難民政策はどうあるべきか ―難民危機と日本の対応―

難民政策はどうあるべきか ―難民危機と日本の対応―

2017年12月5日

はじめに

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が2017年6月に発表した世界難民報告書によれば、2016年末時点で「移動を強いられた人」の数は6560万人に上る(※1)。これは国のサイズで考えれば世界で20番目の規模である。昨年のリオデジャネイロ・オリンピックに初めて「難民選手団」が参加したのも、ひとつの象徴的な出来事であった。
 強制移動者のうち「難民」が2250万人、「国内避難民」(IDP)が4030万人、「庇護申請者」(難民認定申請者)が280万人である。世界人口のおよそ110人に1人がいずれかの形で避難を余儀なくされていることになる。
 「欧州難民危機」と言われるように難民問題は欧州や中東の問題だと考えられがちだが、実は難民の避難先は途上国が全体の84%を占めている。受け入れ人数が多い国はトルコ290万人、パキスタン140万人、レバノン100万人、イラン98万人、ウガンダ94万人、エチオピア79万人などとなっている。
 難民問題で特に憂慮すべきは、その半分が子ども、半分が女性という点である。弱い立場の子どもや女性たちを早急に保護する取り組みが必要である。

1.世界の難民問題

(1)何が問題か?

 世界を移動する人々には観光客や留学生、国際公務員などのように自発的に移動する人々と、難民のように強いられた移動をする人々がいる。国境を超えなくても国内で移動を強いられる人々もいる。難民や国内避難民を誰がどのような形で支援すべきか、国際的な課題となっている。

①増え続ける国内避難民

 では何が問題となっているのか。まず増加する国内避難民である。国内避難民は武力紛争、一般化した暴力、人権侵害、自然災害などによって通常の居所を離れて避難するが国境を超えていない人々と定義される。難民と同じような状態に置かれていても国境を超えていないという一点において国内避難民と呼ばれる。難民は母国に帰国すれば被害を被る「将来の危険性」に面しているが、国内避難民は居住する地域が封鎖されていたり武力攻撃を受けたりして「現在進行中の被害」を被っている。難民保護が国際社会の責任であるのに対し、国内避難民保護の一義的責任は政府にある。現在、政府に保護する意図や能力がなく不可視の状態となって国際社会から忘れられている4000万人の国内避難民が大きな問題となっている。
 さらに、国内においても避難できないまま屋内にこもっている人々、すでに死んでしまった多くの人々がいることも忘れてはならない。例えば、アフリカのコンゴでは過去40年間に内戦の被害やそれによる食糧不足で1000万人が死亡したと言われている。難民や国内避難民にもなれないまま死亡したため、正確な統計にも表れない。我々が問題視する「難民問題」の向こう側には、見えない形で大勢の国内避難民がいて、さらに向こう側には移動もできずにじっと迫害や紛争に耐えている人々や統計に現れてこない死者がいるということを念頭に置くべきである。
 ちなみに、最近タイから陸路バスでミャンマーに入国し、ミャンマー難民の帰還路をたどる機会があった。ミャンマーの国会議員やカレン州当局者らと話してみると、彼らは帰還する可能性のある難民の問題はほとんど意識していなかった。彼らにとってはむしろ5100万人の国民の貧困や食糧不足、インフラ整備の方がよほど重大な問題であり、いかに国民を養うかが関心事なのである。かつてタイに逃げて行き、今頃になって帰ってくる人々の住宅や教育の問題をなぜ心配するのかという反応であった。このままだと帰還した難民が故郷に戻れず、再び国内避難民となってしまう可能性がある。
 難民や国内避難民は紛争や災害によって発生するが、2010年以降は特に紛争による国内避難民が難民以上に増えている。その背景には、冷戦終結後に中東などで国内民族紛争と宗教紛争が増加したこと、武力紛争の戦術変化によって民間人が意図的に狙われるようになったこと(例えば民族浄化)、国外に逃げる旅は危険で大多数は逃げられないことなどがある。また後述するが、周辺国および北側先進国による制限的庇護政策によって難民になれず、目的地の国に到達するのが困難なことも背景にある。

