児童虐待と子育て支援を考える ―求められる家族の再生と虐待予防強化の視点―

児童虐待と子育て支援を考える ―求められる家族の再生と虐待予防強化の視点―

2017年5月29日

米の高校で出会った10代の母親たち

 私がアメリカの高校でカウンセリングしていた時、「10代の母親クラス」を担当したことがある。15人ほどの生徒がいたが、全員が「確信」妊娠、つまり「子どもが欲しい」という子たちだった。「できちゃった」妊娠は一人もいなかった。子どもがいないと寂しい、家族を作りたいという願望を持っていたのだ。
 しかし、子どもは成長して自我が芽生えてくると、親の思い通りにならなくなる。そうすると、その子を養子に出して、また次の子を産む。そういう流れの中に生徒たちはいたのである。中には肉親の援助を受けて子育てできる幸運な生徒もいるが、それは例外で、未成年の母親だけでは育てられなくなる場合が大半である。
 どうしてこのような話をするかというと、児童虐待には、貧困と10代妊娠とドメスティックバイオレンス(DV)が強く関連していて、非常に複雑な構造になっているからである。
 私はカウンセリングの立場から虐待の現場に入って、一つひとつの事例の「個別性」を理解したいと考えている。特殊な事例ばかりで、「虐待とはこういうことである」と定義できないほどの複雑さがあることを指摘したい。これが第一の課題である。

社会システム改善の視点が必要

 二つ目の課題は、我々カウンセラー、政策担当者も含めて、児童虐待の現状を改善したいと願い、様々な政策を立て、カウンセリングを行い、教育を行う。しかし、なかなか解決できない。時には無力感さえ感じるほどである。
 解決できない理由は何か。カウンセリングでは「社会正義」と言って、全てを個人の責任に帰してしまうことには無理があると見る。つまり虐待も社会システム上の問題から生じる比重が大きいと捉え、社会システムを改善していくという視点も必要だと考えるのである。逆に言うと、現状はそういう視点が薄いということにもなる。
 アメリカでは黒人の子どもたちの多くは、父親が刑務所に入っているか亡くなっている。つまり「父親不在」が当たり前のようになっているのである。近所の人たちが「uncle(おじさん=自分のほうを向いてくれる大人、保護者)」として拡大家族の役割を担っている。少なくとも義務教育を受けることができ、自分を見てくれる一人の大人がいれば、人間として育つ環境は維持されると心理学では考えられている。現実にはそれさえない子がいるわけである。
 アメリカにおける虐待の原因は日本とほとんど変わらない。「家族の孤立」「子どものニーズや成長についての無知」「家庭内暴力の犠牲者」「貧困」などである。
 その中に「地域社会の劣悪な環境」もある。これは日本とは違う点である。
 例えば、ワシントンDCのある黒人地区では、ある子どもは毎晩風呂の中で寝ているという。なぜなら、夜に拳銃を持った連中がいて、襲われないためには風呂の中が一番安全だから、だというのである。子どもはそういう暴力を見ながら育っていて、精神的に非常に不安定になる。その子たちに「自分の将来を考えろ」と言っても、考えられない。本当に難しい課題である。

「家族という資源は子どもにとって必要」

 その他、アメリカでは薬物依存、DVも大きな問題である。家族の崩壊の特徴だと言えるだろう。
 また、例えば父親が娘に暴力をふるった場合、警察が父親を子どもに近づけないように、家庭から引き離してしまう。ところが、父親がいなくなると子どもたちは好きなことをやり始めて、家族の秩序が成り立たなくなるケースもあった。
 アメリカカウンセリング学会は、2012年に大反省をしている。倫理綱領を作る際、「家族という資源は子どもにとって必要な資源である。それを奪うのは慎重でなくてはいけない」と謳った。というのは、以前は大半の場合、裁判所で親の養育権を奪っていたが、それによって様々な問題が生じた。そのため、どんな親であっても、どんな家庭であっても、子どもにとっては大切なものであるということを第一に認識しなければならないという考えに至った。

