南シナ海紛争の諸相 ―仲裁裁判判決は米中関係、日本に何をもたらすのか―

南シナ海紛争の諸相 ―仲裁裁判判決は米中関係、日本に何をもたらすのか―

2017年1月4日

はじめに

 2016年7月、オランダ•ハーグにある常設仲裁裁判所において、南シナ海問題についてはじめての司法判断が下された。南シナ海上に人工島の造設などを行い周辺国と様々な軋揉を生んでいる中国に対し、フィリピンが2014年に提訴をしていたものである。これまでの中国の主張が全面的に否定された形の判決を日本の全国紙は大きく一面で報道し、法遵守への国際的な圧力が高まることへの期待を寄せた。中国の東シナ海への進出という同様の問題を日本も抱えているからである。国連海洋法条約に基づく判決は言うまでもなく拘束力があるが、中国は即日に「紙切れ」という言葉で、受け入れない意向を示した。しかも、その後のASEAN、ASEM(アジア欧州会議)、ARF(ASEAN地域フォーラム)と続くアジアでの国際会議では、表立った周辺国による中国の批判にはなっていない。裁判の結果を受けて、南シナ海は何がかわっていくのであろうか。本報告では南シナ海紛争の歴史的経緯を跡付けるとともに、判決内容の論点を整理した上で、南シナ海紛争が提起している問題を考察する。

1.荒れる南シナ海

 南シナ海は、中国、フィリピン、ベトナム、ブルネイ、インドネシア、マレーシア、台湾を沿岸に持つ約370万8000平方キロメートルの閉鎖海域である。ブラタス諸島(東沙、1945年より台湾が実効支配)、マックレスフィールド岩礁群(中沙)、スカボロー岩礁、パラセル諸島(西沙)、スプラトリー諸島(南沙)が存在する。特にここ数年紛争が激化し、注目されてきたスプラトリー諸島(南沙)である。スプラトリー諸島は、中国、台湾、ベトナムが全域の領有を、また、マレーシア、フィリピン、ブルネイが部分的に領有を主張し、ブルネイ以外のすべての国がいずれかの島を占拠し、非常に複雑な対立構造になっている。
 第二次世界大戦期に日本が南シナ海の領有を宜言したことは知られている。そして、サンフランシスコ平和条約の第2条(f)項において、南沙および西沙諸島に対するすべての請求権を放棄した。戦後、沿岸各国が次々独立する中、真空状態の南シナ海領域への主張も重複し、島の領有権を争うようになった。西沙については、1950年代には、中国と南ベトナムが進出し、1974年に両者間の紛争になったが、中国が南ベトナムを駆逐し、以後は、中国が全域を占有し今日にいたっている。一方、南沙では、1970年代にマレーシア、フィリピンが沿岸海域島嶼を、ベトナムは全島嶼の領有を主張するとともに基地を建設するなどの行動をとっていた。1980年代に中国の活動が顕著になり、1988年には海軍を派遣し領有標識や構築物を建設したことから、ベトナムとの間で軍事衝突が起きている。

【図1】南シナ海における主な石油貿易の流れ(2011年)(単位:百万バレル/日)
(http://www.eia.gov/todayinenergy/detail.php?id=10671)

南シナ海をめぐる権益
 1970年代から南シナ海がにわかに紛争の海と化したのには、同海域に膨大な石油の埋蔵量が存在するとの報告が国連アジア極東経済委員会(ECAFE)によりなされことが影響している。岩礁でなりたつ浅瀬の海は、鉱物資源のみならず、漁業資源の宝庫でもある。すなわち、“資源の海”である。また、オイルショックを通して、沿岸国はいうまでもなく、アメリカ、日本にとっても、石油を安定的に確保するために公海自由原則の下、船舶の自由航行を維持することが国益に直結すること、すなわちシーレーン(図1)としての南シナ海の重要性が再認識された。グローバル化経済の中、インド洋から太平洋をつなぐ、いわば世界の生命線ともいえる存在であることに、現在も変わりはない。図1を見てもわかるように、石油資源などの原材料、食糧などを大きく輸入に頼っている中国にも同じことが言える。また、情報化時代であるが故に、領有権をめぐって各国がナショナリズムを高揚させ、国内問題から国民の目をそらす絶好の場でもある。

