人口減少社会日本の危機 ―少子化対策はどうあるべきか、「家族政策」の視点から―

人口減少社会日本の危機 ―少子化対策はどうあるべきか、「家族政策」の視点から―

2015年1月26日

日本の少子高齢化の特徴 

 私は内閣府に勤務していた時、少子化対策を2年半担当し、「少子化社会白書」の作成に携わった。最近、人口減少問題が改めてクローズアップされていることもあり、各方面から声をかけていただく機会が増えた。その際、「日本はなぜ少子化対策がうまくいかなかったのか」という疑問を提起される方が多い。
 まず少子高齢化の現状について、見てみたい。最初に「我が国の人口構造の推移と見通し」から説明したい。
 国勢調査が始まった1920年当時、日本の人口は5600万人であった。そこから人口は右肩上がりで増加した。第二次世界大戦で310万人が亡くなった影響でいったんは減少したが、戦後1940年代後半の第1次ベビーブームから増加し、1967年に1億人を突破した。
 しかし2010年の1億2800万人をピークに、ここ3、4年は毎年20万人ずつ減少し、「人口減少社会」がクローズアップされるようになった。
 実際には、私が内閣府に勤務していた2005年頃から人口減少は始まっており、すでに「人口減少社会に入った」と強調していた。ただ、公表される人口は総人口で、外国人居住者も含まれるため、2000年代は数字上、増減を繰り返していた。それが2010年以降は総人口も減少傾向が顕著になってきた。国立社会保障・人口問題研究所の予測では、2048年に1億人を下回り、2060年には9000万人を下回ると見られている。
 次に「高齢化の推移と将来推計」である。『高齢社会白書』によると、「高齢化率」(65歳以上人口の割合)は平成22年に23%、直近の平成25年には25%に達しており、世界トップ水準となっている。
 私が1980年代に『厚生白書』作成に携わった頃、すでに「4人に1人が高齢者になるということは『超高齢社会』である」と言っていた。しかし、実は高齢化はこれで終わらない。2060年には40%近くになると予測されている。10人に4人が高齢者という「超々高齢社会」とでも言うべき社会を迎えることになる。
 人口構成を見ると、「年少人口」(0~14歳)は終戦直後の時期は3割を占めていたが、急速に減少し、現在は20%以下となっている。「生産年齢人口」(15~64歳)も90年代がピークで、現在は減少期に入っている。
 これに対して、高齢者人口の増加は著しく、65歳以上は3000万人、後期高齢者人口(75歳以上)も急速に増えている。しかも2010年代後半には、後期高齢者が前期高齢者(65~74歳)の数を上回る。2060年には75歳以上が全人口の25%を超えると見られている。かつて65歳以上が25%を超えると「超高齢社会」と呼んでいたが、それがさらに進むわけである。
 ただ、最近は60代でも元気な人が多い。65歳以上を「高齢者」とする議論自体、実態に合わなくなっている。ヨーロッパでは介護保障政策の対象者と想定するのは、だいたい80歳以上である。日本でも高齢者は75歳以上で論じるほうが実態に合うのではないか。75歳以上が25%を超えるのが2060年である。
 高齢者介護の分野でも、20代の介護職員に面倒を見てもらうと考えるのではなく、元気な高齢者に見てもらうことも考えるべきである。施設で介護する人も60、70代という時代になると思われる。高齢者で動ける人は賃金労働でなくても、ボランティアや社会貢献など、社会を支える側に回っていけば、「超高齢社会」であっても悲観することはないと思う。
 次に、「日本の人口ピラミッドの変化」を見ると、日本の人口は第1次、第2次ベビーブームが2つの「こぶ」を作っており、世代別人口では現在も第1次ベビーブーム世代が最も多い。
 社会保障では、1960年代は現役世代10人で高齢者1人を支える「お神輿型」だった。それが、現在は3人で1人を支える「騎馬戦型」になっている。2060年はほぼ1対1の「肩車型」になる。ただ、これは社会のあり方を工夫することで改善できる可能性はある。
 日本の高齢化の特徴をまとめると、およそ次の3点になる。
 第1に、高齢化の進行がきわめて急速であること。「高齢化率」が7%を超えると「高齢化社会」、14%を超えると「高齢社会」と呼び、7%から14%になる年数を「倍化年数」という。「倍化年数」は、高齢化の進展を表す指針となっており、フランス、ドイツ、スウェーデンなどは「倍化年数」が50年~130年であったのに対して、日本は24年である。日本の高齢化は欧米と比較すると、極めて急速度に進んでいることが分かる。
 日本を追い越す勢いで高齢化が進んでいるのが韓国である。韓国の高齢化率はまだ14%に届いていないが、「倍化年数」は約18年間と予測されている。またシンガポールも急速に高齢化が進行しており、中国も日本並みの速さで進んでいくと言われている。
 第2に、高齢化の水準が高いこと。「高齢化率」は2050年には38.8%、5人に2人が65歳以上ということになる。全人口で年齢の高い方から数えて真ん中にあたる年齢を「中位年齢」というが、2050年には53.4歳となる。この時期になると50代でも「まだ若い」ということだ。
 第3に、人口減少社会における高齢化が進行していること。人口はすでに毎年20万人ずつ減少しており、今後は加速度的に減少、2030年以降は年間90万~100万人減っていく。その結果、2050年には1億人を割ると予測されている。
 現在の日本の人口は世界第10位だが、2050年には16位になる。2100年には人口が5000万人、3500年には1人になってしまうという。早急な対策が必要だということである。