②大量の難民流出

 次に、大量の難民が流出している問題がある。中進国だったシリアは6年間の内戦で「破綻国家」となり、無差別逮捕、拷問、処刑などが横行している。その結果、人口2200万人の人口の約3分の2にあたる1200万人が国内避難民、難民、庇護申請者となった。国内避難民は650万人、死者も50万人に上る。そして500万人の難民がトルコ、ヨルダン、レバノンなどに逃れた。日本人にはこれほどの規模の混乱は想像することさえ困難かもしれない。しかしこのような状況を皮膚感覚で理解できなければ、難民問題への的確な対応は難しい。
 その他にも南スーダンやソマリアから大量の難民が流出している。ミャンマーではイスラム系少数民族のロヒンギャ110万人のうち、12万家族の60万人が治安部隊による迫害を逃れてバングラデシュに脱出した。グテーレス国連事務総長はロヒンギャへの迫害は民族浄化以外の何ものでもないと述べている。

③周辺国への難民流入と滞留

 3つ目の問題は、周辺国への大量の難民流入と長期にわたる滞留である。シリア難民はトルコに300万人、レバノンに100万人、ヨルダンに70万人が流入した。レバノンの人口は400万人あまりだったが、人口の約4分の1にあたる100万人規模のシリア難民を受け入れている。途上国にとって長期化した難民問題は経済的、社会的、政治的、治安上の大きな負担となっている。
 難民の側から見れば貧しい国に避難しても十分な支援を受けることができない。住居、仕事、教育などへのアクセスが不足しており、将来がまったく見えない中で長期にわたって生活しなければならない。密航業者による搾取や人身取引の犠牲になる場合も少なくない。そのため強制送還や危険覚悟で帰国しようとする者や、さらに安全を求めて危険を覚悟で遠く離れた北側先進国に向かう者も出てくる。

④難民大量流入と欧州政治危機

 2015年に難民・移民110万人が4000キロ離れたドイツに一挙に流入した。欧州諸国は社会的緊張、経済的負担、政治的軋轢に直面し、大きな問題となった。そしてこのことが2016年のイギリスのEU脱退決定、米国におけるトランプ大統領誕生の一因であり、世界的な排外主義・自国中心主義の台頭につながったと考えることができる。周辺的な人道問題だった難民問題が、国を揺るがす安全保障問題、さらに国際問題になったのである。
 なお、このような事態は最近になって多少は落ち着きを見せている。2016年3月にトルコからギリシャへの不法移民をすべてトルコに送還することを定めたEU・トルコ協定が結ばれ、トルコからギリシャに向かう難民・移民の数が激減したためである。しかし一方で、西アフリカからリビアを経てイタリアに至る西地中海ルートは再び復活しており、2016年に10万人以上が移動、死者も5000人を超えた。難民をめぐる人道危機はいまだ続いている。

(2)難民問題の原因

①「強すぎる国家」(伝統的難民像)

 それでは、何が原因と考えられるのか。第一に、「強すぎる国家」が難民を生んできた。1951年の難民条約(※2)第1条では、難民とは「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義されている。強すぎる国家が人種、宗教、国籍、政治的意見を理由に特定の個人を迫害することにより、「政治難民」が発生する。東西冷戦の時代において難民問題は東側から西側に逃げてくるこのような比較的少数の政治難民を念頭に置いていたのであり、それが伝統的な難民像であった。
 政治難民は西側にとっても政治的価値があった。共産主義を捨てて自由主義、資本主義を選んだ人々は西側諸国で歓迎される存在だった。政治難民の多くは比較的高い教育を受けており、同じヨーロッパ出身である上、数も限られていたため社会的にも受け入れやすかった。しかし東西冷戦が終わってそのような政治難民の数は減少する。彼らの政治的価値は低下し、受け入れ国にとってはむしろ「負担」となった。

②「弱すぎる国家」(近年の難民像)

