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政策オピニオン

英国のEU離脱と欧州統合の行方

東京外国語大学大学院教授 渡邊 啓貴

2017.01.06

はじめに

 2016年6月23日に実施された英国のEU離脱を問う国民投票結果の後、「EUは崩壊するのか?」という言説が世界的に聞かれるようになった。一般にメディアのトーンは悲観的なものが多い。しかし私のような欧州を専門とする地域研究者は、一般に統合という大きな理想像を描き、そこにどれだけ近づいているのかという立場から欧州の現実を見るので比較的楽観的な解釈が多いように思う。地域統合という理想像に向って順調に進んでいるときの讃美の声と厳しい現実に直面したときの悲観論との落差が大変大きい。
 例えば、ここ数年EUで移民・難民問題が大きな社会問題となると、それに対してこれまでの欧州の移民政策の失敗をあげつらうことだけが先行する。実際の諸政策についての説明はあまりない。挙げ句は日本の移民政策に学ぶべきだという言説まで飛び交う。しかし、日本に本当にしっかりした移民政策があったのかどうか。
 多くの日本人は一般に、日本国内には日本人と一時滞在の外国人しかいないと考えている。そこには「移民」のカテゴリーがない。日本では選択的移民、選択的労働者の移入を認めるという政策はやっているが、その前提は「(基本的に)移民を入れない」ことだ。つまり日本の移民政策とEUのそれとは前提条件からして違っているのだ。
 そのような議論のすれ違いが生じる原因は、欧州統合の実情について日本で正しく理解されないままに、欧州で発生した事件や問題について表面的に議論するためにそうなるのだと思う。
 そこで英国のEU離脱について分析した上で、欧州統合の行方について私の考えを述べてみたい。

1.BREXIT

 今年6月の国民投票の結果、英国のEU離脱が既に動き出したかのような錯覚を持っている人が多いと思うが、実は正確に言えばBREXIT(英国のEU離脱)はまだ始まっていないし、交渉すら始まっていない。つまりBREXITを進めるという国民投票の意思表示が示されたに過ぎないのである。当の英国政府も(2016年10月段階では)実のところ、いつどのような形でBREXITになるのか、はっきりしていないというのが現実である。
 9月23日に欧州臨時首脳会議が開催されたが、英国が1973年にECに加盟して以来、英国の代表が初めて招かれなかった首脳会議だった。この会議の主な議題は難民・移民問題で、BREXITは話題に上らなかった。メイ英首相が「Brexit means Brexit」と語ったように、「EU離脱を国民が選択したのだから、その意思は尊重する」というのが共通理解で、その方向で進めていくということが確認されているのが現状だ。
 英国のEU離脱の国民投票(6月23日)からすでに(10月初めで)100日経過したが、何も決まっていない。今いえることは、英国がEUに対して2017年春に離脱通知を行うだろうということだけだ。そして交渉期間が2年なので、2019年までにどのような交渉が行われるのか。
 それを揶揄ってIrish Independent紙(2016年10月1日付)は、“ One hundred days later—we’re none the wiser as to what Brexit means.”と表現した(100日経っても方針が不確かなBrexit)。
 離脱派のフォックス国際貿易大臣は、「英国貿易はこれまで同様(WTOの枠組みでの)自由貿易を継続する。現在のところ英国経済は悪くなっていない。WTOの約七分の一を英国が占めているのであり、むしろEUの方が困るのではないか」と強気の発言を行った。

