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政策オピニオン

日本型家族政策の考察

―少子化対策はなぜ成果をあげないか―元内閣府参事官・少子化社会対策担当、増田社会保障研究所代表 増田 雅暢

日本の少子化の現状

 「日本型家族政策の考察」とは、やや大仰なタイトルと思われるかもしれない。私は以前から「少子化対策ではなく、家族政策の視点で政策を考えるべきではないか」と提案してきた。そのことを踏まえてお話ししたい。
 10年前、私は内閣府で少子化社会対策を担当していた。その経験を基に、『これでいいのか少子化対策』(ミネルヴァ書房)という著書を上梓した。もともと厚生省に勤務していた時から、社会保障の政策のあり方に関心を持っていた。
 厚生省時代には介護保険制度の創設に携わったので、介護保険の政策過程も研究テーマとしている。それから内閣府での経験を生かして、少子化対策についても研究している。
 このところ、過去十数年にわたる少子化対策がなぜ成果をあげていないのかという疑問が各方面から提起されている。日本経済新聞からも今年2月、このテーマでインタビュー取材を受けた。
 さて、「出生数・合計特殊出生率の年次推移」(図1)を見ると、二つの山、第一次ベビーブーム(1947~49年)と第二次ベビーブーム(1971~74年)があるが、第二次以降は一貫して出生数、合計特殊出生率とも低下している。2005年には過去最低となる1.26を記録した。
 私が内閣府に在職していたのが2004年から2006年で、合計特殊出生率(以下「出生率」という)を反転上昇させるというのが政策目標であった。当時は第一次安倍内閣で、猪口邦子少子化担当相の元で仕事をしていた。
 2006年から出生率は若干の回復傾向を見せ、直近では昨年の1.44である。
 ただ、出生率は回復基調にあるものの、出生数自体は出産可能な女性の数が減少しているため、昨年初めて100万人を割り込んだ。その意味で、後世から振り返った時、2016年は日本の少子化問題の中で転換の年になるのではないかと思う。

少子化対策の歴史

 「少子化対策の取り組みの歴史」(表1)を見ると、これまで多くの対策が講じられてきたことが分かる。
 1990年、「1.57ショック」が起きた。1989年の出生率がひのえうまの年(1966年)の出生率1.58を下回り、これを機に少子化問題が注目を集めて、政府は少子化対策に乗り出したわけである。
 最初は厚生省を中心に政策が進められた。政府をあげて取り組むようになったのは、1999年の「少子化対策推進基本方針」からである。当時は小渕内閣であった。
 2000年代に入ると、2003年に「少子化社会対策基本法」が制定され、少子化社会対策担当大臣が新たに任命された。そして内閣府に少子化社会対策チームが設置された。2004年には「少子化社会対策大綱」がまとめられた。
 また、2001年の小泉内閣時代に待機児童ゼロ作戦が打ち出された。当時は「ゼロ作戦」という言葉が流行した。厚生省では「身体拘束ゼロ作戦」という、介護保険施設で体を縛り付けないようにする方針が出されたことがある。その流れで待機児童ゼロ作戦という表現が使われた。
 次いで2008年に「新待機児童ゼロ作戦」、2013年に「待機児童解消加速化プラン」が打ち出された。計画では今年度中に待機児童ゼロを達成するはずであったが、3年延長されることになった。最初のゼロ作戦当時の子どもは、すでに大学生の年代である。このあたりにも、政策の遅れが現れていると言えるのではないかと思う。
 国の代表的な少子化対策を比較してみる。
 「エンゼルプラン」(1994年)は基本的に厚生省中心の政策で、保育対策が中心であった。「次世代育成支援対策推進法」(2003年)は、企業も行動計画を作成し、従業員の子育て支援を進める企業の取り組みを促進する法律であった。もともと10年間の時限立法であったが、さらに10年延長されている。
 「少子化社会対策大綱」(2004年)は、保育だけでなく全般的な対策である。例えば、この時に課題となったのは、90年代のバブル経済崩壊後の「失われた10年(もしくは20年)」の経済不況下にあって、若者の非正規雇用が増えてきたことであった。ゆえに、若者の雇用対策や若者の自立に力を入れるようになっていた。そして普及啓発の面で、命の大切さ、家族の役割の重視を打ち出している。これを契機に後に「家族の日」「家族の週間」が設定された。
 その後、少子化社会対策大綱の実施プランとして、「子ども・子育てビジョン」(2010年)が打ち出される。さらに、ワークライフバランス憲章に基づく子育て支援なども取り上げられるようになった。
 それから、「子ども・子育て支援法」(2012年)は、新しい子ども・子育て支援システムを作成するという趣旨で、幼稚園や保育園の運営費助成を自治体レベルで一本化することなどが盛り込まれている。これは社会保障と税の一体改革に関連したシステム作りである。
 直近では「少子化危機突破のための緊急対策」(2013年)が作成されている。少子化の原因として未婚者の増加が大きくクローズアップされ、地域で若者の出会いの場を設定する、それを政府が支援するという政策も盛り込まれるようになった。いわゆる「婚活」である。私が内閣府に在職していた当時は、政府が出会いの場の提供を支援することは結婚の自由への干渉であり問題があるとされ、さすがに政策化できなかった。しかし最近では、そうしたことも政策として実施されている。

