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IPP分析レポート

家族論の思想的系譜と家族機能を補完する社会福祉政策の考察

―トッド『家族システムの起源』を手掛かりに―沖縄国際大学非常勤講師 末吉 重人

2017.06.08

1. はじめに

 家族は社会学においては重要なテーマであり、家族社会学との分野があることからもそれは自明である。しかし現在の家族社会学では、家族の定義すら難しい、あるいは意味をなさないとの立場を取る学者や家族に対して否定的な立場の学者が増えている。現代社会を支える最小単位は家族であるとの「古典的」ではあるが、いまでも有効だと考える筆者の視点に立てば、そこからは家族に対する有力な応援材料は提供できない。
 もちろん、そうした視点がアナクロニズムとの批判を受けることは承知している。しかし、本稿では社会を支える最小単位は家族であるとの立場から現代家族が抱える課題をいくらかでも支援できる視点を求めて、家族研究の歴史を振り返りながら模索してみたい。2016年評判になったエマニュエル・トッドの『家族システムの起源』(藤原書店2016年7月10日石崎晴己監修訳)が参考になる。そこから、現在社会にとって必須の政策となっている福祉政策を、家族機能の補完機能として再定義することも可能となり、社会福祉のある程度の方向性も見定めることができるようになるものと考える。

2.『家族システムの起源』への若干のコメント

 「人類の起源的家族形態が核家族である」ことを触れ込んだキャンペーンにやや違和感を覚えつつも、『家族システムの起源』を読んで先ず気になったのは、下巻表紙裏のキャッチコピーである。それは以下のようなものであった。「核家族が最も古い形態であるとするトッドの命題は、果たして世界の、少なくともヨーロッパの人類学に衝撃を与えた。というのも、これまでのヨーロッパの常識は大家族(例えば家父長に支配される)が最も古い形態であり、核家族とは近代に近づく中で生まれて来た、すぐれて近代的な家族形態である、というものだったからである。トッドの立場は、その先入見を引っくり返したわけである」。
 トッドはフランスの家族人類学者で1951年生まれの今年66歳。フランス国立人口統計研究所に属している。統計学的手法を用いて、家族の研究を行っている。同著の著者紹介では、弱冠25歳にて『最後の転落‐ソ連崩壊のシナリオ』にて当時の大勢に反してソ連の崩壊を予言したこと(詳細後述)がものものしく紹介されている。その理由は1970年から、通常の先進国では下がり始める乳幼児死亡率が増加に転じ始めたことにあったという。1991年のソ連崩壊以降、アメリカが唯一の超大国になった。そのアメリカにイスラム教徒が行ったテロである9.11 テロから一年後の 2002年9月、トッドは『帝国以後』を出版、アメリカも同じ崩壊の道を歩んでおり、衰退しているとして同著は 28 カ国語に訳されるベストセラーとなった。
 簡単にトッドの同著の位置付けを行いたい。家族研究においては、原初の家族が大家族(部族)であったか核家族であったか、果ては乱婚時代(インセストタブーがどのように存在したか等)があったかどうかの論争がかつて存在した(詳細は後述)。この論争にある程度の終止符を打ったのはアメリカの人類学者ジョージ・マードックの『社会構造』(原著1949年、訳本1976年)であった。マードックは同著において、核家族が普遍的な家族形態であるとの結論を下し、女系家族等が歴史的に存在していたことを否定したのである。しかしこの説がヨーロッパでは否定されることになった。
 ヨーロッパにおいては歴史学においてアナール学派が、従来の勝者の歴史を形成した公的な歴史資料ではなく、民間人の歴史文書(手紙や墓碑等)を根拠に、庶民の歴史を記述する努力を行った。その展開は家族史にも及び、フィリップ・アリエスの『子どもの誕生』(原著1960年)などが刊行された。その言わんとするところは、現代のような子どもに対する親や家族の愛情は、近代に発するものであり、それ以前には存在しなかったというものであった。この指摘をとらえて、核家族は資本主義社会を支えるものとして否定するマルクス主義フェミニズム等が、核家族は近代の産物であり、普遍的な存在ではなかったとの主張を繰り広げた。つまりマードックの視点を否定したのであった。
 マードックの核家族論が人類に普遍的なものではないとして普遍性が否定されると、家族には多様な形態があるとの主張が芽をもたげて来る。たとえば未婚、同棲、同性婚などである。機能主義社会学において重視される、家族は子どもを産み育て、社会を支える機能があるとの視点がかすんで来る。