2.英国のEU離脱とその余波

(1)予想外の結果をどう見るか

 英国のEU離脱を巡る国民投票の当日(6月23日、日本時間)、駐日フランス大使館員と都内で会う約束をしていた。家を出るとき、午前のニュース速報では「残留派が52%を獲得して勝利するだろう」と報じており、安心してその人と会う場所に向った。ところが息を荒げて遅れて現れた大使館員が「52%で離脱派が勝った」と言ったのに驚き、一緒になってタブレットの開票速報に目をやったのだった。
 国民投票日の1週間ほど前の6月17日、残留派のジョー・コックス議員(女性)がイングランド北部のリーズ近郊の町で離脱派と思われる人物に銃撃を受けて殺害された事件が発生した。国民投票日を直前に控えた時期だっただけに、この事件は衝撃的に受け止められ、世論は残留派に傾くとみられた。ところが大方の予想を覆して、離脱派が僅差で勝利したのだった。
 国民投票の結果を受けたキャメロン首相は10月の党大会までに首相を辞めると宣言したが、世情の不安を配慮して、次期党首にテリーザ・メイ氏を選んで7月に早々首相を退任し、9月には下院議員も辞任してしまった。
 EU離脱を巡る世論調査結果の推移を見ると、2016年1月以降、離脱派と残留派の支持率は拮抗して推移していたが、既に述べたように、投票日1週間前の殺害事件で残留派が投票直前で優勢となりながらも、最終的には逆転されて離脱派の勝利となった。
 EU離脱を巡る国民投票に関する年齢別の賛否をみると、大まかにいえば、若い年齢層に残留支持が多く高齢者層に離脱支持が多いという傾向を示している。
 英国は1973年にECに加盟したが、当時20歳の若者は現在63歳であるから、今回の投票では高齢者層に該当する人々だ。これを前提に、当時の状況を振り返りつつ分析してみたい。
 英国がECに加盟したころ、実は英国にはあまりメリットの実感はなかった。というのも、1973年に第一次オイルショックが、79年には第二次オイルショックが起きて、(日本も同様だったが)戦後の高度経済成長を謳歌してきた先進諸国がこの時期に「成長の限界」という困難に直面したのだった。そのため1970年代初めから85年までの欧州統合の歴史は、「欧州統合の暗黒時代」ともいわれた。
 EEC(1958年発足)は60年代に関税同盟や共通農業政策を進めて発展し、70年には共通通商政策も始まった(参考:EECは組織としては残る)。そして次の段階として72年に(将来の通貨統合を目指して)欧州における共同変動為替相場制を導入した。その時期に英国はECに加盟した(1973年)。
 ところがドル・ショック(71年)など米国発の経済問題が世界に波及する中、英国では一旦加盟したECからの離脱を問う国民投票を行うことになったが(1975年)、残留派が多数を占めてEC残留となった。
 85年に(ミッテラン政権下で蔵相を務めた)ジャック・ドロール(Jacques Lucien Jean Delors、1925年- )が欧州委員会委員長に就任すると、彼は欧州統合を強力に推進し、域内市場統合による自由化が急速に進展し始め、「暗黒時代」を抜け出すように欧州経済が活性化し始めた。
 このころから欧州統合は独仏を中心に進められるようになり、英国は蚊帳の外におかれた。それを象徴するエピソードがある。
 EUは加盟各国が分担金を負担し合って予算とし運営するしくみだ。サッチャー首相は分担金に見合ったメリットがないと強硬で非妥協的な主張を続け、分担金の一部返還を要求した。84年のフォンテンブローの首脳会議では、最終段階でコール首相(西ドイツ)とミッテラン大統領(フランス)が共謀し、サッチャー首相への事前相談なしに二人で英国への還付率を決めた。それを知ったサッチャー首相は激怒したという。
 以上のような欧州統合と英国の関係を考えると、英国のEC加盟後、英国は欧州共同体加盟による恩恵の実感がほとんどなかった。それが高齢者層の離脱派支持となって現れたと言える。
 もちろん一般に若い人たちは理想主義者で、年配者ほど現実主義になる傾向があるから、今回のような結果を招いたのだという世代ギャップの視点もあるだろう。しかし、歴史的な流れの中で蓄積されてきた不満の思いもあったことは確かである。一方、現在の若者たちは生まれたときからEUという共同体の中で暮らしてきたので、離脱することは現状を変更することであり、むしろ勇気のいることでもあった。

