最近の中朝関係と中国の朝鮮半島政策 ―「脱露入米」路線への転換―

最近の中朝関係と中国の朝鮮半島政策 ―「脱露入米」路線への転換―

2016年4月25日

1.血を分けた兄弟から普通の友好国へ

 かつて「唇亡歯寒の血と血で固められた同盟関係」とも言われた中朝関係が、ここにきて「血を分けた兄弟から普通の友好国へ」と変化している。この変化は、2014年2月に中国の劉振民・外交副部長(外務次官)が訪朝したころからはっきりしてきた。まず、このような変化が起きてきた背景を見てみたい。

(1)「人肉検索」のターゲットになった金正日総書記 中国国内では格差問題が深刻化する中、「負け組」になった人たちがインターネットを通じて、権力者や金持ち(「勝ち組」)を攻撃する行動(「仇富仇官行動」)を取るようになるとともに、それが非常に活発化している。こうした現象を中国語で「人肉検索」と言う。中国語の「人肉」には、俗語で「プライバシー」の意味があり、「人肉検索」とはプライバシーを暴くということで、その主たるターゲットは汚職官僚である。「人肉検索」にかかって標的にされると、その人物のプライバシーがネチズンによって暴かれるとともにあげつらわれ、その中から犯罪に繋がるものが導き出され、最終的には刑務所に送られる。とっかかりは些細なことから始まり、ときにはネットで実況中継されることもある。 「人肉検索」の始まりは2008年頃だった。四川大地震(2008年5月)が起きたとき、被災民に対する有名人の寄付額が少ないということが槍玉に挙げられて彼らへのネット攻撃が始まって以降、はっきりと中国社会の中に定着してきたといわれる社会現象だ。そのときアリババ社(阿里巴巴集団)の創業者ジャック・マー(馬雲)会長も、(槍玉に挙げられて)記者会見を開くことになり、あまりにも寄付金が少ないとして謝罪させられた。 このような「人肉検索」のターゲットとなると、どんな金持ちも、どんな力のある者もやられてしまう。カネのない弱者たちがネットを通して大きな集団となり攻撃し始めると、一つの結果が出せるからだ。これはまた「排外性」を帯びており、例えば、反日として機能することもある。 そしてこの「人肉検索」がすごい勢いで金正日総書記に向けられたのである。例えば、金正日総書記の訪中の映像を報道する日本のメディアを見ていて、ある時期から、金正日総書記の行く先々にメディアが先回りして画像を撮っているというような感じをもった人も多かったに違いない。従来中国では、北朝鮮指導者の訪中の行動については、その日程からはじまって行動に至るまですべてを機密事項とし公開することはなかった。極端な場合、北朝鮮に戻った後に訪中を発表することもあった。そのため日本のメディアもそうした中国当局や中国メディアのやり方に対してはお手上げだった。 そのような不文律が崩れるきっかけになったのが「人肉検索」だった。「人肉検索」は、ありとあらゆる関心の対象となった人物をウォッチして、その画像をリアルタイムでネットにアップする。ネチズンたちは、「人肉検索」をすることで自分たちの力を示したいという欲求が強いからだ。 例えば、ホテルの従業員が、周囲の警備が急に厳しくなり(金正日総書記の乗った)列車が近づいているというような情報に接すると、ネットにまずそうした情報が上げられ、続いて多くの関連情報がネット上に集積していく。そしてネチズンたちは、「金正日総書記の日程や行動をここまで暴いてやった」という快感によって、ますます勢いがついていく。結果的に、日本のメディアもそうした情報をもとに、(金正日総書記の行動を)先回りして金総書記の動画や画像を入手し報道できるようになったのである。 この背景には、中国のネット世界で北朝鮮が憎まれているだけではなく、北朝鮮に対する中国の一般国民のものすごい本音ベースでの嫌北朝鮮感情の発露と軌を一にしているところがある。その感情の程度がいちばんひどく現れたのが2010年ごろで、それ以降、北朝鮮に対する嫌感情は上昇の一途といえる。 ちなみに、金正恩第一書記は、中国のネチズンの間では「金三胖」(金家の3代目のデブという意味)あるいは「金二」(二は「頭が弱い」という意味をもつ隠語)と呼ばれていて、正式の名前で呼ばれることはほとんどない。このようなネットの現状を知る北朝鮮政府は、最初は平壌の中国大使館を通じて、その後は直接、中国共産党の高官に対して「取り締まって止めさせてほしい」と申し入れをしたが、中国は一切反応していない。このような現象を見ても、中国の北朝鮮に対する冷たい姿勢を実感する。とくにネットの世界では、北朝鮮に親しみを覚えるどころか、強烈にバカにするような雰囲気が蔓延している。