 こうしたマルクス主義フェミニズムの立場が、少なくともヨーロッパにおいては正統になったとの前提で、トッドの著書を紹介した出版社は、これを覆す著書として『家族システムの起源』を紹介したのである。しかし筆者の見解では、アリエスの『子どもの誕生』ではマードックは否定しきれていないように思われる。その詳細は本稿3において述べるが、簡潔に言えば、アリエスの主張は、家族の親密性が近代の産物であるということであって、核家族自体が近代の産物であるとは言っていないということである。つまりマルクス主義フェミニズムはアリエスを拡大解釈し、自らの主張(核家族に普遍性はない)の裏付けとしようとしたと考えるべきなのである。
 トッド自身一時、フランス共産党の細胞として活動していた過去があり、マルクス主義にも精通している。そうした学者が、核家族の普遍性を再確認した意味は大きく、トッドの同著は家族機能の再生・強化を望む人々にとっては強力なバックアップとなる。綿密に言えば、トッドの見解はマードックの主張の補強になっているのである。
 そのことについて、トッド自身も次のように述べている。「本著…は、方法論の面では革命的な著作であると称するものではない。実のところ方法論的には、1920年から1945年のアメリカ人類学を、そして特にロバート・ローウィを新たな装いで踏襲しているにすぎない」(1)。そして「夫婦とその子供のみからなる核家族の普遍的にして、言わば原初的な性格は、すでに(筆者注:ローウィによって)主張されていることが見いだされる」とし、「その20年後、ジョージ・ピーター・マードックは、この結論を『社会構造論』で引き継いで、こう述べている」(2)とローウィからマードックに繋がる、核家族が世界的に普遍的な存在であるとの主張を再確認している。
 トッド自身、アナール学派との接点があることを述べている。また、トッドは、マードックらと同じ視点を持っていたトッドの博士論文の指導教官であったピーター・ラスレット<英歴史学者1915-2001>の核家族論に回帰したとも言える。論文提出後、トッドはラスレットと意見を異にして袂を分かっていたからである(3) 。
 トッドが『家族システムの起源』のなかで主張したかったことは、次の五つの点に集約できるように思われる(4) 。
①起源的家族は、夫婦を基本的要素とする核家族型のものであった。
②この核家族は、国家と労働によって促された社会的分化が出現するまでは、複数の核家族的単位からなる親族の原地バンドに包含されていた。
③この親族集団は、女を介する絆と男を介する絆を未分化的なやり方で用いていたという意味で、双方的であった。
④女性のステータスは高かったが、女性が集団のなかで男性と同じ職務をもつわけではない。
⑤直系家族、共同体家族その他の、複合的な家族構造は、これより後に出現した。その出現の順序は、今後正確に確定する必要があるだろう。
 以上の点を踏まえて、トッドに関して筆者が興味を持った点は以下の三点である。順に述べてみる。
 第一に、これまで否定されていた伝播論がトッドにおいては復活している点である。筆者は人類学については専門家ではないが、人類学においては、進化論的視点に立った伝播論的人類学が非欧米圏を差別する視点を持つものとして否定されていたと理解している。伝播論を端的に述べると、文明の頂点にはヨーロッパがあり、アジアやアフリカでは文明の進化が遅れており、いずれはヨーロッパ型になるというものであった。
 当時の人類学者らは全く現地調査を行わずに理論を構築し、西洋優位主義を吹聴していた。これに対して1920年代にブロニスワフ・マリノフスキ(1884 – 1942ポーランド出身の英人類学者)やラドクリフ・ブラウン(1881 – 1955英文化人類学者)らが登場、前者はパプアニューギニアのトロブリアンド諸島、後者はインドのアンダマン島での長期にわたる現地調査を行った。その結果は、両者に微妙な主張の違いはあるものの共通しているのは、彼ら以前の人類学(進化論的・伝播論的)は正確ではなく、文化はそれぞれの文化内において異なる意味を持ち、かつ合理性があり、文明間に優劣の差はないというものであった。いわゆる西欧中心主義人類学を批判した構造主義的人類学であった。
 トッドはこの一旦は否定された文化伝播論のような理論を復活させた。但し、文明の優劣という意味においてでは、もちろんない。核家族が伝播したという意味においてである。核家族の幾つかの様式は、ユーラシア大陸の中心部から周辺部へ向かって伝播したというのである。ヨーロッパにこそもっとも古代的(アルカイック)な核家族が存在し、そのために人類初の産業化=工業化=近代化は可能となったとしている。
 ヨーロッパは家族社会学的には最も後進国であるという、驚くべき逆転の発想をトッドは「中東もしくは中国に位置する中心から発して、父系的な家族形態が周囲へと伝播したという仮説をたてるなら、ヨーロッパ人は人類学的には原始的な人間ということになるだろう」(5)と皮肉たっぷりに述べている。