(2)EUに対する不満

 離脱派の人々は、EUに対して何が不満だったのか。

①EUの官僚主導、独仏主導に対する反発
 とくに最近ではドイツのリゴリズム(rigorism、厳格主義)に起因する政策への反発がある。例えば、EUの財政規律に関するドイツの厳しい考え方である。ドイツの考え方の基本は、まず緊縮財政を行って身軽になり、その上で経済を立て直そうというもので、それは非常に理にかなったものと言える。
 ギリシア財政危機のときわかったことだが、ギリシア人はお金があれば使い、払えないときは払わなくていいという人生観をもつ。そのようなギリシア人に対してドイツ人のような厳格なやり方に改めよと言っても承服しにくいだろう。そういう国民性の違いも含めた国と国の感覚の違いが、EUの中にはあることを押さえておくべきだろう。
 もう一つはエリート層に対する反発だ。俗に「欧州統合はエリート層が引っ張り、大衆層が足を引っ張る(危機感をあおる)」とよく言われるように、エリート層による統合だ。経済情勢が厳しかった1980年代以降、エリート層が「域内市場統合によって市場が活性化される」「域内市場統合はやらねばならない」と言ってきたのが実情だ。

②社会に対する不満
 経済状況や景気が悪化したときに、もっともツケ回しがいくのが失業者、低所得者だ。彼らは社会の不満層となり、エリート層や政治に対して不満をぶつけるようになる。彼らは不満のはけ口として「欧州統合が全ての原因だ」と訴える。「人の移動の自由」の名の下に、移民、難民を受け入れてきた欧州統合のあり方を非難する。
 「ポーランド人の配管工」という言葉がある。配管工は体力があり、まじめできっちりした仕事をする外国人労働者を象徴する。例えば、ポーラドン人の移民労働者がその代表というわけだ。自分たちの職が奪われているのは、(英国に入ってきた)「ポーランド人の配管工」(移民労働者)のせいであり、移民・外国人の流入は失業問題をさらに深刻化させているというわけだ。
 いまから11年前にフランスでEU憲法批准の是非を巡る国民投票が行われたときも、「ポーランド人の配管工」に職を奪われていると盛んに言われた。この表現は英国に限らず欧州のあちこちで使われている。
 社会の不満層にとっては、都合の悪いことの原因は何でも欧州統合にあるとし、欧州統合がスケープゴートにされてしまった。それこそ根拠の不明確な「反EU」ポピュリズム運動である。それは右翼でも左翼でも同じような現象となって現れる。この反EU感情は、EUをリードするドイツへも飛び火している。

③英国の特殊性—「不実のアルビオン」
 フランスでは英国を皮肉って「不実のアルビオン」(アルビオンとはラテン語由来の言葉で、原義は「白い土地」の意)とよくいう。かつてシーザーが英国に攻め込んだとき、ドーバー海峡を渡ろうとして英国側の岸壁(白亜質)が白く見えたことに由来し、グレート・ブリテン島を「アルビオン」と呼ぶようになった。
 英国は長い大英帝国の歴史の中にあって、孤立主義に立つかと思えば、ときに大陸と手を組むこともあった。それはあくまで英国が自分の国益を中心にした考えに立つからであって、欧州大陸のことは二の次だという意味である。そこで大陸側からすると、英国はいつ手を切るか、裏切るか分からないというわけで、それを指して「不実のアルビオン」というのである。
 そのような英国の外交はある種ご都合主義の外交だと欧州からは見える。そこには島国として大陸から離れている上、「大英帝国」として欧州に頼らずにもやっていけるという自負があった。一方、フランスとドイツは、互いに憎しみあいながらも隣国であるからもちつもたれつの関係でやっていかざるを得ない。英国と独仏との間には、その違いがある。