日本の虐待の背景に親のメンタルヘルス

 一方、日本の現状はどうなっているであろうか。
 児童相談所の児童虐待相談対応件数は10万件を超えている。児童虐待の定義として「身体的虐待」、「性的虐待」、「ネグレクト(育児放棄)」、「心理的虐待」があるが、近年増えているのが心理的虐待である。子どもの目の前で夫婦どちらかが相手に暴力をふるう、言葉による脅しなどだ。
 日本でスクールカウンセラーをした経験から言えるのは、虐待の背景にある第一の問題は、親のメンタルヘルス不調である。特に母親が重篤な精神的病を抱えている場合。大学生に、親から食事を作ってもらえなかった経験があるかと聞くと、必ず何人かいる。「当時は母親の態度が理解できませんでした。20歳を過ぎてから、やっと意味が分かりました」と言う学生もいる。親の方が自分の不安定な状態を理解せず、援助も受けていないケースが多い。
 保護者側のリスク要因には、望まない妊娠、愛着形成の問題(早産など何らかの問題が発生したことで胎児への受容に影響がある)、マタニティーブルーや産後うつ病等精神的に不安定な状況、医療につながっていない精神障害、アルコール依存や薬物依存、自身の被虐待経験、育児に対する不安やストレス等がある。

子どもの発達と貧困の問題

 日本の課題の二つ目は、子どもの発達である。ある母親が子育て相談に来て、「この子は悪魔の子です」と言い出したのである。家庭を崩壊させるために生まれてきた子だと。抱こうとすると反り返る、夜は泣きっぱなし、笑顔もない。どう育てたらいいかわからず、親は追い詰められていたわけである。こうした育てにくさを抱えている子どもが増えたと言われている。
 それから貧困の問題である。日本でも相対的貧困が拡大している。ある女子中学生が学校に来ない。なぜかというと、家で祖母の内職の手伝いをしていた。家の役に立たないといけないというのである。また、学校の制服が買えない、十分な食事ができないという子もいる。私はそういう子たちのカウンセリングも行っているが、時には無力感を感じる。
 また、養育環境のリスク要因では、未婚を含む単身家庭が増えたこと。また、内縁者や同居人がいる家庭、子連れの再婚家庭、夫婦関係をはじめ人間関係に問題を抱える家庭、転居を繰り返す家庭、親族や地域社会から孤立した家庭、生計者の失業や転職の繰り返し等で経済不安のある家庭、夫婦不和、配偶者からの暴力等不安定な状況にある家庭、定期的な健康診査を受診しないなどである。
 例えば虐待を受けている子どもは、他の家庭でもそのようなことがあると思い込んでいる。友達の家に泊まりに行って、「○○ちゃんの親は夫婦喧嘩しないの」と驚く子もいる。
 それと、私は養護施設で心理士を数年間していた。児童養護施設にいる子どもは約3万人である。私が出会った子たちは、両親はいるが、刑務所に入っていたり、健康の問題を抱えていたり、何らかの事情で親が育てられない子たちであった。両親の暴力を目の前で見てきた子もいた。

愛着障害を抱えた子どもたち

 こうした子どもたちの大半が愛着障害を抱えている。3歳から5歳の子どもである。施設に行って一緒に遊んで、帰ろうとすると、くっついて離れない。離れたら二度と会えないと思っているのである。親が突然いなくなるという経験をしているため、大きな不安を持っている。愛着が不安定な子はDVになりやすい。愛情を裏切られたと思うと、暴力に切り替わっていくからだ。
 それと10代の出産。10代で出産した母親のうち、家庭で父親の暴力を経験していたのは39%である。婚前の妊娠で15歳から19歳の女の子に限ると8割以上になる。つまり、父親の優しさを求めて男性と出会い、若いうちに妊娠するケースが多い。暴力の連鎖は10代の母親に影響を与えるというわけである。だから、そういう女の子たちを頭から叱りつけるだけでは問題は解決しない。
 もう一つの問題は、親子の問題が学校に飛び火することである。ある親が教育委員会を訴えた。学校の教師が子どもの面倒を一切見てくれないと。それで教育委員会が教師を呼び出す。親を呼んで話を聞くと、親と子が2年間、一切口を聞いていないという。意思の疎通が全くできていない。教師が助けようとすると、それが教師への攻撃に変わったわけである。
 このように、人間の葛藤は家庭の中で起きていることが学校でも起きて、社会の中でも起きている。児童虐待は家庭の中だけでなく、学校でも社会でも起きている問題だと言えるわけである。