 ヨーロッパに世界初の近代化=産業化が発生したことを体系的に述べたのはマックス・ウェーバーである。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904年)において、カルビニズムの生活態度(エートス)が資本主義の最初の投資循環を生み出したとの主張であった。その後のウェーバーの宗教社会学には、時代的な制約もあって西洋優位主義につながるものがあったことは否めない。伝播論的人類学もその系列を曳くと理解できる。
 トッドの「中心部と周辺」という概念は、アメリカのマルクス主義社会学者イマニュエル・ウォーラスティン(1930-)の「世界システム論」(大雑把に言えば、先進国=資本主義国である中心部が周辺の第三世界を搾取する世界的なシムテム)を想起させるかもしれない。しかし、筆者は國學院大名誉教授で哲学者の竹内芳郎(1924 – 2016)の「辺境革命論」を思い起す。竹内はマルクス主義者でありながら、現実に適合した理論化を図るために修正マルクス主義の構築に尽力した。その結果、歴史論ではイギリスのアーノルドJ・トィンビー(1889 – 1975)の「新社会の揺籃の地もしくは発祥地は、先行社会の発祥地から移動し、旧社会の辺境が新社会の中心となる」との指摘(『歴史の研究』1973年中央公論社91頁)を現実に叶っているとして受け容れ、「周辺革命こそが各社会構成体間の遺構のほぼ通則となっていることは、ほとんど疑う余地がないかに思われる」(6)と述べている。
 つまり、「或る社会構成体が成熟し切ったときには、そのなかにあってその構成体を変革すべき任を担った階級事態もまた、その構成体の爛熟した文化にその魂までしゃぶりつくされ、みずからの任を全うすることなくその社会構成体と没落の運命をともにすることがおおいからであろう」(7)と竹内は述べる。つまり、ある社会が成熟し、たとえ世界の中心となったとしてもその社会は没落し、新しい中心的社会は、その周辺から発生するというのである。トッドの指摘によれば、核家族が発祥したものの、父系的核家族制度へと桎梏化した「中央」ユーラシアに対し、まだ柔軟性を持ちかつ古代的な核家族制度が残っていた「辺境」の西欧において新たな資本主義制度に適応できる余地があったということになる。まさに「周辺革命論」である。
 第二の点は、かつてフランス共産党員であった(1967年~1969年の間)(8)トッドが、核家族が近代の産物であるとのエンゲルス的な視点、つまり共産主義的家族観を否定している点である。既に述べたように、マルクス主義フェミニストはアリエスの『子どもの誕生』(原著1960年発刊)等を根拠に、中世ヨーロッパ期には現在のような子ども概念がなかったことが庶民の日常的な史料から「証明」されたとした。今日のような家族成員間、特に親子の親密性も近代に成立したものであるとした。トッドはこのマルクス主義的家族観を否定したのである。核家族は家族の始原から存在し、成員間の感情はおそらく今の様ではなかったと思われるものの、核家族自体は近代の産物ではないとした。これほど強力なマルクス主義家族観への批判はない。
 三点目は、社会の基礎的構造は核家族であるという、ある意味「古典的な視点」を強化している点である。これはアメリカで発生した機能主義社会学的な家族観でもある。トッドは核家族を15の形態に分類し、そうした核家族を根底に社会が形成されていると主張している。家族は、マルクスの史的唯物論が言う上部構造を規定する下部構造のような役割を果たしていると理解することもできよう。上巻序説においてトッドは、概ね、次のように述べる。イングランドの絶対的核家族は、親子関係は自由主義的であったが、平等の観念は強く、これがアングロ・サクソンの個人主義と政治的自由主義の基層となった。またパリ盆地の平等主義的核家族は、子どもたちの自由と平等を重んじており、これがフランス革命の基層となった。またドイツと日本で支配的な直系家族は、父親の権威と兄弟間の不平等を特徴とするが、これが自民族中心的な権威主義的イデオロギーを生み出した、つまり独裁政治をもたらしたということだろう(9) 。
 しかしトッドの共産主義理解については、やや疑問がある。トッドは共産主義国の地理的分布図と伝統的農民層の共同体家族の広がりが重なるとして、共同体家族が共産主義国家を作りだしたと述べる。その核家族(共同体的家族)の特徴は「権威と平等」であり、そのため共産主義国も「権威と平等」を特徴とするとしている(10)。しかし、共産主義国においては「権威」は存在せず、反対する者を暴力で排除する「剝き出しの権力」と、ソ連のノーメンクラツーラやその他の共産国における共産党員のみに許された「特権」など、不平等さが極めて突出しているように思われる。トッドは共産主義をまだ理想化している面があるのではないだろうか(11)。それはトッド最初の著作である『最後の転落』(1976年)においてソ連の崩壊を、世界に先駆けて「予言」していたとしても、である。しかしながら、社会を根底で基礎づけているのは家族であるとの力強いトッドのメッセージは、家族の価値をことさら貶めようとする現代社会の社会学者の勢いをくじく大きな役割を果たすであろうことは間違いない。