 1969年に採択されたOAU(アフリカ統一機構)難民条約は、難民を「外部からの侵略、占領、国籍国のいずれかの部分または全部における公の秩序を著しく乱す事件の故に国籍国を去ることを余儀なくされた者」と定義しているが、これは1950年代末からアフリカ大陸で起きた植民地解放を目指す紛争の中で数百万人の避難民が生まれた状況を反映している。1951年の難民条約は国内紛争や国際間の戦争を逃れる人々を目明示的に「難民」として認めないため、OAU難民条約は難民の定義を拡大し、「紛争難民」を含めるようになったのである。中南米諸国の地域的難民条約にあたる「カルタヘナ宣言」もの同様な難民の定義をしている。
 冷戦後の難民像も紛争難民と一致する。冷戦終結後、米ソ2大国の締め付けがなくなる中で、「統治の失敗」による紛争難民が増えた。政府が国内の紛争や騒乱を制御できず、実効的ガバナンスと治安が崩壊すると、大量の紛争難民が隣接国に流出する。こうした「弱すぎる国家」、すなわち脆弱国家や破綻国家が紛争難民を生むのである。

③移民・難民の混在移動

 移民と難民が一緒に移動することも難民問題を複雑化している。特に、若者が増えているアフリカや中東の国々では十分な仕事がなく、失業率が非常に高い。その結果、貧困や失業から「生きるために」外国を目指す「生存移民」(survival migrants)が流出している。生存移民は命がけでサハラ砂漠を超えてリビアに行き、さらに地中海を越えてヨーロッパを目指す。このような場合、難民と生存移民が混在し、区別するのが難しい。紛争は貧困を招き、貧困は紛争を招く。1人の中にも移民性と難民性が混在していているため、本人たちにも自分が移民なのか、難民に当たるのかわからない。難民審査をする国は誰を助け、誰を放置するかの選択を迫られることになる。審査担当者が外国事情に疎かったり、言葉や文化を理解していなかったりすると、判断が歪み、保護すべき難民を単なる経済移民として排除してしまう可能性が高まる。「移民を難民として受け入れるリスク」と「難民を移民として排除するリスク」に面して、先進国は後者のリスクを選んでいる。

④格差と移民・難民

 移民・難民の問題は格差とも関連している。グローバリゼーションによって格差が広がり、現在の世界経済は1%の富裕層が残り99%の人々より多くの富を所有する「豊かな1%のための経済」となっている。過去30年間、中国などの新興国では中間層の所得は伸びているが、先進国の中間層の所得の伸びは少ない。一方、貧しい国の所得は多少伸びているものの、まだまだ圧倒的に低い。極度の貧困は途上国の紛争の一因である。富裕国から貧困国へのODAなどによる「富の移動(再分配)」がなければ、貧困国から富裕国への「人の移動」が起るようになる。そして、先進国では大量移民の流入が中間層の反発を招き、難民・移民締め出しの動きが強まっている。
 グローバリゼーションの中での富の偏在は移民・難民問題の根本的な原因のひとつである。難民は「地球規模の負の外部性」である。ある国の「政府の失敗」が難民流出を通して他国に負の影響を与える。難民発生国に流出の責任を負う能力がないか意図がない場合、国際社会がどう対応するかが問われている。難民問題を国内的・国際的なレベルの格差、構造問題として考えて、実効的な対応を考えなければならない。

(3)国際社会の対応

難民の国際的保護

 次に、難民問題に対する国際社会の対応について考える。そもそも難民を国際的に保護する理由は何か。ひとつは、自国の保護を受けられない数千万の人々を助けるという人道・人権的理由である。もうひとつは、多数の難民を放置すれば国内的・国際的混乱を引き起こすという政治的理由である。シリア難民についてもUNHCRは内戦が勃発した2011年頃から各国に対応を促していた。しかし欧州諸国や他の先進国は支援に踏み切らず、結局、難民が自分たちの運命は自分たちで切り開くということで大挙して欧州に押し寄せることになった。難民問題を放置すれば周辺に問題が拡散し、結果的に国際社会により大きなツケが回ってくる。
 また難民の保護は地球規模の公共財(地球公共財)であり、難民を保護することですべての人々と国が政治的にも人道的にも利益を受ける。難民の国際的保護体制は国家的責任と国際的負担(責任)の分担が二大原則である。国家的責任とは、庇護国が主権の壁によって庇護希望者を領土的に庇護する責任のことで、特に重要なのが、1951年の難民条約第33条にある「庇護希望者を生命または自由が危機にさらされるおそれのある国に送還してはならない」とする「ノン・ルフルマンの原則」である。1967年の難民の地位に関する議定書、OAU難民条約、1984年の「カルタヘナ宣言」、そして難民に関するEU指令なども同じ考え方に基づいて作られている。
 そして難民条約の実行状況を監督し、保護・支援と解決策を探求するのがUNHCRの役割である。現在、1万人余りの職員が世界140カ国で活動している。予算の規模は難民数の増加や地域の拡大に伴って90年代後半から大幅に拡大し、現在は年間8000億円程度になっている。ただしUNHCRが単独で難民の保護活動を行っているわけではない。UNHCRは約950のNGOと協力し、総予算の半分はNGOの活動を通じて難民キャンプでの学校や診療所の運営、食料配給などに使われている。難民問題においてUNHCRが果たす役割は難民の保護・支援活動全体を調整することである。