虐待が発生する心理的メカニズム

 虐待発生の心理的メカニズムは、様々なことが指摘されているが、親が子どもに非現実的な期待を持ったり、子どもがその期待に一致しない行動をとると悪意と解釈して、意図的に親を悩ますと思い込んで、体罰を与えて厳格に躾をすることがある。
 一人の女子学生が相談に来た。家庭で父親(夫)が母親(妻)を怒鳴り散らしていたという。「子どもを泣かすな」と。子どもを泣かせないために、母親は子どもを叩いたり、口を押さえたりして黙らせようとしていたのである。これは父親と母親の関係性が子どもに投影されたのであって、虐待の責任を母親に問うのは難しい。この子は重篤な心の病にかかってしまう。しかし、父親はそういう問題に気付かないわけである。
 しかも虐待をした親は、自分の欲求を子どもに満たしてもらおうと過剰な期待をする。夫婦間の葛藤が子どもに飛び火する。それが躾という名の下に暴力に変わっていくわけである。
 こうした親に対しては、子育てとはどういうものであるかを教える必要がある。自分の欲求を子どもに満たしてもらおうとしないで、何らかの現実的な方法を探る。そして肯定的な社会関係を結び、社会的な孤立から脱することを学ぶ。さらに、夫婦間の関係を改善し、未消化の欲求不満を改善するコミュニケーション技術を習得し、暴力を用いずに子どもを躾ける技術を習得する。
 原則は、子どもの福祉を最優先し、子どもと家族が必要としている資源を提供しなければならない。それは子育ての知識と技術、そして援助であろう。ただし過度の援助はかえって問題になる。依存心を高めてしまい、自立する力を失う。自己尊厳を増すような援助が必要である。

子育てを「国民の教養」として教えること

 現在、親子再統合プログラムでは親の再教育に力を入れている。ただ、なかなか成功しない。
 小中学校の義務教育でも、子育てはあまり教えていない。高校、大学でも教えていないのである。心理学では発達を学ぶが、基本となる家族学や、親になるための教育が、基本教養から完全に欠けているのである。
 家族の中で育つことがどれほど大切なのかということを教える必要があると思う。その重要性を再度認識しないと、親の再教育をしてもうまくいかない。
 学校で子育てを教えるということ。いわば「国民の教養」としてそれを入れるということが第一だと思う。それは親に対する懲罰や修正のための教育ではなく、親になることは良いことである、自己の成長にとっても重要であるということを伝え、家族を築きたいという気持ちになれるような内容にしなければならないであろう。

教育支援による予防

 それと、「予防」の観点から考えてみたい。
 まず、一次予防としての子育て支援である。これは母子保健的支援、生涯学習支援、幼稚園・保育園の支援、カウンセリング的支援など、主に教育支援である。子育てとは何か、虐待はどのように発生するのか、暴力を用いずに子どもを育てるとか、生活スキルの教育という視点に立つ。
 もちろん、教育だけで全て解決するというわけではない。なぜかと言うと、危険性が高い家庭に二次予防として特別に手を伸ばして(アウトリーチ)、援助していく必要があるからだ。子育て経験者がアドバイザーとして支援する方法もあるし、コミュニティワーカーが支援することもある。私が勤務していたアメリカのカウンセリングセンターでは、10代の女の子が妊娠の相談に来たりすると、コミュニティで子育て支援をしてくれる人の分厚い名簿が提供される。子どもを育てる間、専門家や経験者に寄り添ってもらい、子育てを助けてもらうわけである。それほど支援できる社会資源が厚い。
 日本では、こうした支援があるコミュニティは少ない。母親が孤立しやすい。
 三次予防は、問題が起きてしまった家庭への対応である。つまり危機介入である。被害を受けた子どもたちをどうするか。緊急性が高い対応になるから、一人ひとりが判断して、ケースに応じて命を守ることを教えていかなければならない。
 また、日本の場合は虐待を完全になくさなければならないという言い方をする。アメリカの場合は虐待が起きないようにマネージメントするという姿勢がある。つまり予防である。理想を語るだけでなく、現実の人間の姿の中から、家族をつくっていくと切り替えた時に、問題を作り直すことが可能になる。