3.家族研究の歴史概観-トッドを参考に-

 筆者はすでに『学際研究』69号(日本学際会議2015年10月1日)所収の「『家庭の目的論的定義』構築の試み」において、インシスト・タブーに焦点を当てて家族研究の歴史を短くではあるが概観している。同論文の内容を繰り返すことは避けるが、簡単に流れを述べてみると家族研究はスイスの文化人類学者ヨハン・バッハオーフェン(1815 – 1887)の『母権制』(1861年)から本格化する(12)。しかし現代家族社会学では母権制の存在が否定されているのは言うまでもない。バッハオーフェンの思想はアメリカの文化人類学者ルイス・モーガン(1818-1881)に継承され『古代社会』(1877年)が刊行された。その思想はエンゲルスの『家族、私有財産、国家の起源』(1884年)に継承されたが、前出の筆者論文において、それらの問題点を指摘した。
 しかしトッドの指摘はもっと辛辣である。批判があまりに興味深いためその内容を紹介しよう。たとえばバッハオーフェンの『母権制』などは「あらゆる誤りの生みの親」(13)とまで批判している。その理屈は、当時、父系社会の中に生きていたバッハオーフェンは、女性を蔑視する傾向を持ち、過去の家族制度を劣ったものとして理解するために、劣った女性が権力を持つ社会と見做したと言うのである。「女性に好意的でないブルジョワ的雰囲気の中で研究を進めていたために…意味を持たない文書を大量に生産する、まさに精神の墓場となっていった」(14)とまで指摘する。
 こうした内容を継承したモーガンの『古代社会』も激しいトッドの批判に晒される。トッドはモーガンが、「野蛮、未開、文明の三段階で人類は進化するとする人類学的進化論の絶頂に他ならない」(15)と辛辣に述べる。しかもモーガンは、その理論にニューヨーク州のイロコイ族が母系制であると詳しい説明を付け加えたことから事態はさらに悪化したという。イロコイ族は女性の指導者を有していたが母権制ではなく、悪い事にはアメリカインディアン部族のすべてが母権制ではなかったからである。そしてエンゲルスはこの間違いをマルクス主義を正当化するために『家族、私有財産、国家の起源』を通じて据え付けたという(16)。
 筆者が『学際研究69号』で扱わなかった家族研究史の人物として、トッドが挙げている人物のひとりはフレデリック・ル・プレイ(1806 – 1882)である。トッドの扱った学者はその他にも大勢いるが、筆者の印象に強い人物としてル・プレイを取り上げる。彼は社会調査や家族研究の発展に貢献したフランスの社会改革運動家であり、家族を社会の単位として考え、家計を中心とする社会調査を実施した。しかし他の家族社会学者らはあまり注目しなかったとトッドは言う。
 ル・プレイは三つの家族類型を定義した。第一は「不安定(核)家族」(子どもの独立、遺産の均等分配によって家族は二代か三代で霧散する)、第二が「直系家族」(子どものうち一人が跡取りとして両親と同居する。だいたいは男児長子。末子相続もある。三世代家族を形成し、安定的な家族運営となる)、第三に「家父長(共同体)家族」(男児すべてが嫁を娶った後に両親と同居し、集団を形成する。女児は他家に嫁ぐ。)そして、核家族から直系家族へ、それから共同体家族へと移行したという(17)。
 トッドによるとこのル・プレイの分類は長期に亘ってヨーロッパの家族分類のスタンダードになった。その理由は、家族類型が三分類になっているからだと言う。つまり、キリスト教の三位一体論の形式になっているため、崇拝の対象足り得たと皮肉る。しかし最終的にトッドは既に述べたように、ル・プレイの類型を継承しつつも核家族を15に分離した。
 家族機能に関して言えば、第二次世界大戦直後、ジョージ・マードックの『社会構造』(1949年)の核家族論において四つの家族機能論を発表した。マードック以降、文化遅滞説(物質文化と精神文化の発展の時間差によって社会問題が発生する)で著名なアメリカのウィリアム・オグバーン(1886 – 1959)が家族機能は、ほとんどの家事・育児等が外注化され、愛のみが残ったとの家族機能縮小説を主張、これにタルコット・パーソンズ(1902 – 1979)が反論して、①成人のパーソナリティの安定、②子どもの第一次社会化‐の二つの機能は残っているとした経緯がある。