 難民問題には3つの解決法がある。第一が1次庇護国での庇護と定住・永住・帰化、第二が出身国への自主的な帰還、第三が1次庇護国から2次庇護国への再定住である。このような事業に必要な費用は9割以上が日本を含む各国政府からUNHCRへの拠出金で賄われており、UNHCRはそれによって国内避難民や難民の支援活動を行っている。したがって難民問題において各国が果たせる役割は、庇護国となって直接的に難民を救うか、あるいは難民を救っている庇護国や国際機関に資金援助を行うか、いずれかである。一部先進国はこの両方をしている。

難民保護体制の限界

 ところが、このような難民保護体制はいろいろな意味で限界に直面している。第一に、「領土的庇護」の原則には内在的な限界がある。領土的庇護は自国までたどり着いた者の庇護を想定しており、たどりつかない者を庇護する義務はない。例えば、650万人に上るシリアの国内避難民については締約国に難民条約上の保護義務はない。地中海など公海上をボートで渡る難民も同様である。
 この原則が、近年のように数百万人の難民が一挙に押し寄せる状況においては、庇護責任がないことを逆手に取った先進国の「難民締め出し」を許すことにつながっている。難民条約が保護ではなく、排除のために使われるという皮肉な状況が生まれている。実際、出発空港でのパスポート・ビザ審査を強化したり、「安全な第三国」を経由した庇護申請を認めない事例、あるいは国境に鉄条網を敷設したり、海を渡って領海に入る前に阻止するなどの事例が横行している。
 第二の限界は、前述のように、増え続ける「紛争難民」が必ずしも難民と認められないという問題である。冷戦時代の少数の「亡命者」や「政治難民」とは異なり、今日の「難民」は国内武力紛争、治安悪化、ガバナンスの不全などを避けて外国に庇護を求める数百万の人々である。大量難民の流入を嫌う諸国は難民条約の制限的解釈によって「紛争難民」を排除している。そして難民認定ではなく、「補完的保護」や「人道的配慮」で短期間の滞在を認める傾向がある。これを踏まえ、UNHCRは2016年に「難民の国際的保護にかかるガイドラインNo.12」を出し、シリア難民などの紛争難民が十分に難民条約上の難民でありうることに注意を喚起している。
 第三の限界は、「フリーライディング(タダ乗り)」問題である。費用を払わなくても利用できる公共財には「タダ乗り」問題が伴い、難民保護という国際公共財も同じ問題に直面する。国家レベルでは、ある国が難民を引き受けてくれれば他の国は受け入れずに済むため、難民を押し付け合うことになる。シリア難民の大半はトルコ、レバノン、ヨルダンが受け入れており、欧州諸国は結果的に3カ国の受け入れにタダ乗りしている状態である。
 「タダ乗り」は個人(集団)のレベルでも発生する。難民条約により、どのような外国人でも庇護申請ができることになっている。庇護申請は必ず受理され、難民性の審査が完了するまで「ノン・ルフルマン原則」によって強制的に国外退去されることはない。この難民制度を利用して入国し、難民性を主張する経済移民・生存移民が急増している。その中で、難民申請者と審査当局の持つ情報が異なる「情報の非対称性」が認定作業を難しくしているという現状がある。
 第四の限界は、アメリカの「変節」である。第二次大戦以来、アメリカは難民保護を含む国際公共財の最大供給国であった。UNHCRの予算の4割近くはアメリカが拠出し、たとえ国務省が予算を減らそうとしても議会が反対するという構図だった。難民の受け入れ数も毎年10万人近い。難民問題に関する政策提言はアメリカが主導し、国際機関はアメリカの主導的役割を当然視してきた。
 ところが、トランプ大統領が「アメリカ第一主義」を打ち出し、外交姿勢は国際協調から「アメリカ・ファースト」へと変化した。かつて「アメリカの誇り」だった難民保護は「過剰な負担」と捉えられるようになった。アメリカが国際機関への関与と拠出を大きく減らす可能性もある。アメリカ依存の国際公共財供給制度が終焉する懸念が生じる一方、中国はUNHCRへの拠出金を増やし、難民受け入れにおいても存在感を高めつつある。

