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政策オピニオン

日本型価値観外交の構想


元国際基督教大学教授・高橋一生

2013.11.28

 安倍政権が登場して,価値観外交を基本として外交政策を進めようとしている。一般に価値観外交では,民主主義や人権などのいわゆる普遍的価値が主張される。しかし,米国の例に見られるようにその限界性を認識しない場合には,他国からの反発を招くことも少なくない。日本は,これまでの価値観外交の歴史に学び,日本的な特徴を活かした日本型の価値観外交を展開することが,これからの外交課題といえる。どのような日本型価値観外交が考えられるか,いくつかの構想を提案する。

はじめに

 日本型価値観外交について考えるときに,前提とすべき共通認識事項が三つほどあると思う。

 第一に,超党派外交のベースに価値観外交を据えるべきだということである。今年2月,安倍首相が訪米しオバマ大統領と首脳会談をした。そこで安倍首相は‘Japan is back.’と語り,「これで日米関係は(民主党以前の)元に戻った」と確信したようだが,米朝野の反応はクールであった。それは米国から見れば,対日外交は基本的に超党派外交であり,「(一部おかしな首相もいたが)民主党政権も対米関係は外交の基本だと主張していたのに,わざわざ‘Japan is back’という必要はないのではないか?」という認識からであったと思う。

 更に言えば,日本も超党派外交的なスタンスで一貫して欲しいという,米国側の言外のメッセージであったのではないか。日本も,冷戦時代はいざしらず,政権が交代し連立政権ができたとしても,日本の立ち位置はそれほど変わるはずはない。そうだとすれば,日本も超党派外交のスタンスを定める必要があり,その基礎に価値観外交の構想を考えておく必要がある。

 第二は,明治維新以来150年間,日本は「脱亜入欧」の道を追求してきた。それがいまや「入亜」に舵を切り始めた。しかし「脱欧」ではなく,欧米に置いた足はそのままにして,アジアに目を向けるスタンスを明確にし始めたのである。この傾向は,おそらく21世紀を通じてもその方向でいくであろうと思われるし,そうあるべきだと考える。

 この点から見るときに,これまで日本が展開してきた外交路線が,今大きな転換点に立っているという意味合いがあるように思う。そのときに「路線を転換した背景は何か」「日本は何を考えているのか」ということが必ず問われる。これについてもよく踏まえておく必要があるだろう。

 第三は,価値観外交は歴史上さまざまな形で展開されてきたが,成功した事例はまずないということ。価値観外交は非常に難しく,死屍累累,それはなぜなのか?それを問うべきだ。その上で,価値観外交の構築を考える。
これらの前提を置いた上で,次に日本型価値観外交の構想を考えてみたい。

外交における「価値」の役割

 (1)同盟機能および安全保障共同体の基盤:イデオロギー機能

 外交上の価値は,歴史的に見たときに,具体的にどのような意味を持ってきたのか。一つは,「価値」が時々安全保障上のテーマの一つになってきたが,それはいつもイデオロギー的色彩を帯びていた。

 19世紀初めに,ナポレオン戦争が終わり戦後処理のウィーン会議の後,「ヨーロッパ協調」(Concert of Europe)が欧州を覆ったときの価値観は,明確に「保守」であった。即ち,旧体制(アンシャン・レジーム)への回帰を前提にした,主要国間の安定した関係の再構築である。それが半世紀にわたり欧州を中心とした世界体制の安定に寄与した。

 これは,ある意味で成功した価値観外交の事例である。但し,価値を表には出さず,「阿吽の呼吸」で保守同盟が形成された。このときの「保守」は欧州の安全保障体制を固めるものとして表に出ていくと同時に,そのときの正統性(legitimacy)の価値も共通のものとして認識されていた。この詳細な経緯をまとめたのが,H.キッシンジャーの著書A World Restored: Metternich, Castlereagh and the Problems of Peace, 1812-22, (Weidenfeld & Nicolson, 1957。邦語訳は,伊藤幸雄訳『回復された世界平和』原書房,1976,新装版2009年)である。

 第二次世界大戦後の冷戦体制の下,世界は資本主義体制と社会主義体制とに分かれ,それぞれに明確な価値を中心とした同盟が形成されて冷たい戦いが展開された。これらはイデオロギー性の強い価値観外交の展開であり,バトルでもあった。その中心課題は,いかに冷戦体制を乗り越えていくかという点にあった。