(2)政治における中朝関係の変化 実際の中国政府の北朝鮮に対する姿勢はどうか。胡錦濤政権後期から北朝鮮に対する態度は明らかに急速に冷めていった。 2015年10月の朝鮮労働党創建70周年の記念行事に、中国共産党の劉雲山・党政治局常務委員が出席したが、ここに「劉雲山とは誰だ」といわれるような人物しか派遣しない中国の対北朝鮮姿勢がはっきりと見える。それ以前では、(朝鮮戦争休戦協定締結60周年記念の)2013年7月に李源潮・国家副主席が訪朝したが、その肩書きは「副主席」と立派だが、実は単なる政治局員で劉雲山よりも格下だ。このように北朝鮮に対する中国共産党指導部の態度は、ここ数年、冷め切ったままで一貫している。 2014年12月、駐中国北朝鮮大使館で開かれた金正日総書記の3周忌追悼式に出席したのは中国共産党の劉雲山・党政治局常務委員だけで、しかもわずか5分ほどで中座してしまったという。本来、中国共産党の北朝鮮外交については、党政治局常務委員全員が揃って対応するのが基本だったことを考えると、劉雲山・党政治局常務委員一人の派遣という扱いを見ても、中国の対北朝鮮の姿勢がいかに冷めているかがわかる。 これらは中国共産党が明らかに北朝鮮と距離をとるようになったことを物語るものだ。本来、中朝関係は、実際には仲が悪くても表面上は深い絆で結びついているという「演出」をしてきた。しかし結果的に中国は、「(北朝鮮は)近寄ってきたと思ったら、足を蹴って逃げていく」と表現されるほどに、北朝鮮に振り回されてきた。いずれにしても、2014年2月の劉振民派遣以降、中国の北朝鮮に対する冷たい態度は一つの例外もなく一貫している。 ところで、2006年ごろ、中国が日本に対して歴史カードを使えず、何か別のカードはないかと模索する時期があった。その一つとして(非常にわずかな期間であったが)日朝間に中国が割り込んで日本に対して「拉致カード」を使おうとしたことがあった。 北京には「五十五人委員会」という北朝鮮の組織(中国版の朝鮮総連)がある。日本の朝鮮総連ほど金儲けができるわけではないので、北朝鮮政府に対して「お土産」を出すのに困ることが多く、これまでずっと人民解放軍が協力・提供してきた。このときも大きな「お土産」を準備して、「五十五人委員会」は北朝鮮政府に対して拉致被害者の有本恵子さんの写真を要求したが、偽の写真を渡されて結局は断念したという経緯がある。中国は北朝鮮に近づいては、振り回されることが多かった。 劉振民外務次官の派遣を契機に中国は、北朝鮮を特別扱いしないことを徹底するとともに、今後の北朝鮮外交は従来の中連部(中国共産党中央対外連絡部=中国共産党の党外交を推進する組織)ではなく、外交部(外務省)が前面に出て行うことを明らかにしたといえる。つまり、社会主義国同士の付き合いという特別の関係から、北朝鮮も数ある国の一つとして普通の外交関係へとシフトさせたのである。

