようなアイディアが北海道民から出てき始めている。
 安倍政権には、2018年は北朝鮮問題を解決し、19年はロシア問題に集中し、20年秋以降は中国問題について「難しい問題を一つでもいいから解決していただきたい」と思う。戦争の危機も憂慮される東アジア地域において、日本外交は今後どう対応していくべきか。そもそも外交の課題は、いつの時代も戦争になる前に外交で解決するということにある。安倍総理のような保守のリーダーであれば、こうした難しい問題も解決できるのではないかと期待をかけている。

(本稿は、2018年1月30日に開催した「メディア有識者懇談会」における発題内容を整理してまとめたものである。)

政策オピニオン
東郷 和彦 京都産業大学教授・世界問題研究所長
著者プロフィール
長野県生まれ。1968年東京大学教養学部卒、外務省に入省。在ソ連邦日本大使館勤務、外務省ソ連課長等を経て、在米日本大使館総括公使、在ロシア日本大使館次席公使、外務省条約局長、同欧亜局長、在オランダ大使等を歴任。2002年退官後、ライデン大学、プリンストン大学、ソウル国立大学等で教佃・研究をし、2009年ライデン大学で人文科学博士。2010年より京都産業大学教授・世界問題研究所長。2011年より静岡県対外関係補佐官。専門は国際政治。主な著書に『北方領土交渉秘録』『歴史と外交』『戦後日本が失ったもの』『危機の外交』『返還交渉―沖縄・北方領土の「光と影」』ほか編著など多数。

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