 かつて私がOECD(経済協力開発機構)事務総長補佐官として勤務したとき,(OECDの運営は)経済・社会と軍事が一体となった政治として進められていた。しかしそのことは表には出なかったので,日本では知られていなかった。OECDでは,軍に関する事項はNATOに任せ,経済・社会はOECDが担当し,ソ連と対峙していた。理事会を組織する場合にも,NATO官房とOECD官房とが密接に調整しながら進めた。当時,OECDが世界的に影響力を発揮できたのは,軍と経済・社会が渾然一体となった政治体制として運営されていたためであった。

 このように冷戦時代のOECDは,イデオロギー機能が明確であり,そのオペレーションの結果として東側陣営が自壊して行ったといえる。換言すれば,東側陣営の自壊を促進させるためにどうすればよいかという点が,OECDの主たる任務であった。ところが,冷戦後のOECDは,同じ名前ではあるが機能は全く変わってしまい,基本的には単なる研究機関になってしまった。

 現在,OECDメンバー国プラス・アルファとして,世界30数カ国にわたる安全保障共同体が形成されている。これは歴史上初めてのことといえる。

 2003年春,国連安保理事会において米国のコリン・パウエル国務長官とフランスのドビルパン外相が丁々発止の議論を行い,その場面が同時中継で世界に発信された。その様子を世界が注視したが,熱い議論がそのまま米仏の戦争に突入すると考える人はいなかった。考えてみれば,一昔前であれば,そのような激論が交わされればすぐにも戦争に転化したであろう。しかし,戦争の前提なくして議論を戦わすことができるのが,現在の安全保障共同体の特徴である。このようなことは歴史上なかった。安全保障体制の基盤として民主主義・人権・市場経済などの高度な価値がその背景にある。同盟機能,その延長上としての安全保障共同体の背景に価値が明確に存在することが指摘できる。

(2)価値の普遍性:正当性とその限界

 価値観外交といったときに,よく民主主義・人権などの価値が「普遍性」として主張される。普遍的価値を主張する人たちはその普遍性の限界を認識せずに,「普遍的価値は世界のどこにでも通じるものだ。通じないのはおかしい」と考えがちである。その典型が米国だろう。世界の現実との関係で言えば,価値の普遍性の限界を考えておかなければ,とんでもないしっぺ返しを受けることになる。とはいっても,民主主義・人権などの価値は「普遍性があるはずだ」と思われているために,そう主張されるのだろう。

(3)「日本」という味付けの重要さ

 価値観外交を展開していくときに何が大事か。例えば,日本が米国と同じ主張をオウム返しに主張しても誰も見向いてくれないだろう。大事なことは,「日本的味付け」をどうするかということだ。普遍性は誰が言っても普遍であり不変だ。そこに日本的味付けを加えられるかによって,日本型価値観外交を展開する意味があるのかが決まってくる。

文明圏外交と植民地

 価値観外交の事例について歴史的に振り返ってみたい。まず18~19世紀の状況について考えてみよう。当時,すべてのヨーロッパ外交に現れたのは,「二重価値観」であった。すなわち,「文明的か,否か」(Civilized, or not)という価値が対外関係の判断基準の前提になっていた。主権国家間の関係は1648年のウェストファリア体制以降,一定の相互やり取り関係やプロトコールに従った外交が展開された。一方,主権国家以外の国(uncivilized)に対しては,uncivilizedからcivilizedにする義務があると考え,それは「歴史上の白人の義務」であるとの思い込みが強く反映していたと思う。その結果,主権国家間の国際社会と植民地支配が現実に展開した。

 ジャン・モリス著(Jan Morris)『パックス・ブリタニカ(上・下)』(原題:Pax Britannica: The Climax of an Empire,1999)を見ると,その英国バージョンが如実に現れている。彼らは大英帝国をシステム的に運営しようとは考えていなかった。進出先の相手がcivilizedかどうかの価値判断に従い,当時のインフラ(鉄道網など)を現地に展開したに過ぎない。進出先で主権国家間の衝突があった場合には,ゲームの一環として領土の奪い合いが行なわれた。ゆえに主権国家の植民地政策には経済合理性に反することも少なくなかった。