2.戦後の中朝関係

 これまで中国は、北朝鮮に対して歯がゆさを覚えてきたとはいえ、中国にとって北朝鮮は「唇亡歯寒」の存在で、「唇(北朝鮮)がないと歯(中国)がむき出しになって西側(米国)に直面してしまうことになる。ゆえに唇は大切にしないといけない」という考えでやってきた。 中国と北朝鮮の関係は、当初から微妙だった。戦前、中国共産党と国民党が内戦状態に入ったときに、東北地方で活躍して共産党を背後から助けてくれたのが北朝鮮ゲリラだった。その恩もあって毛沢東は、朝鮮戦争時(1950-53年)に援朝軍を派遣した。この援朝では、毛沢東の息子毛岸英が戦死しただけではなく、台湾を奪取する機会を逸してしまったのである。こうした苦い経験もあって、中国共産党の中には北朝鮮とはあまり関わるなと主張する人もいた。ゆえに中朝関係は、同盟関係とはいえ微妙な関係が当初からあった上、北朝鮮が成立すると金日成は延安派幹部を粛清したため、近い関係と言っても内実はそれほどでもないという状態が続いた。 このような中朝関係が決定的に悪くなったのが、金日成主席が死去した1994年前後だった。94年7月に金日成主席が死去し、翌年大水害をはじめとする多くの気象災害が襲い食料不足となり、北朝鮮は大飢餓と深刻な経済難に見舞われた。そのような中、跡継ぎ問題で鄧小平が「社会主義国において世襲とは何事か!」と言ったことに北朝鮮は激怒し関係が悪化した。 ところで、1980年代の中国への韓国・朝鮮からの留学生といえば圧倒的に北朝鮮留学生だったが、90年代に入ると韓国留学生が多くなった。北朝鮮からの留学生は、北京大学や清華大学からはほとんどいなくなり、名もない大学に行くようになった。ちなみに、1992年には中韓国交正常化がなされている。 中朝関係の修復がなかなかできないまま、2006年の北朝鮮による地下核実験で中朝関係は底を付いたが、北朝鮮はやはり中国の唇であるから大切にしないといけないと揺れ戻しがあった(2007年)。そして2008年を中朝友好年と定め、修復に少し動いた。しかしその後、核実験、ミサイル発射が行われ、それによって中国は振り回された。そしていよいよ普通の国の関係に変化したのである。 北朝鮮は、尻尾もつかめないまま自分のやりたいことだけをやってしまう国として中国から見られてきた。6カ国協議においても議長国の中国は、北朝鮮の動きをコントロールすることができなかった。中国外交部は自分たちの失態になることを恐れており、6カ国協議がすでに機能していないとは言えないが、実質的には動いていないことは誰の目に明らかだから、今後どうしていくべきか、迷っているというのが現状だろう。 また、中朝二国関係で動こうとした時期もあったが、中国が本当に正面から向き合うことには余りにもリスクがあるということ、しかもリスクの割にはリターンが少ないために、それは止めた。結果的に、中国は一つの価値観を引いてそれに北朝鮮が合わなければ、ある一定の距離を置く関係に変わっていった。中国の政治的優位性を保つことができるならば関わるが、それ以上のことはやらないという関係である。 日本から見ても、北朝鮮の核武装はやっかいなものだが、実際は中国から見た方がもっと深刻だと中国人は言っている。そもそも中国人は中朝間において対立がないとは考えていない。将来は、明らかに関係がおかしくなることも想定しなければならない。「統一朝鮮の核武装について日本人は考えないのか」とよく中国人に聞かれる。北朝鮮をつぶすという日本人は多いが、韓国主導で統一された場合にも核武装の統一朝鮮が出現する可能性もあるわけで、それをどう考えるのか。日中が朝鮮半島問題で組む可能性があるとしたら、朝鮮半島の分断固定化ではないかとよく言われる。 6カ国協議は、「北朝鮮を生かさず、殺さず」の装置だと見る識者が日本にいるが、中国にとっても北朝鮮はやっかいな存在だということである。ゆえにある一つの共通の価値観で北朝鮮と向き合うことができるとすれば、<朝鮮半島の非核化>である。しかし、中国が非核化のために北朝鮮を見殺しにするという選択肢はないと思う。非核化という国際社会が共有する対北朝鮮政策を進めるけれども、北朝鮮を生かさず、殺さずというのが中国の利益だと見ている。ゆえに北朝鮮をあえて危険な目にあわせることはしない。 2015年5月、ロシアは大祖国戦争勝利70周年の大きなイベントを行ったが、その前年の14年11月、北京APEC開催の裏側で、北朝鮮の崔竜海・労働党書記(当時)が金正恩第一書記の特使として訪露して金正恩第一書記の親書を持っていき、同第一書記のロシア大祖国戦争勝利70周年祝典への参加の道筋をつけたといわれた。そして開催直前まで金正恩第一書記が訪露して式典に参加するのではないかといわれていた。4月6日からロシアを訪問した王毅外相は、ラブロフ外相およびプーチン大統領とも会談したが、その目的は、習近平国家主席が現地で金正恩第一書記と顔を合わせることを避けるための協議だった。これに関しては、中国メディア(「フェニックス衛星テレビ」など)でもはっきりと「(金正恩第一書記の訪露を)つぶしてきた」と識者が語る内容の報道がなされた。これは非常に珍しいことだ。 金正恩第一書記が初の外国訪問先としてロシアを選んだことをロシアは当初積極的に内外に公表していたのに、この歓迎ムードが突如「訪露断念」へと変わった裏には、中国の圧力があったと考えられる。そのようなプレッシャーをかけたものだから、突如、ロシアは北朝鮮に無理難題を押し付けて結局断念となった。 実は、その少し前の2013年5月、崔竜海・総政治局長(当時)が訪中し、金正恩第一書記の親書を渡して習近平国家主席との会談を最初にしたいという申し出をしたが、中国側ははっきりと断った。その理由については、北朝鮮が朝鮮半島の非核化に関して具体的な言動を示さない限り、首脳会談を行わないことをはっきりと示したのである。