中国の海洋大国化と九段線
 中国が南シナ海に軍事的な示威行動をする時期は、この地域のパワーバランスに大きな変更がある時、いわばパワーの空白が生じた時とも言えるであろう。西沙に進出したのは、ベトナム戦争とその後ベトナムが統一されるまでの混乱期でもあった。そして、南沙についても、アメリカとフィリピンとの関係が悪化し、アメリカ軍の撤退が完了した1992年に相前後して、漁船の拿捕事件や、フィリピンが領有を主張する岩礁に施設や港の建設などを行い、さらに1995年には、フィリピンが占有していたミスチーフ環礁を占拠した。
 一方、中国は、国連で審議されてきた海洋法の法制化過程に表面的には国内法を制定するなどあわせつつも、国連海洋法条約に照らしても法的根拠が極めて薄弱なまま、南シナ海への行動を拡大していった。「領海条約」が成立した1958年に領海を12カイリとする「領海法」を制定し、さらに、国連海洋法条約が発効する直前の1992年には、「新領海法」を制定している。これら国内法の中では、中国の主権が及ぶ自国領土として南沙、西沙を含む南シナ海の諸島を明記し、1996年に国連海洋法条約を批准する際にも、1992年の「新領海法」第2条に基づき領海の基点についての宣言も行っている。しかし、中国が領土とする島を具体的に特定していない限り、基線それ自体を設定することができない。ここで中国が唯一法的な根拠としてくるのが「九段線」である。
 中国の主張はまず、カイロ宣言とポツダム宣言によって、西沙と南沙を日本から回復したというものである。ベトナムなどからの反論もなく、1947年には、南シナ海への主権的権利を示す「十一段線」を描いた内務省の地図を政府内で回覧した。その後、1953年には、現在の九段線へと修正された。本来国内向けであったものが、公式な法的根拠として国際的に提示されたのが、2009年であった。国連海洋法条約では、領海の基線から200カイリまでを当該沿岸国の大陸棚とするとともに,大陸棚縁辺部を超えて大陸棚が伸びている場合は、一定の条件のもとで200カイリを超えて大陸棚を設定できることになっている。その場合は、その情報を大陸棚限界委員会に提出し、同委員会が検討し勧告を行うことになる。ベトナムとマレーシアが合同の申請を行ったのが2009年の5月であり、マレーシアがその通告を中国に行っていたため、中国もほぼ同時期に大陸棚の申請を行った。その時に、これまでの主張同様に、南シナ海の諸島に対する争う余地のない主権をもっていること、関連する海域、海底にも管轄権をもつとし、資料とし添付されたのが図2であった。しかも、この地図は、それぞれの破線の正確な経度や緯度も示されず、なぜこのような主張ができるかの根拠も示されていない。

【図2】中国の主張する九段線
出典:Note Verbale No. CML/8/2011 from the Permanent Mission of the People’s Republic of China to the UN Secretary-General (Apr. 14, 2011).

 その後、2011年にフィリピンが自国の大陸棚について先の中国の申請書への反論を提出すると、中国もこれまでの南シナ海への主張を繰り返すとともに、フィリピンは1970年代以前に南沙についての主張を行ったことはなく、中国は、1930年代以降南沙の地理的範囲について幾度となく公式に表明してきており、その主権的権利は、数多の歴史的な法的な証拠に裏付けられるものとした。こうして「歴史的な権利」としての「九段線」がこの時期から主張されるようになったのである。国際法的に見れば歴史的権利というもの自体が論争的なものであるが、中国政府ならびに研究者は、おしなべて歴史的権利に言及するものとなり、さかのぼれば、古代にその始まりを求めることができるとするのである。