少子化の直接的原因は、未婚化と晩婚化

 ここで「出生数及び合計特殊出生率の年次推移」を見てみたい。その年次の出生率で女性が子供を生むとして、1人の女性が一生に生むと見込まれる出生数を「合計特殊出生率」というが、第1次ベビーブームの頃は4.3、第2次ベビーブームでは2.14、昨年は1.43であった。「合計特殊出生率」が2.1で、人口を維持することができると言われている。
 過去最低は2005年の1.26である。人口学的には1.3未満を「超少子化」といい、1.3では3代で人口が激減してしまう。私が内閣府で仕事をしたのは、過去最低を記録した2005~2006年で、この時は低下傾向をいかに反転上昇させるかがテーマであった。
 では、少子化の原因は一体何か。直接的原因は、第1に「未婚化」の進行である。2010年の数値を見ると、男性は20代後半(25~29歳)で71.8%、30代前半(30~34歳)でも半数(47.3%)が独身である。1980年は各々55.1%、21.5%で、未婚の割合が急上昇していることが分かる。女性は1980年、20代後半でも未婚者は4分の1(24.0%)であった。それが2010年には60.3%。30代前半も9.1%から34.5%に急上昇した。
 さらに驚くべきことに、「生涯未婚率」(50歳時点で独身の割合)を見ると、男性は2010年で20%、5人に1人が結婚していない。女性も10%である。かつては男女とも5%以下だった。結婚しないということは、当然子供も生まれないということになる。
 直接的原因の第2は「晩婚化」の進行である。2010年の平均初婚年齢は夫30.8歳、妻29.2歳で、1980年より2~3歳上昇している。初婚年齢が遅くなると、晩産化が進むことになる。第1子の出産年齢は現在30.3歳だが、かつては26.4歳で、しかも30.6歳までに第3子まで産んでいた。現在は第2子を産むのが32.1歳。当然、子供の数は1~2人になるため、全体の子供数が少なくなる。