3.中国の対米傾斜

(1)「脱露入米」への転換 2014年11月、北京において中国の対外戦略を議論する中央外事工作会議が開かれたが、このとき一つの大きな外交政策の転換があった。それは中国がロシアを捨てて明らかに米国に傾斜していくという方針転換であった。私はこれを「脱露入米」と呼んでいる。 その背景には、中国が米国とロシアの緊張関係の中でいたずらに中露関係の距離を縮めてしまうと米国の逆鱗に触れることを感じたことがある。また経済関係を見ても、中国の貿易(輸出)相手国の上位は、EU、米国が占めておりロシアは9位(2.3%、2014年、JETRO)に過ぎず、全体の割合からするとほとんどゼロに近く、8割以上をアジアと西側諸国が占めている。そして(中露関係が緊密な場合)米露関係がこじれて米国をはじめとする西側と中国との関係までもこじれてしまうと経済面で打撃を被ることになる。 ただし「入米」と言っても、「米国べったり」という意味ではない。中国の目的は、米国と同盟関係を結ぶという意味では決してない。少なくとも、敵ではない状態を作り出し、その中から自国の経済発展につなげていける良い関係を作るということだ。 中国は、米国が民主主義や言論の自由という平和的手段を使って中国共産党政権を転覆させ米国の都合のよい政治体制に変えよう(和平演変)と考えており、そのような疑惑は永遠に変わらない。ゆえに中国共産党の立場からすると、米国は間違いなく一定程度警戒の対象ではあるが、その範囲内での「入米」という意味だ。中国にとってのストレスの少ない対米接近の仕方があり、その中で中国は米国と距離を置きつつも良い関係を保ち、自国の発展に転化していくことができると考えている。 2014年11月に「脱露入米」路線を打ち出して以降、中国でよく聞くようになった流行語がある。これは共産党が意図的に世論を操作するために流したと思われるが、鄧小平が1978年に初めて訪米したときのことばである。すなわち、鄧小平が渡米の機内で「よく聞いて置け。米国について行った国は皆豊かになった」と言ったことばだ。そのことばをわざわざ流行語として流布するほどに言い始めた。それは、対米接近をするに当って、世論の痛みを和らげるためのものだったと思う。