4.家族機能弱体化につながる理論への批判

 トッドの指摘は、家族機能を強化して健全な社会を再建することを妨げようとする上野千鶴子らのマルクス主義フェミニズムや、山田昌弘らの主観主義的家族観への批判にもなっている。
 核家族が近代の産物であるとしたマルクス主義フェミニズムに対しては、すでに述べたように、かつてフランス共産党員でもあり、現在もマルクスの階級理論へのsympathyを持っているであろうと思われるトッドが、「核家族こそ家族システムの起源」であることを言明していることで、すでに論破されたとみるべきだろう。
 二つ目の主観的家族観は、家族という法的枠組みのなかでも自分が家族だと思う人を家族と考えていればいい(たとえばストレスが生じないための提案)と主張する。この点についても、トッドの言葉を引用して批判することが可能である。それはトッドの次のような表現である。「家族というものはひじょうに重要であり、社会の組織編成にとってはひじょうに中心的なものであるので、芸術のようにときとして支配の原則を逸脱することがある、では済まされないということを認めなければならない」(18) 。
 トッドは、この文章(テクスト)を過去に否定された手法である「伝播」との概念を再び用いる際の理由として述べているが、それは家族の成員を自分の気分(気持ち)で決めたらいいという、やや安易に聞こえる家族の定義への批判にもなると思われる。社会を根底から規定する家族は、主観的にのみではなく、先ず客観的に規定されるべき重要な存在であると考えるべきであろう。それを前提として、ストレスとなる家族成員を家族と思わないようにしようとの主観的家族観の趣旨(筆者の理解するところによる)は、家族成員間の相互理解の問題であり、家族の定義の問題ではない。あくまでカウンセリングの対象であると考えるべきであろう。

5.家族の定義と機能

 さて、核家族が人類の始原から存在していたというトッドの指摘を受けて、家族の定義やその機能といった社会学的視点に目を向けると、どうなるであろうか。我が国での家族社会学の大家である森岡清美の定義を踏まえて、筆者は「目的論的家族の定義」を提案している(19)。それは「祖父母、夫婦・親子・きょうだいなど近親者を主要な構成員とし、結果としての人格完成に必要な愛を習得するための成員相互の深い感情的係わりあいで結ばれた、第1次的な福祉志向の集団である」というものである。下線部が森岡の定義に加えた部分であるが、家族の人間関係には人が人間関係を形成する際の基本形がすべて含まれており、それを学習することがその人の人生において決定的に重要であり、それを行える場は、家庭しかないという筆者の理解がある。左右・前後そして上下の全方位的な人間関係を学ぶには、老人は不可欠である。そのため祖父母を定義のなかに含めた。また、寿命が延びた現在、老親介護は過去になかった家族の機能となったと考えるべきであると思う(もちろんそれは家族にとって負担になることが多いため、支援の仕組みを考慮することと同時に考えられるべきではある)。祖父母は、子育て支援や夫婦の経済的支援など重要な役割も果たせる極めて大きな存在である。
 またこの定義を「目的的」とした理由は、定義とは通常、すべての家庭に当てはまる概念規定という意味を持つが、現在の家庭状況は、とてもこの定義に合致したものではないからである。平成22年国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、全国の世帯類型は32.4%が独居、核家族に分類される夫婦のみの家族が19.8%・夫婦と子どもの世帯が27.9%・単親と子の家庭が8.9%、その他が11.1%となっている。この現状は、家族の目的論的定義(拡大家族)とははるかにかけ離れている。次に示した平成22年の厚生労働省の調査による「世帯構造別にみた要介護者等のいる世帯の構成割合の年次推移」を見ると、三世代家族は22.5%しかいない。