 このような価値の二重構造の世界が展開する中でcivilized societyは,歴史的に見れば旧植民地諸国から「断罪」を受けてきた。断罪の柔らかい形としては,旧植民地国に対するODAが一種の賠償(compensation)として投入された。旧植民地国からすればODAは慰謝料のようなものだという思いもあった。戦後の日本の海外援助はまさにこの形であった。日本が近隣諸国から歴史問題を突きつけられている背景には,このような歴史的背景がある。

 2001年南アフリカのダーバンで,国連植民地会議(第3回「人種主義,人種差別,排外主義および関連する不寛容に反対する世界会議」)が開かれた折,旧宗主国がまな板の上に乗せられ,旧宗主国の植民地支配の責任が途上国から追及され,補償と謝罪が求められるという断罪がなされた。これは欧米諸国が二重価値観(civilized vs uncivilized)という価値観外交を行なったことのコストであったと解釈できる。これは価値観外交の失敗例であり,ほぼ無意識な形でのコストがかぶせられたのであった。

介入型(カーター外交)と主張型(アジア的価値観) 

(1)カーター外交:イランの失敗からグローバル2000へ

 カーター大統領(Jimmy Carter,在任1977-81年)は人権民主主義を高く掲げた外交を展開した。その典型例がイラン外交であった。
イランは1979年まで,パフラヴィー国王(1919-80年)による近代化路線を進めてきたが,同年2月,パフラヴィー国王を追放しフランスに亡命していたホメイニー師(1902-89年)を中心とする宗教革命が起こった(イラン革命)。この事件によって,日本は第二次オイルショックをこうむった。

 カーター政権はパフラヴィー国王の時代においても,その近代化路線を評価しながらも人権問題に口出ししていたが,このホメイニー革命が起こると直ちにより強硬な人権介入を行なった。それに対するイラン側の強烈な反発が,イラン米大使館人質事件であった(1979年11月)。まさにこれは,カーター外交が展開した価値観外交の失敗であった。

(2)アジア的価値観のウィーンでの敗北

 1990年代に経済成長の著しかったアセアン諸国で「アジア的価値観」が主張されたが,その震源地はマレーシアのマハティール首相であった。とくにその外交顧問を務めたノルディン・ソピー(Noordin Sopiee)マレーシア戦略国際問題研究所所長が理論的中心だった。彼の主張は次のようであった。
―――欧米の価値観は,欧米型に過ぎない。彼らのいう人権の基礎は個人主義に過ぎない。われわれにとってより重要な価値は,家族であり,地域社会であり,国家である。われわれは,われわれのやり方で個人や家庭,社会を尊重しているのに,そこに欧米のやり方を押し付けられるのはお断りだ。―――

 1993年,オーストリア・ウィーンで世界人権会議(World Conference on Human Rights)が開催されたときに,アセアン代表が,「欧米の主張する人権概念はさまざまな人権概念の一つに過ぎない。アジアにはアジア的人権概念がある。欧米のいう個人を中心とする人権は,ほとんどがエゴの塊だ」という趣旨の発言を行ない,アジア的価値観を主張した。そしてそれを国際的決議に盛り込もうとしたが,欧米諸国から猛反発をくらった。

 その後,1997年にタイを震源地とする「アジア通貨危機」が発生。そのことによってアジア的価値観は,欧米諸国をはじめアフリカ諸国の中からも冷たく見られるようになり,やがて舞台の奥に消えていった。

 私見を述べれば,アジア的価値についてもっと説得力ある論理で主張していれば,世界に受け入れられていたに違いないと残念に思う。外交の価値として主張する場合は,その主張の正しさをさておいても,さまざまな配慮をして主張し展開しないと受け入れられないとの教訓を得たと思う。

日本の価値観外交

(1)ベルサイユ会議

 日本が価値観外交を最初に展開したのは,第一次世界大戦後のベルサイユ講和会議(1919年)であった。そのとき日本は,20世紀初頭以来の米国カリフォルニアやカナダにおける日系移民排斥問題の経験を基に,「人種的差別撤廃提案」を主張したが,豪・米などの反対でウィルソン米大統領の裁定により否決され実ることはなかった。