(3)急ぎすぎたEUの東方拡大(同床異夢の拡大)

 もう一つの要素として、2004年のEUの第5次東方拡大がある。旧東欧諸国10カ国が一挙に加盟したこの時期が、大きなターニングポイントになったと思う。統合の中心を担ってきた西欧先進諸国の見通しが甘かったのではないか。
 冷戦後、東欧の中でも先進国といわれたハンガリーに、ウィーン経由で行ったことがある。首都のブタペストですら「相当遅れている」との印象があって、果たして(この時期に)東欧諸国をうまく取り込むことができるだろうかと思った。もちろん当時でも、若い人たちには英語も上手な人も多く先進的面もあったが、全体としてみた場合には問題があるように感じた。
 実は、EUの東方拡大は、アムステルダム条約(1997年調印、99年発効)とニース条約(2001年調印、03年発効)によって進められるようになったのだが、その過程で「欧州における南北問題」が議論された。そもそも西欧諸国、つまり先進諸国の集まりとしてスタートした欧州統合であり、またEUであるが、EUが旧社会主義国家群であった東欧諸国に拡大したときに、市場経済の発展が不十分な東欧諸国が先進国である西欧諸国に短期間にキャッチアップするのは容易ではないことは、当時から言われていた。
 それを急いで進めるための論理として当時、「柔軟性の統合」「多段階統合」「可変翼」などが主張された。つまり、一つの原理原則でやっては経済格差を埋めることはなかなかできないから、発展の段階に応じて柔軟に進めていく必要があるという考え方である。しかしこの見通しは甘かったと思う。十年程度で容易に解決するような問題ではなかった。
 西欧諸国と東欧諸国の間には、次のような思惑の違いもあった。
 西欧諸国には、EUの領域を東方に拡大して新たな市場と投資先を開拓していこうという狙いがあった。一方、東欧諸国の立場から言えば、西側先進国と一緒になることによって自分たちの国を近代化・工業化して経済発展をしていくという思いがあった。そこには「国境をなくす」という意識は自国に都合のよい分野でだけ想定されていた。つまりEuropean economyとnational economyのどちらを重視していくのかという違いである。

3.BREXIT後の展開

(1)メイ政権の誕生

 英国政府は当初、国民投票後BREXITをゆっくり進めていくつもりのようであったが、BREXITが予想以上の大騒ぎになったために早めの政権交代となった。新首相にはもともと残留派だったテリーザ・メイ氏が就任した(9月13日)。メイ首相は、以前内相時代にテロ対策や警察改革で手腕を発揮し、厳しい移民政策を行ったことで知られている。
 メイ首相は3人の離脱派の閣僚を任命した。新設のEU離脱相にデビッド・デービス氏を、同様に新設の国際貿易相にリアム・フォックス氏を任命し、外相にはボリス・ジョンソン氏を任命した。フォックス国際貿易相は、いま世界を回って英国との関係維持のために働いている。そしてメイ首相は、2017年3月にはEUに離脱通知を行うことを表明した。

(2)離脱による影響

 国民投票前に既に離脱派勝利の際のマイナス面の議論もされていた。例えば、成長率がマイナス3.6-6%、ポンドの12-15%下落、失業率の1.6-2.4%増加、平均賃金の2.8-4.1%下落など経済面のマイナス効果である。とくにEU域内の自由貿易協定による無関税の恩典がなくなるので、英国に生産拠点を置く日本車企業(トヨタ、日産、ホンダ)の欧州大陸向け輸出は相当不利になるだろうと言われていた。
 EU加盟国間の人の移動の自由については、バルト海諸国やルーマニアからの労働者の移入について英国はどうするのかといった問題もある。その他、さまざまなマイナス効果が予想されていた。
 ところが、国民投票結果の後の経済指標の悪化は想定内にとどまった。ポンドの10%下落は、事前の予想範囲内のことでもあり、その対応策も講じていた。かえってポンド安によって海外からの観光客が増えるという現象も見られた。
 景気指数については、7月は落ち込んだものの、8月には製造部門で48.3から53.3へと上昇して、10カ月ぶりの高水準を示した。サービス部門も7月の低調から回復傾向を見せた。
 このような推移もあって、離脱派と残留派との間の議論は膠着状態に陥り、国内での決着がついていない。もちろん国民投票によってEU離脱の意思表示は示されたのでその方向に向かって動いていることは事実であるが、その方法において軟着陸派と強硬派との意見が対立している。それぞれの主張の主なものは次のとおりだ。