2040年には90万人減

 「1.57ショック」以降、様々な対策が講じられたが、出生率は2005年には過去最低の1.26に落ち込んだ(図2)。
 私は内閣府時代に「新しい少子化対策について」に取り組み、当時の目標通り、出生率の反転上昇に成功した。「新しい少子化対策」の方向で政策を展開していけば、早期に1.5程度には回復すると考えていたが、その後紆余曲折して、10年を経た現在も1.4台にとどまっている。結局、2006年以降に反転上昇しても、政府が少子化対策を始めるきっかけになった1989年の1.57には未だに達していない。
 次は、今後の予測を含む人口の推移である(図3)。今年4月に発表された日本の将来推計人口によると、総人口のピーク2010年頃で、現在はすでに年間約30万人の人口減少が始まっている。人口減少は加速度的に進み、2060年には9000万人を割り込む。一方、高齢化率(総人口に占める65歳以上の高齢者の割合)は約4割である。
 ただ、前回(2012年)の推計と比較すると、出生率を高水準で見込んでいるため、人口減少の度合いは若干小さくなっている。今回の推計では1.44に設定している。前回は1.35であった。あまり差がないように思えるが、2065年の段階で700万人の差が出る。つまり出生率を回復させることが非常に重要である。ちなみに安倍内閣は「希望出生率」として1.8を目標に掲げている。
 次は、出生数と死亡数の推移である(図4)。かつては出生数が大きく上回っていたが、少子化で急速に減少する一方、死亡数は高齢化に伴って相対的に増えてきた。2005年頃に出生数と死亡数が交差。その後は死亡数が増え、近年は約30万人の人口減少になっている。
 2040年頃、死亡者数は170万人になる。それに対して出生数は78万人と予測されており、この時点で年間約90万人の人口減少が起こる。海外からの移民がない限り、人口は減少していくわけである。1年間で90万人減少するというのは、危機的な状況と言わざるを得ない。
 ちなみに、現在はすでに「多死社会」に入りつつある。かつては「少子社会」が新しい言葉として注目されたが、今や「多死社会」が社会的に広く認知されるようになった。