(2)「八紘一宇」

 日本が戦前に主張した大東亜共栄圏の標語であった「八紘一宇」という考え方は,価値観外交といえるかわからないが,価値的側面を掲げた外交政策とみれば,価値観外交の例とみることができる。そこに込められた五族協和思想は,東アジア地域の歴史的な価値であり,論語的色彩もあり,広く共通的理解があった。ただし日本は,そこに「国益」を前面には出さずに,価値を前面に出して政策を展開した。しかし,戦後この政策を展開した地域も含めて,そのしっぺ返しを受けることになった。

(3)麻生外交:自由と繁栄の弧

 麻生外交は,高度に価値観を表に出した外交であった。東アジア地域にとどめようとすると,戦前の亡霊が再び出てくることが懸念されたので,北欧,中近東,南アジア,アセアン,日本とつなぐグローバルな展開とした。しかし,麻生政権が短命政権に終わったために,具体的展開をみないままに終わった。橋本龍太郎首相が追求したユーラシア外交(1997年)をも含むのかどうか,その辺は曖昧なままであった。

 現在の中央ユーラシア地域は,ユーラシアの真ん中が二つに割れてしまった感じだ。西側には黒海地域を中心とした黒海経済協力機構(BSEC: Organization of the Black Sea Economic Cooperation)が形成されている。この地域は,ロシア,EUの狭間で小国が寄り集まっている。一方東側はスタン諸国で,中露間のせめぎあいの中で独立を保つべく密な連携を取っている(一時期,「アシュクル・フォーラム」という名前で連携)。

条件型価値観外交

(1)マルチ外交への依存

 価値観外交をオペレーションとして展開した例をいくつか見てみる。

 その一つが,世界銀行による構造調整策支援である。借金で苦しむ国に対して世界銀行とIMFが資金援助する条件として市場強化を促す施策である。それによって暗に民主体制への転換を促進させる。更にはそれを通じて人権保障も強化する。このオペレーションはある程度実現してきた。それによってもたらされた現象をS.ハンチントンは「第三の民主主義の波」と称した。

 もう一つは,1990年代の欧州開発銀行による冷戦後の東欧諸国への援助である。世界銀行や地域開発銀行は,基本的に政治的要件を排除する方針を掲げているが,欧州開発銀行は,冷戦終結後の東欧諸国や中央アジア諸国が混乱を起こさずにできるだけスムーズに市場経済体制に移行できるよう手助けすることをミッションとして設立された機構である。そのため欧州開発銀行は最初から,民主化,市場経済化,人権,環境の四つをプロモートするための機構と位置づけて,活動を展開してきた。その結果,ある程度の成功した成果を収めている。

 これらはマルチ外交型の価値観外交の実例である。

(2)北欧諸国の開発協力

 もう一つの例は,北欧諸国の開発援助である。北欧諸国は,民主主義,人権,ガバナンスを声高に主張し,それを前提条件としてODAなどの援助を行なってきた。但し,北欧諸国は「お説教」しがちなために,被援助国との間に葛藤・反発をしばしば招いている。

 以上のように,マルチ(多国間)の場合は比較的うまく行っているが,バイ(二国間)の場合はそうでもない傾向が見られる。

モデル型価値観外交の提唱

(1)日本的リーダーシップのとり方

 前述の実例などを考慮して,日本型の価値観外交をどう構想すべきか。日本型という限り,日本的体質を変えるものではなく「日本風」であるべきだろう。それでは「日本風」のリーダーシップとはどんなものか?「俺について来い!」というタイプは嫌われる。また,半藤一利の唱える「日本型リーダー」によれば,トップは人徳を備え,参謀がすべてをしきるが,責任の所在があいまいとなる。

 私の考える日本型の特徴は,
 ①「範を示し,他の人がそれに倣っていく」タイプである。こうせよと主張はせずに,範を示すのである。
 ②「和」の追求。現代は「多様性(diversity)の中の調和」を追求する時代であり,「和」は21世紀世界に最も通じるキーワードである。同じタイプの人が集まるのは和ではなく,違ったタイプの人が調和を保っていく姿が和である。それを追求する,それを成り立たせ,そのような状況をつくっていく。これが日本の役割ではないか。