<離脱軟着陸派>(メイ首相、モハンド財相など)
・EUの分担金を支払い、規制も受け入れ、単一市場に実質的にとどまり、他の加盟国での一律業務が可能な「単一パスポート」を保持する。関税同盟にも残留。
・自由貿易市場残留と引き換えに、「人の移動の自由」、とくに東南欧加盟諸国移民の受け入れについては緩やかな規制をかける。
<離脱強硬派>(ジョンソン外相、デービス離脱相、フォックス国際貿易相など)
・単一市場から離脱し、関税同盟からも脱退。米中日などとの自由貿易協定を締結して、海外取引の多角化を強める。WTOの自由貿易ルールに則って進める。
・人の移動の自由については、ポイント制などで厳しい選択移民政策による制限政策をとる。

(3)反EUポピュリズムの高まり

 英国のEU離脱を受けて、他の国に同様の動きが広がるのではないかという「離脱ドミノ」の懸念もある。現在のところ(2016年10月時点)、経済面での大きなマイナスはそれほどみられないが、「嵐の前の静けさ」という見方もある。今のところ、離脱ドミノ現象は見られないようである。
 BREXITは大衆迎合主義(ポピュリズム)の表れでもある。排外主義や反ユダヤ主義、反イスラームなどの極端な意見を表明することで、国民からの人気取り政策を主張する政治集団が出てきている。米国におけるトランプ現象も、心理的には同じような現象と見ることができよう。
 また彼らはEUの移民政策を批判し、一時的に多くの大衆の支持を集めることに成功している。反EUの風潮だが、その困難の原因を移民や難民、外国人に規定して声を上げ、社会の歪みの原因をスケープゴートとしての欧州統合に結ぶつけた議論だ。
 主な極右運動としては、国民戦線(フランス)、UKIP(英国)、黄金の夜明け(ギリシア)、真のフィンランド人(フィンランド)、自由党(オランダ)、ドイツのための選択肢AfD(ドイツ)、北部同盟(イタリア)などがある。
 今後、英国の離脱派が主張するほど状況がよくならない場合には、反EUポピュリズム運動はしぼんでいくだろう。フランスの国民戦線(FN)が2017年春のフランス大統領選挙で狙っていることは、党首が大統領になることよりは、(最終決選投票では勝てないだろうから)決選投票に残るために第1回目の投票で僅差でNo.2になることだと思う。彼らは「フランスにおける最大の単一政党だ」と言っているのに、連立として組む政党がない。単一政党が二回目の投票に残れない、これがポピュリズムの限界だと思う。ポピュリズムはその時々の流れや風潮によって票が動くので、二回目の投票に残れなければ国民戦線は大統領選挙後にしぼんでいくと思われる。

(4)世界への波紋

 株式市場や通貨への影響もさることながら、ロンドン市場の混乱から金融センターが他の地域(パリやフランクフルトなど)へ移動するのではないかとの話も出ている。しかしこれはあまり現実味ある話ではないのではないか。例えば、フランクフルトに金融センターが移動すると、ドイツの一人勝ち体制が益々強まるだけであり、それに対する欧州各国の警戒感は強いものがある。ちなみに、フランスは、ロンドン・シティーの地位の低下を想定して、法人税軽減などを含めた自由化政策を進め、英国にある企業のフランス誘致のための手を打っている。