少子化の原因と背景要因

 では、少子化の原因及びその背景要因として何があるのか。
 少子化の3大原因は「若者の未婚化・非婚化の進行」「若者の晩婚化・晩産化の進行」「夫婦の子ども数の減少」である。これらの背景には「経済的に不安定な若者の増大」「結婚観や価値観の変化」「育児・教育コストの負担が重い」「仕事と子育ての両立の負担が困難」「母親(妻)の精神的・身体的負担が重い」といったことがあげられる。実際に既婚者に調査すると、「育児・教育コストの負担」が最も大きな影響を与えているという結果が出る。また、「仕事と子育ての両立が困難」であることも大きい。
 このため、従来の少子化対策は、こうした背景に対して様々な対策が講じられてきた。ただ、先ほども申し上げたように90年代から講じられてきた対策が成功したとは言い難い。これまでの対策がなぜ少子化を止められなかったのか。その理由について説明したい。
 大きな理由の第1点は、1990年代は「第3次ベビーブーム」が到来するものと予測していて、非常に楽観的な風潮が漂う中での対応であったことがあげられる。
 将来推計人口は、厚生労働省の社会保障・人口問題研究所が国勢調査をもとに5年ごとに発表しているものである。調査ごとの出生率予測は、1981年推計では2.09という、人口置換水準(人口が増減なく一定となる水準)になっている。次の1986 年推計では2.0である。1992年推計では1.8と低下するが、1.57ショックの直後でも将来は1.8になると見込んでいたため、少子化対策に本格的に取り組むという機運は盛り上がっていなかった。また、第2次ベビーブーム世代の子どもたちが90年代後半から2000年代前半に出産期を迎えるため、ベビーブームの到来を期待する雰囲気があった。
 97年推計では1.61。そして2002年推計では1.39という実態に合った数字になってきた。さらに2006年推計が1.26と過去最低。2012年推計が1.35、そして今回2017年推計が1.44である。
 90年代の推計は、意図的に高い数値にしていたのではないかという批判もある。私も一時期、研究所に籍を置いていたので言わせていただけば、この推計は国勢調査のデータと過去5年間の日本人の結婚・出産の動向から導き出す。そのため、どうしても推計時点以前の動向に影響を受けてしまい、結果的に高い出生率の設定になっていたのである。
 少子化を止められなかった理由の第2点は、第2次ベビーブーム世代に対して、総合的な少子化対策が講じられなかったということである。当時、子育て世帯にアンケート調査をすると、「経済的支援の充実」に対する要望が最も高かったが、財政上の理由から対応が遅れてしまう。今でこそ児童手当は充実しているが、90年代はまだ3歳までしか支給されなかった。なおかつ金額も月5000円だった。その当時の子どもはすでに大学を卒業する年代である。私も学生たちに聞いたが、誰も児童手当のことを知らなかった。それほど限定された対策であった。
 ようやく2007年、私が内閣府で取り組んだものであるが、乳幼児加算という3歳未満児の児童手当が加算された。さらに2009年、民主党政権が子ども手当をマニフェストの一つに掲げて大幅に拡充した。その後、児童手当に戻ったが、一定の水準にはなっていると思う。ただし、対応が遅れたのは確かである。
 また、保育サービスの拡充がニーズに追いつかなかったということもある。先ほど、待機児童ゼロ作戦と言いながらなかなか整備されなかったと申し上げたが、政策論的に言えば、認可保育所中心主義になっていた。一定の施設基準、人員配置基準が満たされなければ補助金を受けられない。つまり規制改革が遅れたということだと思う。2000年代に入って、株式会社でも認可保育所を運営できるようになったが、規制が強く、なかなか参入できなかった。
 このことはよく介護保険と比較されるが、介護保険の場合には在宅で民間企業の参入を本格的に認めたため、あっという間にサービスが拡充した。保育はそうはいかなかったということである。
 それから幼保一元化問題に時間をとられた。日本では30年間、この議論が行われたが、非常に観念的な議論であった。認定こども園という制度ができたが、当時の待機児童ゼロ作戦にはさほど貢献しなかったというのが現実である。結果として、都市部において多数の保育所入所待機児童が存在していた。
 もう一つ、両立支援策(ワークライフバランス)も進まなかった。2000年代後半に、ワークライフバランス憲章が作られたりして、少子化対策の大きな柱の一つになった。ただし、私の印象としては、掛け声倒れの感は否めない。例えば、スウェーデンなどと比較すると、育児休業制度も制度として不十分な点が多い。つまり政策のバックアップが追いついていない。特に男性の育児休業取得率は3%(2016年)にとどまっている。それでも過去最高であった。2020年の目標値が13%であるが、このままでは達成は困難である。
 従来の対策が少子化を止められなかった理由の第3点は、1990年代以降の経済不振が未婚化等の進行の要因になったということである。やはり非正規労働者の増大や若者の就職困難は、結婚や出産に影響を与える。