アメリカのアジア回帰と中国の核心的利益
 中国が海洋進出を拡大するようになるのは、2008年のリーマンショックを経済成長を維持したまま切り抜け、さらに同年の北京オリンビツクを成功裏に終わらせたことの自信の現れでもあった。この時期は、アメリカがイラク戦争の失敗、リーマンショックから経済的に立ち直れず、アジア軽視が見て取る時期でもあった。とりわけ、オバマ大統領が就任してまもなくの2009年には、南シナ海で偵察活動していた音響観測艦インペッカブルが中国軍の艦船に囲まれ進路を妨害されるなど、アメリカを刺激する具体的な事件が次々起きていた。その結果オバマ政権の中国に対する警戒感が強まるとともに、アメリカのアジアへの関与、回帰が明確になっていった。いわゆるリバランス政策である。そしてこのころから、中国の南シナ海に対する行動も激化し、国連海洋法条約を無視する形で力でねじふせる姿勢も顕著になっていった。
 マニラから西に300キロの地点にあるスカボロー礁は、フィリピンが漁場として重視していたが、中国も漁民に補助金を出すなど特別な措置をとることで海南島から当該海域への出漁を奨励している。2012年5月には、同礁に停泊中だった中国漁船をフィリピンが拿捕したことをきっかけに、両国の艦船が一カ月以上も同海域でにらみ合いを続け、一触即発の事態となった。この事件以降、フィリピン政府は、積極的に国際裁判で争う姿勢を見せるようになっていった。一方、中国は南シナ海が「核心的利益」であるとし、フィリピンの事態を拡大化させる動きを批判した。しかし、フィリピンは、ASEANの拡大外相会議などでの解決も困難であることがわかると、2013年1月、国連海洋法条約附属書VIIに基づき、仲裁裁判の手続の申請を行うにいたった。

2.国連海洋法条約の紛争解決手続きとしての仲裁裁判

仲裁裁判判決までのプロセス
 フィリピンと中国は国連海洋法条約の締約国であり、したがって、同条約第XV部の紛争の解決に従わなければならない。国際海洋裁判所が新たに創設されたほか、国際司法裁判所、付属書VIIおよびVIIIに基づく仲裁裁判所など、複数の裁判所の中から選択肢をもたせながら、紛争の義務的解決を導入した。いずれの場合も、判決には拘束力がある。両国ともに事前にいずれの裁判所も選択をしていないため、第287条3項に基づき、同条約附属書VIIに記載されている仲裁栽判所に付託されることになった。フィリピンが判断をもとめたのは、主に以下の三点である(注1)。
(1)中国の主張する九段線が国連海洋法条約と整合性があり合法といえるのかどうか。
(2)国連海洋法条約第121条の下、中国とフィリピンが主張しているものが島なのか岩なのか、そして、12カイリをこえた海域の権限が発生するのかどうか。
(3)自国の排他的経済水域、大陸棚で生物資源を取得し、航行の権利を中国が妨害している違法性について。
 これに対して、中国は、南シナ海に対する中国の立場は明確で一貫しており、南沙とその近接海域について中国が主権を持つことは歴史的に裏付けられているとした。さらに、関連する二国間の交渉で紛争を解決すべきことは、中国とASEANの間の2002年の「南シナ海行動宣言」でも合意されており、フィリピンの行動はこの宣言にもとるものであるとし、中国は仲裁への参加を拒否する姿勢を示した。
 結局、中国不在のまま裁判手続は進み、裁判所は、中国にも陳述書を求めたが、中国は、裁判への参加を意味するものではないとした上で、2014年12月に裁判所には管轄権がないとする文書を公表した(注2)。これまで通りの南シナ海全域が中国領であるとする主張を展開するとともに、裁判所は、国連海洋法条約の解釈又は適用に関する紛争について管轄権を有するのであって、領土主権の問題に裁判管轄権は認められない。またASEANの行動宣言に基づき交渉で解決されるべきとの立場を示した。
 そして2015年の10月に仲裁栽判所は、フィリピンによる申立のうち7件についての管轄権を認め、審理に入ることを決定した(注3)。これに対して、中国外務次官は「仲裁は受け入れないし、審理に参加しない。背景には政治的陰謀がある」と強く反発した。さらに、2016年の判決直前の中国の条約局局長の海外報道関係者との会見でも、仲裁自体が無効であり、中国は国際法や国連海洋法条約に基づきこの問題を解決すること、「仲裁裁判を騒ぎ立てるのは世界では少数で、国際法の衣をまとって中国を批判するのは政治家である」と厳しく批判している。