少子化の原因とその背景

 少子化の直接的原因は、以上のように未婚化と晩婚化の進行だが、その背景には様々な要因がある。私が『少子化社会白書』を担当した際に掲載した「少子化の原因及びその背景のフローチャート」から紹介したい。
 各種調査によると、若者が結婚しない理由として、例えば「良い相手にめぐり合わない」、「独身生活に利点がある」、「結婚資金がない」、「女性の就業率の高まり」、「結婚・出産の機会費用の増大」等がある。
 かつて「パラサイト・シングル」という言葉が流行したが、日本の若者は社会人になっても親と同居しているケースが多い。この場合、独身の方が経済的にも余裕があり、自由が利く。また、最近は雇用環境が一変して若者の非正規労働者が増加している。それで、結婚資金の不足や職業が安定していないことも理由にあがっている。
 次に、結婚後の「夫婦の出生力」を低下させる要因としては、「育児、教育コストの負担増」が圧倒的に大きい。子供が2人いると大学進学にかかる教育費の負担は非常に重い。その他、「仕事と子育ての両立の負担感」、「夫の育児の不参加」、その結果としての「妻の精神的・身体的負担の増大」がある。
 さらに「出産・子育ての機会費用の増大」。これは経済学の用語だが、出産して子育てに専念するために仕事を辞めると、仕事を辞めずに勤めていれば得られたであろう収入が得られなくなる。それが多額に上るということである。
 また、「核家族化の進展」、「家族の小規模化」、「育児の孤立」、「育児への不安」など、家族や地域の子育て力の低下という問題があげられている。
 「都道府県別合計特殊出生率(2012年)」を見てみると、全国では沖縄県が常にトップで、現在でも1.9ある。それでも日本に復帰した当時は3.0前後であったから、大きく低下しているのは確かである。最も低いのは東京で1.09、一時は1.0を下回っていた。
 全体的に首都圏、近畿圏が低く、西日本、日本海側(福井、石川など)が比較的高い。この7、8年は、地方自治体も少子化問題に強い関心を持っている。
 数値が低いと言っても、首都圏に子育て支援がないというわけではない。首都圏は職場が多く、独身で働いている女性がためである。地方では働く場所が限定され、共働きで、なおかつ祖父母が近くに住んでいるため支援を受けやすい。子育てしやすい環境にあるということだ。ただし、働く場所が限定されているため、東京の若い女性が地方に行けば出生率が上昇するというわけはない。やはり都市部における子育て支援、ワークライフバランスに力を入れることが重要である。
 このように日本の人口は減少傾向にあるが、地域によって差がある。わが国の人口動向は、大きく「3つの減少段階」を経て人口減少に至っており、大都市部、地方の中核都市、その他の地域の3つに分けることができる。
 第1段階は大都市部等で、年少人口が減少する一方、高齢人口は増加しているため、場合によっては人口が増える自治体もある。第2段階は地方の中核都市等で、高齢人口は維持されるが、年少人口の減少幅が激しいため全体の人口も減少する。第3段階は地方の山間部などその他の地域で、高齢人口も年少人口も共に減少するため、人口減少は顕著になる。大都市圏も、やがては第2段階、第3段階に進むことになる。

少子化の何が問題なのか

 では、少子化が進行した場合、何が問題なのか。私が内閣府で仕事をしていた当時、「少子化は問題ではない」という有識者や国会議員が多かった。日本は人口が多過ぎるために受験戦争や住宅地の高騰が起こる。1億人くらいが適正で、多少の減少は問題ないというのである。また、「少子化対策を講じても出生率を回復できない、無駄なお金を使うのは止めるべきだ」という有識者の声もあった。
 しかし、少子化が進めば以下のような問題が生じる。
 ①人口減少社会(時代)の到来。2030年以降には、毎年90~100万人の人口が減少する。世界人口の順位は、1950年5位、2005年10位、2050年には16位になる。人口減少が国力を低下させることは明らかである。
 ②社会的影響。世帯規模の縮小により、家庭基盤や家族基盤が弱体化する。また子供(兄弟)の減少は「個人力」の弱体化をもたらし、地域人口の減少は地域社会の活力を低下させる。「限界集落」という言葉があるが、地域の学校がなくなり、祭りなど地域の行事も消滅してしまう。
 ③経済的影響。人口が減少すると、生産年齢人口や消費支出が減少し、経済成長にマイナスの影響が出る。実際、地方ではすでに影響が出始めている。特に、2030年以降は労働力人口の減少が顕著になる。社会保障に対する現役世代の負担が増大し、社会保障制度の持続可能性に疑問符が付くことになる。
 厚労省で実務を担当した体験から言えば、こうした問題は制度を見直していけば、ある程度は改善することができることは確かである。しかし、若い世代が増えた方が望ましいのは間違いない。
 「日本創成会議」(座長:増田寛也・前岩手県知事)の発表「ストップ少子化・地方元気戦略」(2014年5月8日)が大きな注目を集めた。これは、自治体ごとに、女性の主たる出産年齢(20~39歳)人口について2010年から2040年の変化を予測し、そこから「消滅可能性自治体」を推定したものである。
 これによると、人口が5割以上減少する自治体が半数(896自治体)に達する他、3割から5割未満減も34.4%(619)、3割未満減も15.0%(269)に上る。特に5割以上減少するのは、5万人あるいは1万人未満の小規模自治体に多い。このため小規模地方自治体では非常に危機感が高まっている。
 国の政策は東京の様相に影響されるが、東京には若者が多いので、少子化と言ってもピンとこない面がある。しかし地方は限界集落、「消滅可能性自治体」など深刻な事態に陥っている。年間の出生数が数えるほどしかない自治体も増えている。そうした自治体では、「子供は地域社会の宝」として、子供を大事にしている。そうした意識が全国民に広がることが重要と思う。