 世界に発信していくときには,概念を分かりやすく表現する必要がある。戦争は英語でWARだが和はWAだから,WARから余分なRivalのRを取ることで,多様性の調和の和が実現する。そのような世界を造るのが日本の和である。和は日本の伝統的価値の姿である。

 (2)全方向国際協力国家への転換

 民主主義,人権,市場経済などいわゆる普遍的価値といわれる内容は,日本が国際社会であえてでしゃばって主張する必要はない。しかし一応,言及しておくだけでよい。それ以上は主張しないことで,それがもたらす反発を受けることもない。

 「範を垂れる」という日本的なやり方の例をいくつか挙げてみる。

 2年前の東日本大震災において日本は,世界中から有形・無形の膨大な支援をいただいた。ところが,日本全体で世界から支援をどれだけ受けたかについて,誰もとりまとめていない。外務省なら外務省,日本赤十字なら日本赤十字というように,縦割りに勘定しているだけだ。

 かつて私がOECD事務総長補佐官をやっていたころ,「国家の品格」ということが気になっていろいろと考えてみた。「国家の品格」を考える上で重要な要素は,「情報」であると思う。更に言えば,「国家の情報の扱い方」である。情報には大きく二種類ある。一つは,死んでも公表してはいけない情報。国家が存立するときに,あるいは他国との信頼を維持するために,絶対に表にしてはいけない情報がある。もう一つは,民主プロセスにおいて説明責任(accountability)が問われる情報がある。これは徹底して透明性を高めるために公開し,世の中に説明責任を果たすべきもの。東日本大震災において世界から受けた支援の全体に関する情報は,まさに後者のタイプであるはずだ。ところが日本は,既に2年が経過するにもかかわらず,何もやっていない。これでは国家の品格にかかわる。全体を整理して世界に感謝のことばを発信し,今後日本はどうしていくと闡明すべきだ。

 そこで私は有志の方々とともにそうした援助の全体について整理して(国際開発センターが事務局となり)報告書をまとめた。これは全方向国際協力国家への転換の一例である。

 冷戦体制下においては援助国(donors)・被援助国(recipients)が固定していた。21世紀世界は大小さまざまな危機(crisis)が起きる世界であり,一国ではそれに対処できないし,一国だけで成り立っていくこともできない。これは先進国といえども例外ではない。途上国も逆に,他国に対して支援していく。

 その姿が,東日本大震災にはっきりと現れたのであった。日本への支援の総額は,ソマリアに対する人道支援の2倍以上であった。しかも,その多くが政府援助ではなくNGOや個人,貧しい人々などからのものであった。ところが,それらについて日本は体勢が整備されていないために支援の全体を統括的にまとめていない。そこで(2011年春に)JICAがとりまとめようとしたら外務省が「職務管掌外だ」として阻止したという。

 日本も今後,こういう世界からの支援はないと考えない方がいい。これからの世界は何が起こるかわからないのだから,全方向の国際協力国家に転換していくことができるかは,きわめて重要な課題なのである。他の先進諸国も同様であるから,日本がこれに対する範を示すことができれば,先進国に対するモデルとなることが可能だ。また途上国にしても,先進国に支援したことは非常に有用な経験であった。日本に支援した国のうち35カ国は,世界の最貧国に属する国々であった。

 日本が迅速かつ効果的な緊急人道支援活動が海外展開できるようにするために,政府,経済界,NGOが連携してNGO「ジャパン・プラットフォーム」が設立された(2000年)。これは途上国から脚光を浴び関心を持たれ,韓国,フィリピン,インドネシア,タイ,マレーシアで,これをモデルにした機構をつくろうという動きにつながった。途上国も受け手一方にとどまるのではなく,世界への支援の手を出す方策を探るようになった。国際協力をするオペレーションを通じて,途上国に対しても,さらには先進国に対しても国際協力体制のモデルをつくる。これは価値観外交として非常に大事なことだと考える。

 通常,民主主義,人権などの価値を主張するのは今では当たり前だが,もっと各論について考えたときにどうするか。それを支える上述のような内容が大事だ。範を垂れるという日本型リーダーシップのありようの一例といえる。