(5)日本への影響

 英国は、日本企業にとって欧州への重要な足場となっているだけに、ビジネス環境が今後どうなっていくかが最大の関心であろう。英国に進出する日本企業は約1380社あり、EUの恩典である「単一パスポート制度」(加盟国での一律の事業許可、免許制度)のために英国に拠点を置く企業が少なくないが、EU離脱はそれに重大な影響を与えるからである。ロンドンに拠点を置く銀行は、BREXITによってEU加盟国内で金融業の自由な営業活動ができなくなるといわれる。
 自動車産業では、トヨタ、日産、ホンダの3社が英国で生産する自動車の台数は、英国内の生産台数の約半数を占め、EUへの輸出の主力となっている。もし離脱によって、英国での製造自動車にEU各国での輸入関税が適用されることになれば、日系自動車企業の英国での製造停止の可能性は75%だとの見通しもある。関税が10%上がれば、そのコストは大きい。
 現在、日本政府がEUとの間で進めている経済連携協定(EPA)の行方も不透明になるだろう。ただし、今後の展望が不透明なだけに、模様眺めの状況と言える。

4.今後の展望

 英国はEU離脱の道を国民投票によって選択し、メイ政権はその国民の意思に従って離脱を進めようとしているが、もし離脱のメリットを活かすことができなければ、離脱派への支持は下がっていくだろう。それを土台とした反EUポピュリズム運動も下火になるに違いない。このままうまくいかないのならば、今後「何のために離脱をしたのか」という議論が出てくるかもしれない。そのとき国民投票のやり直しや議会での見直し議論が提起される可能性も否定できない。メイ首相はもともと残留派であり、そのような現実を訴えながらBREXIT再検討へと導いていくかもしれない。
 欧州の2017年の政治日程を見ると、3月にオランダ議会選挙、5-6月にフランス大統領選挙と国民議会選挙、秋にはドイツの連邦議会選挙が予定されているので、その辺も睨みながらメイ首相は、今後の具体的な動きを進めるのではないか。
 最後に、統合の未来について述べておきたい。
 今回の英国のEU離脱というできごとをはじめ、これまでにもギリシア財政危機、ユーロ危機、移民・難民問題など、さまざまな困難に直面しているEUだが、私自身は統合の動きは止まらないと思う。
 もともと欧州統合は、クーデンホーフ・カレルギー伯(Richard Nikolaus Eijiro Coudenhove-Kalergi、1894〜1972年)の平和と繁栄のための理想主義から出発しているとはいえ、その後福祉国家の危機に直面する中で、西欧先進各国が一国で解決できない経済・社会問題のリスクを共有し、規模のメリットによって危機を克服していこうという現実主義の試みでもある。統合とは危機克服のための手段だ。とくにマクロ経済を狙った市場統合は、高負担と活力を失いつつある西欧諸国の協力によるコスト削減とリスクの分担による構造再編でもあった。当然、それは各国の政治、経済、社会構造と制度の再編を必要とした、いわば「国境を超えたリストラ」であった。
 企業で言えば、企業単体で取り組むことには限界があるが、互いにいいところを出し合って補完しつつ、その一方で合理化と構造改革をしてスリム化しながら協力して支えあっていくという発想である。そのような営みを、ここにきて無為に帰することはありえないと思う。問題はどのようにして求心力を高めるかだろう。
 これまで欧州統合は、さまざまな危機をバネにして制度設計を繰り返しながら発展させてきた。そのときの核心は、統合に向けた求心力、ある種の気概(気合)、意志の力、そして各国の強い連帯である。もし恐れなければならないことがあるとすれば、そうした意志とイニシアティブが失われてしまうことだ。これこそが、BREXITが提起した問題である。

(本稿は、2016年10月1日に開催した「平和政策フォーラム」における発題内容を整理してまとめたものである。)

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