行政による予防策

 行政が行っている3歳児検診は、身体計測などはもちろん、子育て相談なども行われている。虐待の予防という意味からも大切だ。ただ全国的に見ると、受診率はどこの自治体もおおよそ90%程度のようである。残りの10%は引っ越し、あるいは親が発達障害と診断されるのを恐れて受診させないなどのケースがある。ゆえに、その場で発達障害という診断をするのではなく、子育てを援助するという形で検診が行われれば、発達を援助できるシステムもできるのではないか。
 コミュニティワーカーや子育てアドバイザーは、アメリカでは盛んに活動している。日本でも子育てアドバイザーの制度を作っている自治体もある。岡山県には『子どもが心配』というプログラムがある。「こういうときに子どもが心配になる」というのを、各家庭、学校で徹底させて、虐待や不登校の防止に取り組んでいる。町全体が立ち上がると、何かができる可能性がある。
 看護師や助産師が、子どもが生まれる前に家庭訪問している所もある。家庭訪問をすると、親のメンタルヘルスなど問題が分かる。つまり、子どもが生まれる前に、問題を抱えた家庭が分かるケースもあるというわけだ。それを虐待の予防に生かすことができるのではないか。しかし、現実には予防できる部分を予防できていないことも多い。
 政府の対応は、この問題に限らず、どうしても後手になりがちである。必要性や緊急性がなければ、政策的に動くことはなかなかできない。そういう意味では、民間が動かなければならない。
 例えば、うつ病の対策では予算の大半を治療に使っている。しかし予防には治療ほどの予算が使われていない。予防に力を入れれば、治療の負担が減るはずなのに、である。
 児童虐待の問題も同じである。虐待が起こった家族を救うために予算を使うのは当然だが、虐待予防にもっと予算を投じれば虐待を減らすことができるはずだ。もっと予防に力を入れるべきである。
 そして、希望の源泉を絶たないために、暴力の連鎖を断って、コミュニティに家族を広げて子育てサポートを行っていく。子どものニーズに応える社会にすることが必要だと思う。

家族支援を社会システムとして厚くしなければならない時代

 学校と家族は最後の砦と言われる。学校に入学するときには、家庭で基礎的な教育を受けて、学校がそれを受け継ぐというのが理想だった。しかし現在、そうした基礎的な教育を受けていない子が増え、教師が家庭教育の半分を代わって担っているという時代である。教員採用の際には、家族の問題にどう対応するかという知識を教える。そういう時代がやってきたということである。学校が学校教育で終わるのではなく、家族教育の支援にも回っている。
 ただ、それを全て学校に任せるわけにはいかないということで、家族教育、家族支援を、行政はもちろんNPOなど幅広く扱って、家族支援を社会システムとして厚くできるようにしなければならない時代に入っている。
 今後、子どもの数が減少し、一緒に遊ぶ機会も少なくなって、孤立化する家庭も増えていくであろう。そうなると子どもの健全な育ちに様々な影響が出てくる可能性がある。子育てが孤立しないように、子育ての不安に対して適切な援助をしていって、地域の家庭児童相談室や子ども家庭センターの子育て相談など乳幼児期の教育・保育を強化する。
 そして親、特に母親だけの責任にしないで、地育という視点が必要だと思う。手を差し伸べていって(リーチアウト)、子育てには家族が寄り添った「村」が必要であると考える。

(本稿は、3月23日に開催した政策研究会の発題をもとにまとめたものである)

政策オピニオン
水野 修次郎 立正大学特任教授
著者プロフィール
愛知県生まれ。米シートン・ホール大学、ジョージワシントン大学卒。高校教諭、麗澤大学教授、財団法人モラロジー研究所道徳科学研究センター教授等を務める。専門はカウンセリング、発達学。教育学博士。臨床心理士。日本の中学や米国の高校でカウンセラーを務めた。著書に『カウンセリング練習帳』『争いごと解決学練習帳』他。編集翻訳書に『人格の教育』『「人格教育」のすべて』『ゆるしの選択』他。

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