不十分だった政府の体制

 次に、厚生省児童家庭局企画課長として少子化問題に携わってこられた大泉博子元衆院議員が本研究所の研究会で指摘された内容を引用したい(政策オピニオンNo 33.『少子化対策はなぜ効果をあげられないのか』)。
 大泉氏によれば、政策論的には厚労省のボトルネックがあった。一つは同時期の政策課題である介護保険が優先された。介護保険も90年代半ばに検討して、97年に法律ができた。ちょうどエンゼルプランが議論された時期と重なっている。当時の厚生省が介護保険や医療保険の整備を最優先とし、児童家庭局の政策が後回しになったのは確かである。
 それから、厚労省の誕生により、女子労働の改善の視点が重視されたと指摘されている。この点は私も同意見である。実は2001年に省庁再編で厚労省ができた際、旧労働省の雇用均等局と旧厚生省の児童家庭局が一緒になって、雇用均等・児童家庭局ができた。これを略して「雇児局」と呼んでいた。当時の局長は、旧労働省出身者が続いていた。私も内閣府で少子化を担当していた際、雇児局長や雇児局の課長さん達と直接話す機会が多かったが、特に女性の局長・課長は、仕事と育児の両立支援策や女性の就労支援に大きな力を注いでいた。一方で専業主婦を選んだ女性に対する支援は、女性が勝手に選んだのだから優先順位は低い、というような雰囲気だった。
 大泉氏は、こうした指摘の上で、五つの提言をされている。「人口政策として取り組む。少子化の言葉はやめる」「若者の声を優先する」「教育費の問題を改善していく」「現物給付を重視」「生物学的な適齢期があることを周知徹底する」ということである。
 大泉氏のご指摘も踏まえてさらに考えてみると、少子化を止められなかった理由として、次のような構造的な問題も原因としてあげられるだろう。
 一つは「少子化対策」という名称に対する反発や誤解である。「子どもや若い世代だけの問題」ととらえられたり、一方で「出産を強制するもの」ととらえられたりした。戦前の「産めよ増やせよ」政策であると観念的にイメージして批判する人もいた。また、「出生率回復の効果が見えない」と、政策の推進に社会全体の合意を得にくい状況があった。
 二番目に、政府の組織体制が不十分だったことがあげられる。内閣府に少子化担当大臣が置かれたものの、他の業務との兼任である。初代大臣は小野清子氏で、国家公安委員長との兼任であった。2代目の南野知惠子氏は法務大臣と兼務していた。3代目の猪口邦子氏は男女共同参画などとの兼任であった。しかも長くても1年で交代しており、14年間で実に21人が担当している(2017年7月現在)。少子化担当大臣は自身で発言しなければ、目立たない。現在の大臣が誰か、おそらく知る人は少ないのではないか。この点でも、少子化問題の重要性が強調されていても、力点の置き方が不十分ではないかと言わざるを得ない。
 それから、実質的には厚労省や文部科学省など事業担当官庁の権限が強いことがある。しかし、厚労省においては少子化対策よりも、年金、医療、介護等の行政課題の方が優先順位が高い。このため、施策の拡充が遅れがちであった。私が内閣府に在籍していた頃は、官邸のリーダーシップも弱かった。