仲裁裁判所判決の主な論点
 仲裁裁判所は2016年7月12日、500ページに及ぶ判決を下した。フィリピンの全面勝訴ともいえる内容であり、以下では、その申し立てと呼応させる形で概略する(注4)。

 一.九段線と中国の歴史的権利
 南シナ海の海洋の権利範囲は、国連海洋法条約が規定する。中国が主張する九段線に囲まれた歴史的権利は国連海洋法条約と矛盾し、法的効果を持つものではない。

 二.南シナ海の地形と海域の権利
 スプラトリー諸島(南沙)の高潮時に水面上にあるものはすべて国連海洋法条約第121条3項に示された人々が住んだり経済活動ができない「岩」であり、中国が主張するような排他的経済水域も大陸棚も形成しない。
 ミスチーフ礁とセカンドトーマス礁は高潮時に水没し、フィリピンのEEZや大陸棚の一部を構成し、中国のいかなる権利とも重ならない。

 三.南シナ海での中国の行動
 フィリピンの排他的経済水域であるミスチーフ礁やセカンドトーマス礁で中国漁民が操業しており、スカボロー礁でフィリピン漁民の操業を阻止するなど伝統的な漁業権を尊重していない。
 中国がミスチーフ礁などで行っている人工島の建設は、第192、第194(1)(5)、第197、第123および第206条に違反する。(筆者注:これらの条項は海洋現境の保護と保全を規定している。)
 スカボロー礁では、フィリピン船の接近を阻止し、衝突の危険を招いた行為は、同条約の第94条に違反する。

 四.当事国問の紛争の悪化と拡大
 仲裁が進んでいる間も、中国は埋め立てや、人工島や構築物の建設を継続してきた。フィリピンのEEZ内でのミスチーフ礁での巨大な人工島の建築、同礁でのサンゴ礁などの生態系に永久の被害を与え、紛争を悪化させた。

 こうして、中国がこれまで領域を主張する根拠としてきた九段線は完全に否定され、人工島を建設するなどの行動も違法とされたことから、中国の全面敗訴といえる結果になった。同日フィリピン外相は、判決を「画期的」なものであるとしたが、概して抑制的な反応であった。一方の中国は、判決翌日には、南シナ海問題に関するこれまでの立場と政策を再確認するとともに、判決は認められるものではなく、紛争はあくまでもフィリピンとの二国間協議で解決するとの白書を発表し、同時に外務次官の記者会見では、判決を「茶番であり紙切れにすぎない」と批判した。