(3)四世代型社会の構築

 世界の200余りの国々は,すべて例外なく,社会の成り立ちや法制度など三世代型の構成をとっている。すなわち,①生まれ育って教育を受ける時期,②社会的・家庭的にアクティブな時期,③リタイアー後の時期の三区分である。

 現在の日本を見ると,②と③の間に30年余りの期間(50代後半~80台半ば)が生じている。この世代に属する人口は,全人口の39%だ。この世代を,「新しい第三世代」「アクティブ・シニア」,あるいはヒンズー教の概念を借りて「林住期」などと言っている(注:ヒンズー教の人生のコンセプトは約百年で,25年ずつ四つに分ける。その三番目が片足は世の中に,もう片足は林の中にという意味で,「林住期」という)。

 その人たちにアンケート調査をしたところ,「元気ですか,何かやりますか」と問うと,国民の多くが,そして同世代の約3割の人が「はい」と答えた。現役勤労世代の人たちに「今後も仕事を継続したいか?」と聞くと,90%強の人たちが「はい」と回答し,同じ人に「同じ仕事を継続して行きたいか?」と聞くと,「はい」と言うのは10%以下にしか過ぎない。これをどう解釈すべきか。

 ――今の仕事をリタイアー後も続けるのはもういい,その後は違ったことをやりたい。ただしそれまでのキャリアで身につけた内容を生かせる仕事をしたい。だが,それは現在の仕事だけとは限らない。

 最近,政府では定年延長措置を講じたが,これは真の解答にはなっていない。真の解答は,自由に選択できる幅を広げる,新第三世代のあり様をどうするかである。新第三世代の人々がやってはいけないことは,現役世代の機会を(サポートするのはいいが)奪うことである。新第三世代の人々が協同してやれることはたくさんある。この世代の人でしかできないことの一つは,シニアに対するケアーであり,もう一つは教育世代への支援である。それを国は,社会的重荷だと考え,税と社会保障の一体改革と称して改革を進めようとしているが,それはとんでもない発想だ。今ここに新しい世代が育っているのだから,社会の転換が必要だ。それをどうするかを考え,現実のものにしていく。

 今後,先進諸国のみならず,アジアの国々も日本のような社会構成になっていくわけだから,多くの国に対して社会構造の上でモデル国家になることである。それが社会の活性化の大きな源になりうると思う。そういうことを展開していくために,どのように協力し手を差し伸べていくかが重要なポイントとなる。日本が完成形の範を示すとだけ考えるのではなく,他の国々とともに同じ方向に進んでいくという努力をいっしょにやることでもいいのではないか。

(4)地球公共財の担い手

 もちろん四世代型社会といっても,社会や国柄によって具体的姿は千差万別に違いなく,多様なものだろう。それらを全体として「和」として,対話のメカニズムを作り調和の形を追求していく。それはおそらく,現在の国連のような協力体制とは全く違った姿になっていくであろう。そういう協力体制を一つひとつ紡いでいきながら,「和」の姿を作っていく。その結果出てくるもの,あるいはそのプロセスで形成されるもの,やり方などのすべては,地球公共財の形成であり,それを担っていく日本となっていく。

 その一方で,えげつない,がちがちの戦争や安全保障,経済摩擦も現実として存在する。そのときにも前述のような価値観外交を展開していける日本は,品格ある国家としての位置付けが明確に与えられるだろう。そうすると一味,二味違って,有利かどうかが問われる場面に遭遇しても,日本の存在感は大きくなっていくだろう。そのためには世界第三の経済規模で十分だ。適正規模の国家だと思う。

 おそらくこういうことを展開していく世界が,20~30年先に大きな課題として出てくるだろうが,そこでは「知識社会」の内容が情報から共感へ大きく転換していくものと思われる。そこでは「心」がより重要な資産(財産)になっていく。そのさまざまな側面は,現在の社会科学ではソーシャル・キャピタルと称し,しかもそれは経済に奉仕する二次的な存在でしかないが,今後はそれ以上に心がもっと表に出てくるような社会状況になっていくだろう。そうすると全方向の国際協力国家,四世代型社会を含んだ,地球公共財の担い手としての日本は,新しい世界での新しい価値観外交の主要な担い手としての存在感を持つようになるであろう。経済だけで考えていく社会ではない方向に転換していくことを見通した方がいいと思う。