家庭保育への支援不足

 少子化を止められなかった4番目の理由として、政策の選択の問題もあったのではないかと考える。
 90年代は楽観論の中で対策が講じられてきた。2000年以降は体制が不十分なまま実施されてきた。振り返ると、総合的な対策をしっかりと打ち出していたかというと、疑問と言わざるを得ない。
 一番目は、これまで一貫して保育所対策に傾注してきたが、待機児童は依然としてなくなっていないように、不十分な点があるということである。先ほど指摘したように、規制改革の問題とも関連している。
 それから、フランスは保育ママ制度を活用し、イギリスでは5歳から幼児教育を始めるなど、各国は様々な対策を講じている。しかし日本の場合、従来の認可型保育所中心の対応で、なおかつそれも不十分である。
 二番目は、総合的な政策が重要であるが、「現物」か「現金」かといった観念論の議論に終始したということがある。
 三番目は、家庭保育に対する支援不足である。妊娠・出産した女性に意識調査を行うと、仕事を辞めた理由のトップは「両立が難しい」からではなく、「家事育児に専念するため自発的に退職した」という人が最も多い。次が「両立が難しい」である。つまり、一時的にでも専業主婦を選択した人に対する支援策が乏しい。これは保育所利用者と在宅保育者間の不公平につながる問題である。
 妊娠・出産で仕事を離れる女性には三つの選択肢がある。一つは育児休業をとる。この間は育児休業給付金が支給されるし、児童手当も支給され、いずれは仕事に復帰する。二番目は保育所に子どもを預ける。給与を維持できるほか、児童手当も支給される。保育所に預けることは、ゼロ歳児であれば月に30万円から40万円の経費が投入されることになるが、自己負担は高くても数万円で保育サービスを受けることができる。三番目は、仕事を辞めて、保育所も利用せず、家庭で子育てをする場合であるが、支給されるのは児童手当だけである。将来の仕事は未定である。このように、女性の子育て方法の選択により、不公平を生じることになる。就労を維持した方が、社会的支援が大きいということで、就労優先の仕組みである。
 さらに、政策の選択の問題として、就業状況の変化への対応が遅れたことがあげられる。これは90年代、非正規労働者の増加に対する対策の遅れである。
 もう一つ、大きな課題として社会保障給付費における児童家族関係費の割合がある。
 2013年のデータによると、高齢者関係給付費が75兆6000億円に対して、児童家族関係給付費は5兆5000億円である。割合は14:1。社会保障給付費の7割は高齢者関係であり、児童家族関係は5%にとどまる。給付額としては、高齢者関係は以前より増え続けている。
 高齢者関係の給付を削減して児童家族関係に割り振るべきとの議論があるが、政策的には簡単ではない。もちろん無駄があれば省くことは必要だが、高齢化の進行と共に必然的に増加している部分もある。ゆえに、高齢者関係給付費の動向とは別に、児童家族関係給付費をいかに増加させるかが政策的に大事になるであろう。
 次は、児童手当制度の動向である。先ほど申し上げたように、子ども手当によって大幅に拡充された。支給対象は中学校卒業まで。3歳未満には月額1万5000円、それ以降は1万円である。
 かつての児童手当の時代は、全体の支給額が1兆円であった。現在は2.3兆円で、大幅に拡充された。まだヨーロッパ並みとは言えないが、以前と比較すると充実してきたと言える。

高い出生率の沖縄県

 次に、合計特殊出生率の都道府県別比較を見ると、沖縄県は日本に復帰してから、一貫して出生率が全国1位である。全体的には西日本、特に九州で高い傾向がある。一方、低いのは東京、北海道、東北である。地方自治体レベルではすでに2010年頃から人口減少が問題になり、消滅可能性自治体ということも言われ出した。
 沖縄県が高い合計特殊出生率を維持している要因として、内閣府の資料では次の3点をあげている。一つは、保育施設が充実していること。認可保育施設に加えて、多くの認可外保育施設があり、働く女性の育児を支援している。沖縄は、高齢者関係でもデイサービス施設などが介護保険以前から多くあった。介護や保育のサービスが広範囲に提供されてきたわけである。
 二つ目は、沖縄には伝統的な相互扶助の文化が維持されていて、ユイマールやモアイといった沖縄独自の伝統的な絆が残るため、親密な人間関係に基づいた地域の子育て力があること。つまり、地域で子育て支援をすることが当たり前というわけである。
 実は合計特殊出生率が沖縄と共に高いのが奄美大島である。奄美大島は2.0を超えている。自治体から特別の手当があったり、保育所が整備されたりしているわけではないが、地域での助け合いにより子どもを育てやすいということである。地域における相互扶助は、非常に重要な点であろう。
 内閣府の「少子化社会に関する国際意識調査」(平成27年度調査)で、日本、フランス、スウェーデン、イギリスの4カ国を対象に「子どもを生み育てやすい国か?」を聞いている。対象は20歳から49歳までの男女700名である。それによると、「とてもそう思う」が日本は8.0%、「どちらかといえばそう思う」が38.6%、合わせて46.6%である。それに対して、日本より出生率が高いフランスは70.6%、イギリスも70.3%、スウェーデンは実に97.9%である。
 なぜ、こうした高い数字になるのか。単に児童手当や保育所が充実しているということではなく、総合的に政策が整っているからだと言えるであろう。その結果、子どもを生み育てやすいと国民が実感する。それによって出生率も上昇する。やはり少子化対策は個別の政策ではなく、総合的な対策が必要ではないかということである。