(4)新しい動き

庇護から保護へ

 これまで述べてきたように、難民問題に対する「待ち受け型」庇護体制の限界が認識されるようになっている。1998年に策定された「国内避難民に関する指導原則」(Guiding Principles on Internal Displacement)や2005年の国連首脳会合の成果文書でも取り上げられた「保護する責任」(Responsibility to Protect)の概念などは、「難民予備軍」である国内避難民の難民化を未然に防ごうとする強制移動問題への国際社会の対応の変化を示すものと言える。難民問題への対応には、難民がたどりついた庇護国における「将来の被害からの救済(庇護)」から、出身国や周辺国での「現在進行中の被害からの救済(保護)」という潮流の変化が見られる。
 具体的には、より積極的かつ合法的な受け入れの試みとして、受け入れ国での難民認定を通さない受け入れ、女性や子供、病人などを対象とした第三国定住制度、人道ビザの発給、留学生や労働者としての受け入れなどが考えられている。日本政府がシリア難民を(難民としてではなく)留学生として3年間で150人受け入れる制度を開始したのも、この一例である。

法的保護から経済的保護へ

 難民の持つ経済力・生産力に着目した制度も始まっている。「難民経済特区構想」は、オックスフォード大学のアレクサンダー・ベッツやアフリカ研究で有名なポール・コリアーが提唱したアイディアで、難民を「負担」と捉えるのではなく建設的な「労働力」として受け入れ、経済的にも受け入れ国に貢献してもらうという発想に基づく。
 ヨルダンではEUが難民キャンプ近くでパイロット事業を開始した。企業が全従業員の20%の難民を雇用することを条件に、52の製品についてEUが関税特権を与えるなど輸入面での配慮もある。世界銀行も事業に参加して融資を行っている。背景には、欧州での保護は非常に高額(1人1万ドル以上)であるのに対し周辺国での支援費用は低いことから、同じ費用でより多くの難民の支援を行い、かつ周辺国の経済にも貢献することができるという期待がある。また難民が経済特区に留まることで欧州への危険な旅を防止し、将来の本国帰還も容易になるという利点もある。

移民問題と難民問題の連結

 移民問題と難民問題を別個に扱わず連結して考える動きも見られる。2016年9月に国連総会で開かれた「難民と移民の大規模移動に関する国連サミット」では、初めて移民・難民問題が同時に討議された。そして「難民及び移民に関するニューヨーク宣言」(※3)が採択され、「安全で秩序ある正規移住に関するグローバルコンパクト」と「難民に関するグローバルコンパクト」を2018年に採択することが決まった。「難民に関するグローバルコンパクト」については、UNHCRが中心となって新たな難民保護の仕組みを検討している。

2.日本の難民(移民)問題

 日本は諸外国から「難民鎖国」と批判されるほど難民の受け入れが少ない。庇護申請は2010年頃から急増し、2016年は1万901人だった。一方、認定数は28人で過去十数年の年間認定数は数十人程度にとどまり、平均認定率は0.2%に過ぎない。日本の難民問題には少なすぎる受け入れと急増する申請という二つの面がある。
 庇護申請者急増と認定率急落には二通りの解釈がある。一方の解釈は、認定数が少ないのは「真の難民」が少ないため(=難民が来ない)であり、申請の急増は制度の「誤解者」や「濫用者」が増えたためである。したがって、とるべき対策は複数回申請や無条件稼働許可を抑制するということになる。もうひとつの解釈は、認定数が少ないのは日本の難民認定が国際基準を満たさないため(=難民を入れない)であり、申請の急増は世界的に難民が増えている流れの一環である。この場合、対策として認定基準の明確化・透明化など手続きの改善が必要となる。共通の認識としては、難民条約だけでは救えない人々が増加しており、救済のための「新しい枠組み」が必要だということである。