(2)日本からは見えにくい中国の変化・動き 2014年3月、オランダのハーグで習近平国家主席とオバマ大統領が首脳会談を行ったとき、オバマ大統領は、ウクライナ情勢(ロシアのクリミア編入)について、経済制裁などロシアに圧力を強める欧米に協調するように習近平国家主席に求めたが、同調する姿勢は見せなかった。 このときを境に、米国が対中外交で使わなくなった言葉があった。それが「新型大国関係」である。もともとこのことばは、中国が米国に提案して使い始めたものであった。こうした米国の変化に気づいた中国は、2014年11月にはっきりと「脱露入米」へと路線を転換した。 これに関して具体的な動きとして現れたのが、2015年1月21日、ダボスでの李克強・ポロシェンコ(ウクライナ大統領)会談だった。これまでロシアの国際的行動に関して何も言わず中立的立場を維持してきた中国だったが、この会談でウクライナの領土と主権保存に関して「中国はウクライナの主権、独立と領土保全を終始尊重し、ウクライナが自国の国情に合った発展の道を歩むことを支持し、互恵共栄の原則を踏まえながら、ウクライナ各側とともに各分野における実務的な協力を拡大して両国人民に恩恵をもたらしていく。・・・中国はウクライナ問題の解決において、客観的かつ公正な立場に基づき、政治的解決の方向を堅持しながら、積極的かつ建設的な役割を果たしていきたい」とはっきりと述べた。 これは驚くべきことであるが、最も驚いたのはポロシェンコ大統領自身だった。同大統領が「今の発言を公開してもいいか?」と聞くと、李克強首相は了解し一緒に記者会見に臨んだのだった。 この土台に上に、同年2月11日、中国外務省は、「習近平国家主席が米国のオバマ大統領と電話会談し、米国の招待を受け入れ、9月、習主席が米国を公式訪問する」と発表したのである。2月には公式的に訪米を発表し、7カ月かけて調整して準備した。相当準備したと思う。 こうした中国の変化や動きは、日本のメディアからはなかなか見えてこないが、中国のメディアやネットをウォッチしているとよく分かる。 例えば、2015年6月のG7サミット(ドイツ)についても、サミット後のメディアの報道に日中では大きな違いが現れている。日本のメディアでは、中露の力による現状変更に対して懸念を示したという見出しがトップを飾っていたが、実際の議題を見ると地球温暖化をはじめ多くのイシューが扱われており、中露の問題がきわだっていたわけではない。G7サミットの後、ヨーロッパの国から中国の南シナ海のことに関しての発言はなかった。 また米国は、1987年以来米露間で交渉していた中距離核戦力全廃条約(INF)のについて破棄を通告する用意があることをロシアに伝えた。これはロシアに対して核戦争も辞さないという意味だ。それに対するロシアの対応は、編入したばかりのクリミア半島に核ミサイル搭載可能の爆撃機を並べて見せた。最前線で米露は核兵器を見せ合って対峙したのが、2015年6月の状況だった。 中国はこのようなニュースを盛んに流すとともに、氷の下で繰り広げられる米露の軍事的せめぎあいの動きも相当報道していたことからも、中国の関心事が何かが見えてくる。