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 こうした状況にも関わらず、家庭を目的論的に定義しておくということは、家庭にひとつの方向性を与えるということである。そうすることで支援の起点が形成され、支援に多様性が生じることになる。いわば家族の定義の理念型ともいうべき定義となる。
 それでは家庭は、どのような機能を持っているだろうか。家族機能に関してはマードックに戻ることになる。マードックは、①性的機能(社会的に許容される性関係は夫婦においてのみ可能)、②男女の性的役割分業(マードックの分析した社会では男性が力仕事、女性が家事・育児というパターンが多いと言う意味)、③生殖機能(子どもは家庭という枠内で生む方が合理的であるということ)、④子どもの社会化(子どもを親から経済的・精神的に自立させる役割)の四つがあるとした(20)。これはフェミニストから猛烈な批判を受けることになる。特に男女の性的役割分業が、封建社会の産物として攻撃の対象となった。しかし、マードックは男が力仕事、女が家事・育児がいいと言っているわけではなく、そうした部族が多いと指摘しているに過ぎない。また狩猟・農耕社会において、かつて女性は二年に一度妊娠しており、出産適齢期間(10代後半から30代後半)は妊娠しているか授乳しているかのいずれかであった。そうした女性が家事・育児を行うのは理に適っている。そして男性は屋外で食料を獲得することに向いている。しかしこの役割分業を産業社会においても踏襲しろとなると、問題であることには筆者も同意する。しかし、近年の虐待研究から、子どもの愛着形成における母親の役割にはやはり代替不可能な面があり、子どもの愛着形成のために母親が時間を取る必要があることは明らかとなっている点は強調しておきたい。
 マードックの家族機能を現代社会にそのまま当てはめるわけにはいかない。とはいえ、例えば社会福祉士の教科書では家族機能には四つあるとして、①性的機能、②経済的機能、③生殖機能、④教育的機能‐との表現になっている(21)。これはマードック直接の表現でもある(22)ことは注目に値する。しかし、筆者はこれに五つ目の機能として⑤老親扶養機能‐を加えたい。老親扶養など時代錯誤もはなはだしいとの意見もあろうが、現代社会の人々の寿命は伸長しており、家族が老親の扶養を行うことを原則としておくことは重要である。あるいはこれを、子どもの養護・老親の扶養とひとつにすることも可能である。

6.家族機能と社会福祉

 家族機能が定義されると、社会福祉との関連性も明確となる。つまり家族機能の補完的機能として社会福祉を規定することが可能となり、それが望ましいと筆者は考えている。たとえば、福祉国家論では必ず取り上げられるエスピン・アンデルセン(1947年 –。デンマーク出身で在スペインの社会学・政治学者。専門は福祉国家論)の『福祉資本主義の三つの世界』(1990年)では、家族に頼らない福祉が行われている社会が望ましいとの理論が展開されている。しかし、家族と福祉を切り離す(特に老人福祉において)のは、我が国の文化に馴染まないと考えられる。もちろん負担をかけ過ぎないような支援の仕組みは不可欠である。以下、五つの家族機能順に福祉の補完機能を考察してみよう。
 第一の「性的機能」には、社会的補完機能は存在しない。実際には風俗産業があるではないかと反論されようが、それを肯定するわけにはいかない。マードックの、ある社会における性的秩序の維持は、その社会を持続させるか消滅させるかというほどの重要な課題であると述べている(23)。筆者もその意見には同意する。どのようなタイプの性産業が興隆しようと、それに規制を掛ける努力をし続けることが社会の安定をもたらすものと考える。その原点は、性関係が社会的に許容されるのは夫婦間のみという原則である。
 第二の「性的役割分業」については、すでに述べたが、それをそのまま産業化社会に適用するわけにはいかない。しかし家庭が成立するために、①稼得・②家事等メンテナンス・③育児‐の三つを家族維持機能とし、それを夫婦でシェアすることは不可欠であろう。その割合は、それぞれの家庭の状況で決めるしかないが、最悪のパターンは、妻がパートをし、かつ家事・育児を全面的に担当、夫は稼得のみというものである。このパターンは長く続かない。妻の負担が重過ぎるため離婚の可能性が高まる。夫の側にも家事・育児を分担して貰わないといけない。もう一つのファクターとして注目したいのは、祖父母の応援を期待できないかということである。他の動物に比べてはるかに養育期間の長い人間の子どもを、妻ひとりで行うことは不可能に近い。複数の大人による支援が必要であろう。また祖父母の貯蓄も夫婦の支援になる。それらの役割分担の例を次の図で示した。