「家族政策」の定義

 それでは、「家族政策」とは何かを考えてみたい。
 先ほど申し上げたように、「少子化対策」という言葉が、かえって政策の発展拡大を阻害してきたと考えている。私は以前から、「家族政策」(ファミリー・ポリシー)という言葉に切り替えて、政策の発想転換を図るべきではないかと提唱してきた。しかし、「家族政策」という言葉は日本の行政分野では定着していない。
 「家族政策」を定義すると、「家族機能を維持していくために、家族や家庭内の問題を未然に防いだり、あるいは解決したりすることを目的として、家計や生活面に対して、社会的に家族を支援する政策」ということができよう。また、家族機能とは「家族により構成される世帯の生活維持や、家庭内における育児、教育等に関する機能」である。広く言うと、介護なども入るだろうが、ここは少子化対策を家族政策に切り替えるという趣旨であるので、この場合の「家族」は基本的に親と未成熟の子どもからなる核家族を想定している。
 では、日本ではなぜ「家族政策」が定着しなかったのか。政府では「家族」という言葉がほとんど使われていない。
 ただし、日本国憲法のGHQ原案にはもともと、「家族は人間社会の基礎であり、その伝統は良かれあしかれ国民に浸透する」という一文があった。当時、GHQ民政局にいたベアテ・シロタという20代の女性が草案を書いたという。この後に「婚姻は両性の合意に基づく」という24条の一文が続く。
 当時、憲法の草案を作成するにあたって、諸外国の憲法を調査しているが、中でもワイマール憲法を参考にしたとされる。ワイマール憲法の第119条(婚姻・家族・母性の保護)第2項には「家族の清潔を保持し、これを社会的に助成することは、国家及び市町村の任務である」と書かれており、この条文から日本国憲法原案をイメージしたということである。ちなみにワイマール憲法後のドイツ連邦共和国基本法(西ドイツ)では、第8条(婚姻・家族・母性の保護)第2項に「婚姻及び家族は、国家秩序の特別の保護を受ける」という一文が入っている。
 日本の憲法に、このような一文が入っていれば、現状は変わっていたのではないかと考える。しかし、GHQ原案に対して、日本の担当者から「この文は憲法の条文らしくない」という意見があったようである。権利の規定ではなく、「良かれあしかれ」という言葉は憲法の条文としておかしいということで、結局は削除された。
 もう一つ、「家族政策」という言葉が出てこなかったのは、戦前の「家」制度に対する反省・反発も大きかったと思う。「家」を相続する戸主が最大の権限を持ち、戸主に嫁いだ女性には何の権限もない。こうした「家」制度が戦前の封建制度を象徴するものであり、戦後の民主国家においては「家」制度を解体すべきであるとして、男女平等をうたった新しい民法が制定された。こうした事情から、「家族」という言葉を出すと、戦前の「家」制度に回帰をするという反発が強くあったのだろうと思う。
 ちなみに、自民党の憲法改正草案では第24条(家族、婚姻等に関する基本原則)第1項に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」と規定している。最初の「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位」は、元をたどればGHQの原案に遡ることができる。ワイマール憲法などにも規定されており、妥当な条文ではないかと考える。ただ、せっかくこのような条文を作るのであれば、「国は家族を支援する」などの一文を盛り込めば、より良いものになるのではないかと思う。
 それから、自民党の条文は、後半の一文「家族は、互いに助け合わなければならない」が批判されている。これは民法の規定にも入っているので、あえて憲法に盛り込むべきかどうかは確かに議論の余地があるだろう。
 いずれにしても、家族に関する条文を憲法に盛り込むことは重要だと考えている。