日本型価値観外交と人材養成

 価値観外交の背景として,われわれは人材育成に早急に力を入れて有能な人材を鍛えていく心構えを持たなければならない。
世界には3万数千の大学があるが,世界中の大学が方向を見失っている。時代感覚からみるとどう考えても中核にはリベラル・アーツを置くべきだ。卒業後はそのまま社会に行く人もあり,大学院に行く人もある。日本は大学院中心主義になっているが,ろくな教育ができていない。まともなベースがないからだ。

 1960年代後半に先進諸国で大学紛争が起きたが,その後70年代になると,国際社会の明確な評価として大学紛争によって「大学社会」が潰れたということが言われた。そこでドイツとフランスは,膨大な国家予算を付けて大学を再構築しようと物凄い努力をした。その結果,フランスでは大学は復権しなかったもののENAのようなグランゼコールが世界一流になった。ビジネススクールでは大学という名前ではないがINSEADも一流である。ドイツでも大学は復権していないが,国立研究所が素晴らしい業績を上げている。

 ところが日本の場合は,「大学社会が潰れた」という認識がなく,国家予算も少ない。最近では国立大学の予算を毎年1%ずつ減らしていくという。これでは復権のしようがない。21世紀において羅針盤のない世界に若者を出すわけで,私たちはプロダクトとしての若者に責任を持たなければならない。とすると,どこに行ったら良いか分からない場で解を探す能力を持った人間を育てるアプローチしかあり得ない。それが可能なのがリベラル・アーツである。

 残念ながら日本ではずっとリベラル・アーツをやってきたのはICU(国際基督教大学)と東大しかなかった。幸いにしてこの10年ほど,いろいろな大学がICUに来てリベラル・アーツ教育をどうしたら良いか聞くようになった。早稲田大学,上智大学,秋田国際教養大学,杏林大学,慶應義塾大学湘南キャンパスなど増えてきている。

 以前はリベラル・アーツを「教養課程」と考えたために,旧制高校の延長という発想で大学課程の最初の2年間でやるものだとされた。それは大きな誤解であった。リベラル・アーツは4年間たっぷりかけて,幅広い社会科学,自然科学,人文科学をやり,その知識は理系,文系という分け方にはなじまない。例えば,数学者に「あなたは理系か文系か」と聞くと,「強いて言えば美学です」と答える。

 最近の中国をみると,主要企業のCEOたちは北京大学の週末の修士課程で中国古典を徹底的に学んでいる。中国企業の指導者の共通認識は,自分たちが「カネ」に執着し過ぎていることにうんざりしている。また党中央としては,共産主義イデオロギーだけでは国家運営ができなくなりつつある中,外に敵を作りナショナリズムを煽って国をまとめてきたが,これは自分たち(党中央)に矛先が向かう可能性もあり危なくてしょうがない。特にインターネットが危ない。それでいま試そうとしているのが「倫理」の復興であり,それを中国古典に求めようとしている。実際,小学校から「論語」を学ばせている。その一環で大学にCEOのための修士課程が設けられたのである。共産中国もこのような努力をしていることを前提にして日本としての対応を考えてみるべきだ。

 翻って,われわれ日本人の古典素養のなさは残念だ。明治4年の改革の煽りを受けている。江戸期の教育は,藩校や寺子屋など,世界に冠たる素晴らしい教育制度を持っていた。その質の高い教育の基礎を受けた志士たち(下級武士)の層があったからこそ,明治維新が成功したのだと思う。ところが明治維新の指導層は自分たちを育ててくれた背景を捨ててしまい,明治4年の教育改革ではすべて西洋型に変えてしまった。江戸期の教育の遺産が残っている時代のリーダーは,日本でも世界でも素晴らしかったと思う。

 それがどんどん薄れ,戦後は米国の日本弱体化政策の一環で行われた教育改革が見事に成功して,そのプロダクトがわれわれである。教育はプロダクトを見るべきだ。リベラル・アーツも同様だ。その意味からすると,いま中国は人物が大事だと主張し始めている。このまま行けば,われわれは負けてしまう。

(2013年2月26日,「平和政策研究所」研究会での発題内容を整理して掲載)

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