(3)米中首脳会談後の変化 2015年9月、米国ワシントンでの米中首脳会談後、中国は東アジア情勢に関して、非常に<静かな状態>を作り上げることに注意を払うようになっている。南シナ海への取り組みも明確に<静かな状態>にする方向に路線を進めている。日本のメディアからはなかなか読み取れない動きだ。 南シナ海問題での米国に対する中国の態度をみてみよう。それまで中国は、米国が南シナ海の問題に口を出すたびに「この地域と関係ない国が口を出すことによって問題が悪化している」と米国を厳しく非難していた。 米中首脳会談の前に、中国は米国側と事前調整を行いながら、それまで米国を「本地と関係のない国」としていたのを、「域外国」と呼ぶように改めた。この意味するところは、もともと「関係ない」と言っていた相手に対して、「地理的に南シナ海ではない国」と変更したのである。 そして米中首脳会談の中でも、南シナ海に関する合意の部分で、「両国はこの海域に共通の利害があることをお互いに認め」とはっきり述べられている。米国は「域外国」ではあるが、「関係ない国」ではなくなったという意味だ。これは中国側の大幅な譲歩であり、米中首脳会談で大きく変わった点だ。今後、南シナ海問題もある程度落ち着きを取り戻すことになるだろう。 2015年10月に米国は、米国イージス駆逐艦「ラッセン」をスビ礁から12海里の海域に侵入航行させた。その時の報道を見ると、日本ではトップニュースだったが、中国では3番目の扱いだった。なぜそこまで中国が落ち着いているのかに関して言えば、「フェニックス衛星テレビ」が報道したように、中国海洋法の専門家が言うには、「ラッセンが通過した二つの人工島には、中国は12海里を設定していない。法律上もできない。米国のやったことは全く合法だ」と。これが中国側の受け止め方だ。つまり中国側の認識は、米国はけしからんということになっているわけではない。これは事前に調整があったのではないかという印象もある。 もちろん米国は近くに航空母艦を待機させてはいたが、少なくとも中国は米国の行動に対して激しく反応したということではなかった。中国は、ある程度米国の価値観に寄り添っていくということを、東アジア、南シナ海でもきちんと見せているということが、米中首脳会談後の中国の外交の要諦ではないかと思う。 中国が2015年9月3日の戦勝記念日の軍事パレードの前に発表した、人民解放軍を削減し侵略も拡張もしない平和国家を目指すという「平和国家論」の狙いはその辺にある。東アジア、東南アジアに向けたスタンスとしてそういう方針を示したものだ。複雑化する国際情勢の中で、いつまで続くかは断言できないが、目下のところは、中国はこの原則に従っていくだろうと展望される。

(4)中朝関係への変化 こうした動きを見ても分かるように、中国が米国の意に沿わない形で北朝鮮に関わる動きをすることは考えられない。この流れの中で、王毅外相が訪露して金正恩第一書記の訪露計画つぶしも行われたのであり、劉振民外務次官を北朝鮮に派遣する前にも、中国を訪問した米国要人たちとかなり細かく話をしている。 中国は北朝鮮と接触をする前に必ず米国側と密な連絡することが一つのパターンになっている。つまり米中が足並みをそろえてやっていこうということである。「非核化の言動がない限り(北朝鮮高官とは)会わない」という中国の言い分は、米国の価値観に沿うものだと思う。 朝鮮半島情勢も、米露の動きと切り離してみていては、分からないと思う。北朝鮮の動きはわからないところが多いが、少なくとも中国が定めた価値観の一点を越えて行動することは考えにくい。北朝鮮から何らかのアプローチがあったとしても、中国がそれに対して大国の動きを無視した形で行動を取ることも考えにくいと思う。 とくに中国は、シリア問題で非常に速い速度で国際関係が展開していると認識している。ロシアは、カスピ海から26発の巡航ミサイルをシリアに撃ち込んで、ロシア包囲網の形勢を一気に変えてしまった。激しい国際情勢の動きの中で、中国はこのような「バタフライ現象」が起きてくるだろうと睨んでいる。 そこから敷衍すれば、朝鮮半島問題についても、米中関係の基本路線を揺らせてまで対応を変えていくことはないだろうと思う。 中韓関係について言えば、不思議なことだが、中国のメディアから韓国に関する情報の発信が極めて少ない。恐らく「スルー」されているのではないか。日本もスルーされ始めているが、それでも安保法制に関連する特集が組まれるなど、安倍政権に関する報道はそれなりに登場していた。中国にとっての韓国の位置づけ、重要度が下がっているということであろう。 それは2015年のフィリピンAPEC報道見ても象徴的に現れていた。日本のメディアでは、習近平・安倍会談が初めて実現するかどうかにほとんど焦点を当てた報道ばかりだった。そして会談が実現して二人が握手したときの顔の表情がどうだなどということがしきりに話題になっていた。ひるがえって、中国のメディアを見てみると、日中首脳会談のニュースは数%程度の扱いに過ぎなかった。 また貿易統計はそれを如実に示している。日本の貿易の中で対中貿易が占める割合は輸出入をあわせて20数%だが、中国から見るとそれは6-7%にしか過ぎない。このように政治、経済などの分野における日本の存在感がなくなっているということだ。中国の立場からすると、国際社会のダイナミズム、米露関係、中東情勢、欧州などの方に目が向いており、日本や韓国への関心は非常に小さい。韓国と北朝鮮に関する中国メディアの報道を比べてみると、北朝鮮に関する報道の方が圧倒的に多く、むしろ北朝鮮の方により意識を向けているという感じだ。一日の国際ニュース番組の中で、韓国情報は出てこない日の方が多いくらいだ。