「家族政策」とは何か

 次に、家族政策の範囲について考えてみたい。
 家族政策の定義からみると、①出産や子育て等の生活面を支援する分野=母子保健、保育サービス、就学前教育(幼稚園)、放課後児童クラブ、ひとり親世帯に対する支援、育児休業制度など、②家計の経済的支援に関する分野=出産育児一時金、健診費用の支援、育児休業給付金、保育所費・幼稚園費の負担軽減、児童手当、児童扶養手当、就学援助、授業料の無償化、奨学金など、③就労支援に関する分野(雇用政策分野は除く)=育児休業の取得促進、ワークライフバランスの進展など、④家族法に関する分野や意識改革・啓発等に関する分野=結婚、離婚、養子縁組、里親、家族の日、家族の週間等-といったことになるであろう。家族法は、省庁で言うと法務省になるが、重要なテーマである。意識改革は、内閣府の所管となる。
 家族政策は、家族機能を支援する政策である。つまり家族を維持していくために支援する政策だと考える。私は自分で担当した『平成11年版厚生白書』で、社会保障の目的について書いた。そこで「家庭機能」という言葉を使っている。
 社会保障の目的は、①生活の保障・生活の安定、②個人の自立支援、③家庭機能の支援、があると書いた。この中では「私的扶養による対応のみでは限界にきている分野、例えば介護、老親扶養などの家庭機能について、社会的に支援すること」と記した。この中にはもちろん育児も入る。私にとっては昔からの主張である。白書は影響力を持っていたため、社会保障の目的として①と②は定着した。しかし、3番目の家庭機能の支援は取り上げられなかった。その後の厚労白書においても、社会保障の目的として家庭機能の支援は除かれている。
 このことを私は非常に残念に思っている。今振り返ってみると、「家庭機能」という表現がこなれていなかったのではないかと考えている。思い切って「家族機能」と書くべきでなかったかと思う。当時、「家族」という言葉に対するアレルギーを気にしていたため「家庭機能」としたが、結果として何を言っているのか分からなくなったのかもしれない。

大平内閣が打ち出した「日本型福祉社会」

 「日本型家族政策」の考察ということから、「日本型福祉社会」という言葉を思い出す。1979年、大平内閣の時に経済企画庁が『新経済社会7か年計画』を打ち出した。当時の日本は高度経済成長が頂点に達してきた頃で、「欧米先進国への社会保障のキャッチアップは終わった。今後どのような道に進むのか」がテーマであった。「個人の自助努力と家族や近隣・地域社会等の連帯を基礎としつつ、効率の良い政府が適正な公的福祉を重点的に保障するという自由経済社会のもつ創造的活力を原動力とした我が国独自の道を選択創出するという、いわば日本型ともいえる新しい福祉社会の実現を目指すものでなければならない」という一文が盛り込まれた。当時の経済白書などにも同様の趣旨が伺える。
 しかし、これは、社会福祉の学者を中心に多くの批判があった。この一文が意味するのは、制度的に国が社会保障を充実させることを止めて、個人の自助努力や家庭、地域に丸投げすること、国の責任(公的責任)の放棄である、という批判であった。
 「日本型福祉社会」の考え方は、自助努力に丸投げということではないと思うが、当時の野党や社会福祉の学者等から反発が強く、その後はこの言葉はほとんど使われずに現在に至っている。
 しかし、最近になって「自助・共助・公助」という言葉が法律上使用されるようになってきた。
 平成24年8月に社会保障制度改革推進法ができた。そのきっかけとなったのは社会保障制度改革国民会議であるが、その報告書(2013年8月)には「日本の社会保障は、自助を基本としつつ、自助の共同化としての共助(=社会保険制度)が自助を支え、自助・共助で対応できない場合に公的扶助等の公助が補完する仕組みが基本」とある。それを受けた社会保障制度改革推進法では、第2条第1項に「自助・共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと」と規定されている。これは先ほどの日本型福祉社会を、三十数年ぶりに浮かび上がらせた規定に見えないこともない。「公助」という言葉が法律に使われるのは、初めてではないかと思う。
 ただ、自助・共助・公助という言葉は、もともと定義が曖昧であることが課題である。私自身は、社会保険制度を共助と呼ぶのはいかがなものかという気がしている。日本の社会保険制度は公的な仕組みでもあり、大きな国庫負担も入っていることもあって、公助に入るのではないかと思っている。共助、公助などの定義が、若干明確ではないということである。
 また、自助・共助・公助の関係は、従来型は三段論法と言える。すなわち、自助が中心にあって、自助が対応できないところを共助が救済し、それでもできないものを公助で支えるというものである。しかし、これでは、かつての日本型福祉社会が批判を受けた形そのものになってしまう。
 そうではなくて、相互補完型で考えなければならないと思う。自助・共助・公助が相互に関連している。公助が最後の手段というのではなく、自助や共助に馴染まないものは公助で対応する。こうした相互補完型で考えていくべきではないかと思う。