(1)庇護認定申請者が急増する理由

 庇護認定申請者が急増した最大の理由は、2010年に法務省が、合法的滞在者が庇護申請をした場合には6カ月経過後に一律で就労を認めるとする取り扱いを導入したことである。仮に不許可になっても繰り返し申請することができる。この取り扱いが口コミで東南アジア諸国に広がり、日本での稼働を希望する人々に利用されるにようになった。この措置は、少子高齢化によって労働力不足が深刻化する中でも「単純労働力は受け入れない」とする政府の一貫した方針に悩む中小事業所にとっても好都合であった。
 背景には、日本と東南アジア諸国の間の人口動態格差と経済格差による人の移動圧力がある。日本での庇護申請者の大半は中東やアフリカの紛争国ではなく、インドネシア、ネパール、ベトナムなど東南アジア諸国からの申請者である。インドネシアからの申請者は2014年の17人から2016年の1829人に急増している。東南アジア諸国は経済発展が続いているが、若者の失業率は高く、日本との所得格差もいまだ大きい。他方で、日本側の労働力不足は深刻化している。このような構造的問題がある限り難民制度の利用へのインセンティブは残る。増え続ける難民申請に苦慮する政府は最近、6カ月経過後の一律就労許可をやめる方針を打ち出したが、それがどの程度の効果を生じるかは不明だ。

(2)日本の難民受け入れ数が少ない理由

 一方、受け入れが少ない理由としては、まず紛争国から遠いという地理的条件や日本語の壁が影響している。また受け入れが少ないために難民コミュニティも小さく、支援が充実していないという理由もある。さらに、日本は「難民鎖国」というイメージが定着しているため、最初から難民申請の選択肢に入らない場合が多い。これまで認定を受けた難民も、始めから日本を希望していた人はほとんどいない。日本経由で他の国を目指していたが、その国への入国が叶わないのでやむを得ず日本で難民申請したという人が大半である。
 第二の理由は、法務省の制限的な難民認定基準である。法務省は1951年の難民条約の厳格な解釈による難民認定を続けており、「紛争難民」は難民と認めていない。2011年から2016年の6年間で難民申請したシリア人69名のうち、認定を受けたのは7人のみであった(残りの申請者には退避機会としての在留許可が与えられた)。時代遅れともいえる難民条約に固執することで結果的に難民を締め出している。年間に数千、数万人単位で受け入れる欧米諸国に比べると年間30人足らずの認定数はゼロに近く、日本の難民認定制度はほとんど意味を持たないと言っても過言ではないが、難民受け入れ数を増やす政策的な指向性は見られず、高度人材や技能実習生などの積極的受け入れとは対照的である。
 第三の理由は、「移民は受け入れない」という政策の影響である。経済的には、労働力不足の中で企業が外国人労働者を欲しがっている。しかし社会的には外国人労働者への不安感が強い。2015年に朝日新聞が実施した社会意識調査では「難民を積極的に受け入れるべきでない」と回答した人が6割、外国人労働者(移民)の受け入れ拡大にも大半が消極的で、20年前の1996年の調査とほとんど同じ結果であった。
 経済の求めと社会の反対の狭間で、政治家や政府は「役に立つ外国人」は例外的に期限付きで受け入れるが、「役に立たない」定住・永住移民は受け入れないという妥協的な対応をしている。難民は定住・永住し、かつ役に立たないからお断りということになる。背景にあるのは日本中心の損得勘定のロジックだ。移民政策が難民政策を制約し、損得勘定で難民政策が決められているのが現状だ。そこには難民庇護をめぐる国際的負担や責任分担という理念が欠如していると言わざるを得ない。


 以上の理由をまとめると、図4のようになる。日本の「難民鎖国」には重層的な障壁があり、それを崩すのは容易なことではない。法務省入国管理局の方針だけが理由と考えるのは正しくない。