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 福祉的代替性としては、稼得に関するものは多い。生存権保障としての生活保護、児童への各種手当、年金などいわゆる社会保障がそれに当たる。家事に関しては、老人保健法が適用される状況になれば、ホームヘルパーの支援が行われる。私的には家政婦を雇うことも可能である。育児については第四の機能の子どもの社会化のところで説明する。
 第三の「生殖機能」については、社会的代替機能は基本的に存在しない。子どもは夫婦間にて産むのが原則であり、子どもの福祉にとっても望ましい。婚外子は法的には差別されなくなったものの、心理的には仲のいい夫婦によって育てられる子どもより、不利な状況があるというのが現実である。また不妊治療としての代理母などは、筆者としては例外的に認める方向で検討するべきだと考えるが、詳細には本稿では立ち入らない。不妊治療と並行して、養子制度の充実を望みたい。全国の児童養護施設には親が育てない児童がだいたい常時3万人前後いる。この子どもたちに家庭的養護の場を提供したい。しかし、その際、母子間の愛着の形成は必須の事柄である点を忘れてはならない。フェミニストは「三歳児神話」を標榜するが、それは、3歳まで母親がつきっきりで世話をする必要はなく、子どもが必要としているときにちゃんと向き合う時間を取るということである。1歳ごろになれば、昼間は保育園に預けても全く問題ない。朝と夕方以降、そして土日に子どもとしっかり接する時間を持てば愛着は十分形成できる。
 第四の「子どもの社会化」については、やはり親の責任として子どもを、いわゆる一人前にする責任がある。民法818条に親権規定があるものの、そうした責任を明記していない点は不十分ではないか。子どもの社会化については多くの社会的代替機能が存在する。保育園や幼稚園から始まる学校制度がまずその最たるものである。また、その他、児童福祉法に規定される児童福祉施設(主なものとして、乳児院・児童養護施設・母子生活支援施設・障害児施設・児童自立支援施設等)が特別な支援を必要とする子どもたちへの家庭の代替機能となっている。
 第五の「老親扶養」を加えた理由は、家族機能と福祉機能の整合性を持たせるためでもある。また、多くの老人が自宅で死を迎えたいと思っている(平成28年版「高齢社会白書」では過半数の老人が自宅で死を迎えたいと思っているという)が、それが可能となるには家族の支援と訪問緩和ケアが必要となる。また、32.4%にものぼる独居世帯への支援は、まさに社会福祉が担うしかない。もし、親族がいる場合には、親族ネットワークを作る努力も欠かせない。そこから支援を得られる可能性があり、家族の再統合という事態が発生するかもしれない。それは支援を受ける側にとっても望ましいことが多いのではないか。
 しかし老親ケアには時に介護自殺・殺人という悲劇が発生する。警察庁の犯罪統計によれば、2007年から2014年までの8年間に「介護・看病疲れ」を動機として検挙された殺人は356件、自殺関与は15件、傷害致死は21件であった。また殺人ではないが、内閣府の自殺統計によれば、2007年から2015年の9年間に「介護・看病疲れ」を動機とした自殺者数は2,515人、そのうち年齢が60歳以上の者は1,506人で、全体の6割を占めている。統計がとられるようになってからまだ10年も経過していないが、この間に介護・看病疲れによる死亡がこれほどまで多く発生していることに驚かされる。そうならないための社会的支援システムは充実させる必要があり、現在でも各種の老人施設が用意され、包括的ケアが行われる。重要な点は専門家の支援が身近に存在するかどうかである。
 ここで、拡大の一途を辿る国民医療費の問題について簡単に触れておくが、親を1分1秒でも長く生かしておきたいという子どもや親族の気持ちは理解できるものの、そのための医療コストに関する啓蒙を国民に対して行っておく必要がある。2016年8月 9日、国立社会保障・人口問題研究所が発表した2016年の社会保障給付費(一般会計における社会保障関係費+特別会計における年金・医療費等)は112兆1020億円となっており、前年より1兆3970億円増えたという。現在の我が国の借金(国債・地方債等発行残高)は、財務省の発表では2016年9月末で1062兆5745億円になったという。このままの割合で社会保障給付費や国の借金が増大していくと、次世代に莫大な負担を残すこととなり、この減額の方法も考慮しなければならない。家族機能の補完機能としての社会福祉との考え方は、その点への対策も提示できるものでありたいが、その点への考察は別の機会にしたい。
 子どもの養育機能と老親の扶養機能をひとつのものとして考えることも可能であることは先に述べたが、その場合の関係を図示すると次のようになる。