「家族政策」の視点を――三つの提言

 では、具体的な提案を行いたい。
 1番目に、「少子化対策」という視点よりは、子育てや子育て家庭に対する社会的支援を行う「家族政策」の視点から、政策の推進を図るべきである。
 2番目は、「家族政策」は出生率の回復だけではなく、家族機能の維持、家族基盤の強化を図ることが目的である。その場合、三世代、あるいは核家族など「家族の形はこういう形が望ましい」と定義することは避けた方がいいと考える。家族の多様化を前提とする。ひとり親家庭にもきちんと支援を行う方がよいと思っている。また、地域社会の助け合いを組み合わせることも重要である。
 3番目に、少子化対策あるいは家族政策を一元的に担当・推進する行政組織を確立することである。現在の少子化担当大臣を専任の大臣とする。ここに、厚生労働省や文部科学省等の関係組織や予算を移す。「子ども家庭省」、できれば「家族省」という名称で組織を作ってはどうかと考える。
 参考までに、ドイツは連邦政府に「家族省」を設置し(1953年)、定期的に専門家によって家族の現状、家族に対する社会的支援の効果を分析し、家族政策の方向性を提示する「家族報告書」を作成・公表している。それによって家族政策の効果を検証している。日本では「国民生活白書」が家族の現状について詳細に分析・記述し、日本版家族報告書の役割の一部を果たしていたが、2009年に廃止された。その意味で、家族の現状に対して定期的に分析する舞台がなくなってしまったのは寂しい限りである。

日本とヨーロッパの比較から

 最後に、日本とヨーロッパの数値を比較したものを紹介する。
 2015年の合計特殊出生率の推移をみると、日本は回復したといっても1.45である。一方、フランスは1.92、スウェーデンが1.85、アメリカ1.84、イギリス1.80と高い水準を維持している。こうしたフランスやスウェーデンの家族政策に関する調査が、最近活発に行われている。
 フランスは歴史的に出生促進策をとっている国である。国家が出生促進策をとっているというと、家族のあり方や出生に対して政府が介入するものとして、特に日本では否定的な声が多い。フランスが政策的に出生促進策を掲げているのは、かつてドイツとの戦争で敗北した際、その敗因の一つとして、若い人口が乏しかったからと言われている。いずれにしても、フランスは家族政策の中で出生促進策と家族の基盤強化をあげている。
 また、様々な政策が行われているが、一つは家族手当等の経済的支援が充実している。もう一つは保育政策である。保育所の他、家で数人の子どもをみるという認定保育ママが20万人以上いる。この人たちが保育所の機能を一部代わって担っている。それと育児休業などもとりやすい。こうした点で総合的な対策を講じて、高い出生率を維持している。
 スウェーデンの場合には、1930年代、合計特殊出生率が世界最低水準の1.7まで落ち込んだ際、政府が人口問題審議会を設置して人口問題に取り組み、世界に先駆けて子育てに係る経済的支援策を導入した。その後、経済的支援策は拡充され、育児休業制度の導入も進んだ。育児休業の取得率は男女共80%を超えている。育児休業を取得しやすい理由として、一つは育児休業給付金が給与の8割まで補償していることがある。それから父親と母親のクォーター制度という、それぞれ独自の育児休業があることも大きい。
 スウェーデンの育児政策から示唆されることは何かというと、スウェーデンではゼロ歳児保育はほとんど行っていない。基本的に1歳半までは両親が育児休業を取得して育てる。その代わり、1歳半になったら保育所に通う。
 日本の場合、待機児童の大半は3歳未満である。ゼロ歳児の割合も高い。一方、ゼロ歳児は保育所の費用が多額になる。その結果、保育所の整備も遅れている。そのあたり、スウェーデンのように育児休業、あるいは在宅で育児をする親に対する支援策を強化することによって、例えば1歳半までは家庭保育に力を入れていくほうがよいのではないか。そうしたこともスウェーデンの政策から示唆される。
 最後に、各国の家族関係社会支出の対GDP比の比較(2011年)を見たい。最近よく言われることであるが、日本はヨーロッパ諸国に比べると家族政策に充てる支出が少ない。日本は対GDP比1.36%である。こうした点もどのように強化、拡充していくのかが重要な課題の一つである。最近では「こども保険」のような、新たな財源の提案も出されている。

(本稿は、2017年7月18日に開催した「21世紀ビジョンの会」における発題を整理してまとめたものである。)

 

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