3.南シナ海紛争とASEAN

膠着するASEAN
 判決は無効であり拘束力がないとする中国は、二国間ベースでの南シナ海問題の解決を主張し、ASEANの過去の宣言をよりどころとしている。ASEANは、1967年に原加盟国五カ国で設立されたが、現在では、中国、台湾を除く南シナ海に面したすべての国が加盟し、十カ国で構成されている。ASEANが南シナ海の問題に本格的に関わるようになったのは、中国による海洋への進出の既成事実化の進んだ時期である、1992年の第25回ASEAN外相会議では「南シナ海に閲するASEAN宣言」を採択している。南シナ海に関する主権、管轄権の問題を武力に訴えることなく平和的手段により全面解決する必要性を強調し、すべての当事者に対して自制を求め、航行の安全や、海洋環境保全で協力の可能性を模索するよう求める内容となっている。1993年の外相会議では、多国間協調の場に中国を取り込み、信頼醸成を図る目的でASEAN地域フォーラム(ARF)が設立されたが、大国も含め紛争に率直に意見交換を行うアジアでははじめての枠組みであった。
 そして、衡突事件など南シナ海が大いに荒れた1999年、ASEAN外相会議でフィリピンは、南シナ海での新たな占領や支配地域の拡大を禁止する法的拘束力のある「行動規範」を提案したが、適用範囲を巡りASEAN内でも調整が難航し、ようやく成立した合意案には中国の同意を得ることができなかった。そして、2002年11月のカンボジアで開催されたASEAN・中国首脳会談において「南シナ海における開係国の行動に関する宣言」が採択された。その内容は、ASEAN内部、さらに中国との合意を取りつけるために、南沙や西沙諸島についての具体の言及はなく、南シナ海という大枠で航行の自由や上空飛行の自由を尊重し、問題を複雑にする行動の自制と平和的な解決を求めるにとどまった。2002年以降、ASEANは、フィリピン、ベトナムを中心に行動規範への格上げなども模索してきたものの膠着状態が続き、「行動宣言」は中国の海洋進出を抑制することにはならなかった。逆に、仲裁裁判を受け入れない理由として、ASEANでの枠組みの交渉で平和的に解決すればよいとの理由づけに利用されている。

分断されるASEAN
 判決の翌日、岸田外務大臣は「仲裁裁判は最終的であり、紛争当時国を法的に拘束するので、当時国は今回の仲裁裁判に従う必要がある」との談話を発表し、歓迎の意を表した。それは、東シナ海での日中の緊張関係が2010年以降続いており、「国際法に従うべき」との中国への国際的圧力を強める絶好の機会ととらえているからに他ならない。判決のほぼ一カ月前の伊勢志摩サミットでは、日本は議長国として首脳宣言に海洋安全保障の項目で、緊張を高めるような一方的な行動の自制と、仲裁を含む法的手続を含む平和的手段による紛争解決の重要性を盛り込むことに成功している。
 しかし、判決の直後に行われたASEANでは、事前のASEANとの外相会議で中国が切り崩しを図り、結果的にASEANの共同声明は、“判決”という言葉さえ触れられていない。中国による徹底した加盟国個別の根回しが先に行われ、その後に外相会議を行った日本やアメリカの説得はまったく効果をもたなかったことになる。フィリピンやベトナムは仲裁裁判についての言及を求めたが、 中国から大規模な経済支援をうけているカンボジアが仲裁裁判を支持しないと明言し、議長国であったラオスも中国への批判的な対応は避け、ブルネイも中国と関係を強化しており、草案の段階から抵抗を示していた。コンセンサス方式で合意をとるASEANの限界とも言える。
 その後、ASEANと日米中も加わり安全保障問題を議論するARFが開催されたが、ここでも南シナ海問題での進展は見られなかった。アメリカも中国に対して法の遵守を強く求めるものの、自らが国連海洋法条約を批准していないという弱みもあり、また、何よりも南シナ海をきっかけとして、偶発的な事件から中国との関係が悪化することは決して望んでいないのである。

おわりにかえて

 「合意なきところに裁判なし」の言葉も示すとおり、裁判の前提は、両者が裁判の付託に合意していること、すなわち、かりに納得のいかない判決であっても受け入れ、法を遵守するという暗黙の了解があるという前提である。今回の場合は、国連海洋法条約の強制的管轄権に基づく形をとっているため、条約加盟国である中国にも仲裁裁判所の管轄権がみとめられたことになる。しかし、実際には、中国は一貫して裁判に応じない姿勢を示していることから、これまでの国際裁判とは異なるケースとなろう。