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7.まとめ

 トッドやマードックが指摘する如く、核家族は非常に脆弱(バルネラブル)な存在である。そういう意味において、戦後我が国が核家族を増加させて国内需要を喚起し、経済成長を成し遂げて来た路線によって、今日の家族力は低下した。その結果さまざまな家族問題は惹起したと言える。
 それにはもちろん、GHQ(占領軍総司令部)の、戦前の軍国主義国家を根底から支えていた直系家族解体政策が大きな効果をあげた。『学際研究69号』で筆者が指摘したように、核家族ではなく拡大家族を増加させる政策誘導をしていたならば、今日の問題はもう少し緩和されていたかもしれない。
 しかし今日の社会において、拡大家族を形成することは世帯別類型が示しているように容易でない。そのバルネラブルな核家族を支援する形態は、家族を強化する政策を行うこと、遅まきながら拡大家族形成の政策誘導を行うこと等と並行して、地域づくりを行って核家族を支援する人間集団とするしかない。その意味において我が国政府が2007年に社会保障国民会議の「日本経済の進路と戦略(経済財政運営の中期方針)」において提唱した「自助・共助・公助」の適切な役割分担の下、持続可能な福祉制度を維持するとの方針は、あながち的外れではないと思う。しかし問題は、その意味を理論化し、国民に啓蒙する努力を行わなかった、あるいは行えなかったことにあると筆者は考えている。とくに家庭の役割を理論化出来なかったことの問題が大きい。通常、自助→共助→公助という順に支援のレベルが上がるとされるが、家族を支援するためには、→の方向は逆なのである。自助←共助←公助でなければならない。公助は家族を強化する目的を明確に持ち、共助も家族強化を目的とする。一方の家族の自助努力は地域を支え、さらに、いま風の表現ではないが国を支える姿勢を失わない、という関係の明確化である。それが行われなかった結果が、社会福祉制度を効果的に利用できない事態を増やしている、つまり制度を悪用するケース、必要なのに利用しないケースの双方である。
 家族による扶助を意味する「自助」の家族強化策とは、たとえば、結婚届けを役所が受領する際、結婚の意味や家族を作ることの意味を学ぶセミナー受講を義務付けることとかが考えられる。その後に祝い金を供与する。また、常時、家庭支援員を設置して家族カウンセリングやファミリーソーシャルワークを行う。その点、家庭支援法の成立に期待したい。
 また拡大家族形成の政策誘導は、やはり祖父母の持つ貯蓄への課税の工夫であろう。現在施行される教育費としての孫への贈与の無税化などは望ましい施策といえる。その他にも、様々な政策を考えたい。
 事態が家族のレベルを超えると地域が支援を行うことになる。「共助」である。この地域の概念規定がいろいろとあるが、筆者は近隣によるインフォーマルな支援から社会福祉法人による支援までを地域福祉の範囲と考えている。有料・無料を問わない。法人までを含むとなるとかなりの支援が可能となる。しかし、そこに経済的な困難が生じると公的(国)による支援(「公助」)というレベルになる。最たるものが生活保護、子どもへの三種の手当(児童扶養手当・特別児童扶養手当・児童手当)、加えて難病指定の治療等なども含まれる。

IPPReport023-4
 あまりにバルネラブルな核家族を社会福祉が支援していくためには、支援の専門家が必要である。複雑化した社会福祉制度を適時に利用できるには専門家のアドバイスが不可欠である。それなくして家族への加重な負担の解消にはつながらない。またファミリーカウンセラーの力も利用して家族力の強化も図りたい。
 こうして核家族への直接的な支援、核家族を支える地域づくり、さらに国家による支援によって、社会を根底から支える最小単位としての家族の問題解決能力を高め、事態を鎮静化させることに貢献できるものと考える。

 

1 『家族システムの起源』上巻(エマニュエル・トッド著、藤原書店2016年7月10日出版石崎晴己監修訳)20頁2 同著、40頁
3 Wiki「エマニュエル・トッドの項」
4 トッド前掲書上巻51-52頁
5 トッド前掲書上巻、47頁
6 竹内芳郎『国家と文明』岩波書店、1985年、82頁
7 同上、81頁
8 Wiki「エマニュエル・トッド」
9 トッド前掲書上巻18頁
10 同著17頁
11 『世界像革命』(藤原書店2001年石崎晴己編)において、石崎晴己は「トッドに人類学の最大の目的が、マルクス主義的歴史学に対する反駁であることは、十分に示されたであろう」(47-48)と述べている。しかしトッドは『トッド、自身を語る』(石崎晴己編訳、藤原書店2015年)において、自身のフランス共産党時代を振り返っている。スターリン主義政党ではあったと批判しながらも、自身が所属していた細胞のメンバーは非常に思いやりのあるメンバーが多く人情的であったという(同著59頁以降)。青春時代の思い出として、sympathyを感じるというところだろうか。しかし理論については、マルクス主義経済学は神学と同じようなものであり、史的唯物論も歴史の事実とは異なるものの、階級分析については未だに有用だと感じているとも述べている(90-91頁)。
12 末吉重人「『家庭の目的論的定義』構築の試み」『学際研究』69号(日本学際会議2015年10月1日)2459頁
13 同著下巻505頁
17 トッド前掲書上巻64-65頁
18 同著上巻48頁
19 末吉重人前掲論文2463-2464
20 ジョージ P. マードック著『社会構造』(原著1949年、内藤莞爾監訳、新泉社、1978年)26-32頁
21 『新・社会福祉士養成講座 社会理論と社会システム』(社会福祉士養成講座編集委員会、中央法規、2014年第3版)109頁
22 マードック前掲書、32頁
23 マードック前掲書、310頁

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