4.習近平政権の今後

 ある面で現・習近平政権の国内基盤は磐石である。習近平国家主席は、戦後の中国の歴史、とくに文化大革命からの教訓として、大衆が怒ったら何が起こるかわからない、中国の歴史の主役は人民だということを体験的に学んだ。毛沢東の力の源泉もまさに人民にあり、毛沢東が一旦中央から身を引いたあと復活できたのも人民が支えたからだということを知り尽くしている。それゆえ、かれは民生重視の政策を掲げ、究極のポピュリズムである汚職対策を積極的に取り組んでいるのであろう。今度の第13次5カ年計画の目玉は7000万人の極貧層の貧困脱出策だが、ここにもそれが現れている。 また習近平国家主席は、社会主義の原則、共産党の原則に非常に忠実な特徴も持っている。彼がいろいろな組織と衝突し、そして景気を冷やして経済にもマイナスだといわれながらも、汚職摘発を続けているのは、そうした原則に忠実な姿勢からくる。しかしその一方で、改革開放路線も進めるというように、ある面でバランス感覚も備えている。 彼に対する人民の人気は凄いものがある。中国に行ってタクシーの運転手に話を聞いてみると、「われわれの本当のリーダーが生まれた。毛沢東以上だ」と言っていた。また以前、北京に行ったときにCDショップで女子店員にお勧めのCDを聞いたところ、その中に習近平夫人である彭麗媛のCDがあった。私が「こんなのを聞くの?」と聞いたら、女子店員は「聞く!彭麗媛夫人は『国母』だ」と言ったのには驚いてしまった。 これまで中国では首脳の外遊のニュースは人々から見向きもされなかったが、習近平国家主席の場合は、その夫人が美人であることから、中国人にとって初めて海外に出して恥ずかしくない(誇ることのできる)ファースト・レディーだということで関心が非常に高い。 また近年、「習近平は毛沢東の再来だ」とも言われており、もし彼を引きおろそうとする動きがあれば、人民が爆発しかねない雰囲気もある。ただし、ポスト習近平については、彼一人にこれだけの権力が集中してしまうと、次に育つ人がいないために、混乱が予想される。最近、中国政治について文章を書くとき使わなくなった言葉に「集団指導体制」というものがあるが、まさにこれは権力集中を反証するものであろう。 最後に、日本について言えば、日本に対して中国は価値観の点でコンプレックスを持っている。中国は世界に一流国と認められるために欧米と比べて何かが足りないと思っている。そのところは日本の力を借りて、中国が国際社会にもっと認められるようになればいいと思っている。欧米に対する抜きがたいコンプレックスの一端が、日本に向けられているところがある。日本はソフトパワーを持っているので、そのところで中国に対しての影響力が持ち続けられるのではないか。国際社会に認められる価値観を持つ日本は、中国にとって学習の対象であるため、意外にも中国人には、日本人にほめられるとうれしいという感情があるようだ。

(2015年12月16日に開催された政策研究会における発題を整理してまとめた)

政策レポート
富坂 聰 拓殖大学海外事情研究所教授
著者プロフィール
1964年、愛知県生まれ。1980年台湾で中国語を学習した後に中国留学。北京語言学院を経て北京大学中文系に進む。1988年同校中退。帰国後、『週刊ポスト』『週刊文春』記者を経て2002年フリージャーナリストとして独立。2014年現職。ノンフィクション作家。1994年、第一回21世紀国際ノンフィクション大賞(現在の小学館ノンフィクション大賞)優秀作を「龍の『伝人』たち」で受賞。主な著作に、 『中国という大難』 『中国の論点』『中国人民解放軍の内幕』『中国の地下経済』他多数。

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