【図3】各国が主張する海域
出典:AP(http://www.breakingnews.com/topic/south-china-sea-dispute/)

 かりに中国が今回の判決を受け入れたとして、南シナ海の問題は、その他の当事者で主張が錯綜しており、個別の軍事衝突や対立を避けながら、交渉を継続していくのは非常に困難である(図3)。“共同開発・管理”という言葉がでる隙さえないのが南シナ海の現状である。
 既存の国際法的枠組みとは相いれない中国の独自の主張であった九段線、海洋の歴史的権利について、判決で否定されたことの法的な意味は大きい。しかし、このまま中国が何らの影響を受けず無視をし続けるとすれば、そもそも裁判自体の意味を大きく減じることになろう。大国であれば法を守らなくても良いことを明らかにしただけの仲裁裁判であるとすれば、今後の国際社会への影響はあまりにも大きい。また、仲裁裁判は当該当時国に関するものであるとはいえ、国連海洋法条約の規定を確認しており、判決文が詳細に論じた岩や島の問題は、本報告では十分に触れていないが、沖ノ烏島をかかえる日本をはじめ、多くの沿岸国にとつて他人事ではない。
 中国は、法的な妥協は断固として行わない姿勢を示す一方で、一連のASEANの会議では二国間ベースでの交渉に余念がない。核心的利益や海洋権益を維持しつつも、対立や紛争の拡大、そして意図せざる形の現場での軍事衝突は避けたいのが本音であろう。アメリカの新たな政権がアジアや南シナ海にどう向き合うのか、紛争に巻き込まれたくはないが、地域に無関心ではいられないというジレンマは変わらない。
 以上のようにして、南シナ海紛争は当該問題を越えて、大国による法の遵守の問題と地域におけるパワーバランスによる政治問題など、より大きな問題をつきつけているのである。そんな中で、日本の舵取りが、今、問われているのである。

(2016年9月21日に開催した「21世紀ビジョンの会」における発題をもとにまとめたものである。なお、同報告は、都留康子「南シナ海紛争をめぐる法と政治—仲裁裁判は何をもたらすのか—」(『法学新法』123巻7号,2016年,361-382頁)に基づくものである。)

 

(注1)具体的には、15件の項目について審理を求めている。Award on Jurisdiction and Admissibility (PCA Case No. 2013-19). 29 October, 2015, para.101. 常設仲裁裁判所のホームページ(https://pcacases.com/web/sendAttach/1506)より。

(注2)Position Paper of the Government of the People’s Republic of China on the Matter of Jurisdiction in the South China Sea Arbitration Initiated by the Republic of the Philippines, dated 7 December 2014, in Zou and Ku eds., Arbitration Concerning the South China Sea, Ashgate, 2016, Appendix 2.

(注3)Award on Jurisdiction and Admissibility, 29 October, 2015, p.149, ibid.

(注4)Award (PCA Case No. 2013-19). なお、判決文全文は常設仲裁裁判所のホームページ(http://www.pcacases.com/pcadocs/PH-CN%20-%2020160712%20-%20Award.pdf)より。

政策オピニオン
都留 康子 上智大学総合グローバル学部教授
著者プロフィール
1993年上智大学大学院外国語学研究科博士前期課程修了。97年東京大学大学院法学政治学研究科博士後期課程単位取得退学。東京学芸大学、中央大学法学部教授を経て、2014年より現職。専門は国際政治学、平和学、国際制度論、特に、海洋ガバナンス、アジアの海洋安全保障。主要論文に「南シナ海紛争の諸相―ASEAN は米中対立をのりこえられるのか」(『法学新報』2014年)、「アメリカと国連海洋法条約―神話は乗り越えられるか」(『国際問題』2012年)など。編著書に『変容する地球社会と平和への課題』(中央大学出版会、2016年)、『国際関係学―地球社会を理解するために』(有信堂、2015年)など。

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