(3)日本の難民政策の方向性

 それでは、今後の日本の難民政策はどうあるべきか。まず、難民認定基準を弾力化する制度改革を行い、年間で100人程度の難民認定、人道的在留許可を含めて500人程度の「数値目標」を設定すべきである。具体的には、難民認定にかかる国際基準であるUNHCRガイドラインNo.12を参考にして紛争難民の難民としての救済に道を開くべきだろう。また単純労働者の合法的な受け入れルートを開くことも検討すべきである。例えば、韓国は10年前から「外国人雇用許可制度」を導入し、日本と比べて難民制度が悪用される度合いが低くなっている。
 第三国定住事業を拡大し、シリア難民などの再定住受入れも開始すべきである。現在はミャンマー難民を年間30人のみ受け入れているが、民主化の進展によって難民の帰還が始まり、再定住の必要性は低下している。それに対してシリア難民は140万人が受け入れを待っている。
 難民認定制度を通さず、JICAや文部科学省が留学生として難民を受け入れることも可能である。シリア難民についてはすでに2017年から5年間で150人(家族を入れて300人程度)を受け入れることが決まっている。また企業による雇用という形の受け入れも有効で、ユニクロは世界で100人の雇用を開始した。
 日本の得意分野である資金協力は今後も継続すべきである。日本政府はUNHCRに対しても年間200億前後を拠出して数百万人の紛争難民と国内避難民の救済に貢献している。今後はODA資金を投入してヨルダンなどでの「難民経済特区」プロジェクトを支援することも検討する価値がある。このプロジェクトにはすでにEUや世界銀行も資金協力をしており、日本が参加すればさらなるシナジー効果が期待できる。
 民間からの寄付による貢献の可能性も大きい。国連UNHCR協会は2016年に約12万人の支援者から28億円もの募金を集めてUNHCRに送金している。日本人の心の大きさを感じる。
 総合すると、日本は「タダ乗り国家」ではないが、難民の受け入れ数があまりにも少ないために貢献度の評価が割り引かれてしまっている。多額の資金協力は行っているが日本に対する国際的なイメージは悪く、「難民を受け入れる」ことによる国内コストより、「難民を受け入れない」ことによる国際的コストがいかに大きいかを認識すべきである。

終わりに

 中東や北アフリカ諸国を中心に国家の枠組みが弱まった国が増え、紛争や貧困を流れて外国に流出する移民・難民の流れは弱まりそうにない。それはまた彼らが流れ込む国での反難民・反移民の動きを引き起こす。人道と政治、人間の安全保障と国家の安全保障を両立させるのは容易ではない。そのような中で、国民の「内向き」志向が強い日本は「国際社会で尊敬される国」になるために何ができるのか、2018年の国連での難民に関するグローバルコンパクトの策定作業の中で今一度考えてみることが求められるのではないか。

(本稿は、2017年9月16日に開催した政策研究会における発題をもとに整理してまとめたものである。)

 

※1 UN High Commissioner for Refugees (UNHCR), Global Trends: Forced Displacement in 2016, 21 June 2017, available at: http://www.refworld.org/docid/594aa38e0.html.

※2 1951年の「難民の地位に関する条約」および1967年の「難民の地位に関する議定書」を合わせて「難民条約」と呼ぶ。

※3 UN General Assembly, New York Declaration for Refugees and Migrants : resolution / adopted by the General Assembly, 3 October 2016, A/RES/71/1, available at: http://www.un.org/en/ga/search/view_doc.asp?symbol=A/RES/71/1

政策オピニオン
滝澤 三郎 国連UNHCR協会理事長
著者プロフィール
東京都立大学大学院博士課程を経て、法務省入省。カリフォルニア大学バークレー経営大学院修了、米国公認会計士(CPA)資格取得。1981年国連ジュネーブ本部採用。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)、国連工業開発機構(UNIDO)ウィーン本部財務部長、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ジュネーブ本部財務局長などを経て、2007年から2008年8月までUNHCR駐日代表。国連大学客員教授を経て、2013年4月東洋英和女学院大学教授に就任。2009年から2014年まで東京大学大学院総合文化研究科特任教授を併任。2016年3月から現職。専門は国際機構論、移民・難民問題、国際関係論。

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