わが国における少子化対策の歴史

 日本の少子化対策は、取り組みが始まってからすでに20年以上が経過している。
 人口統計調査が開始され、合計特殊出生率の算出が始まってからの最低記録は「丙午(ひのえうま)」にあたる1966年で、出生率は1.58まで下がった。1990年はそれをさらに下回り、出生率が史上最低の1.57になったことから「1.57ショック」と言われた。この頃から少子化問題が社会的に広く知られるようになった。
 対策として、1994年に今後10年間の基本的方向と重点施策を定めた「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」(エンゼルプラン)(文部、厚生、労働、建設の4大臣合意)が策定され、改定を重ねた。2003年には少子化社会対策基本法や次世代育成支援対策推進法が制定された。その後も対策は打ち出されたが、合計特殊出生率は右肩下がりで、効果がなかった。
 私が内閣府に在籍していた2004年~2006年、新しい少子化対策の策定作業に携わった。2006年に初めて合計特殊出生率が反転上昇し、現在は1.43まで回復している。当時、猪口邦子・少子化担当大臣の下で新しい少子化対策を進め、社会的にも発信力があり、「政府も少子化対策に力を入れている」という雰囲気作りが影響したのだと思う。児童手当が上がる前だったが、結婚件数も増えた。この頃は、第2次ベビーブーム世代が出産する最後のほうでもあった。
 私が担当していた2006年頃は1.5程度まではすぐに戻ると考えていたが、様々な課題に直面し、結局は緩やかな伸びに止まった。それでも伸びたことをよしとしたい。
 これまで政府が取り組んできた主な少子化対策をあげてみると、かなり幅広いことが分かる。
 1つは、結婚促進(婚活)、出会いの場の設定などである。私がいた頃は「政府がそういう事を行うのはおかしい」という声があったが、最近は内閣府でもこうした動きを支援している。
 2つ目は妊娠、出産支援。健康診断負担軽減や出産育児一時金の充実、不妊治療への助成などで、健康診断負担軽減は、私が担当していた2006年に制度化した。それまで制度化していなかったこと自体がおかしいと思う。
 この他、保育サービス、地域の子育て支援、経済的支援(児童手当の拡充、幼稚園費・保育料の負担軽減、奨学金制度の充実)、それからワークライフバランス(両立支援策の充実)、意識改革(普及啓発事業、家族の日・週間)、若者の就労支援(雇用拡大、職業訓練の充実等=未婚者の結婚促進、若者の所得保障のため)、まちづくり、家族法制の見直し(夫婦別姓、非嫡出子の差別撤廃)などがある。

少子化対策が成果を上げることのできなかった理由

 では、なぜ一連の少子化対策は成果を上げることができなかったのか。
 第1に、90年代は楽観的であったということである。年次推移を見ると、1990年代から2000年代前半、出生数自体は増減を繰り返している。合計特殊出生率は低下していたが、出生数は120万人前後で推移していたため、それほど危機感が強くなかった。
 例えば、1994年の出生数は前年より大幅に増えている。学問的に証明されているわけではないが、少子化対策に携わってきた私の勘では、これは前年の皇太子ご成婚が大きく影響しており、その翌年に出産が増えたのだと思う。全体的に見て、結婚は「おめでたい」時にしようとする傾向がある。2000年も出生数が増えているが、これはいわゆる「ミレニアムベイビー」である。
 この頃は誰もが「第3次ベビーブーム」を予測し、国立社会保障・人口問題研究所の人口推計でも90年後半から上昇すると予測していた。しかし、その予測はことごとく外れた。
 実は90年代前半、少子化問題への対策として当時の厚生大臣が「赤ちゃんを産むことが楽しいという歌をつくろう」と発案された。そこで「赤ちゃんの歌」委員会を作り、実際に歌を発表した。当時の「厚生白書」にも掲載されている。それを人気グループのゴダイゴに歌ってもらった。この歌はすぐに忘れ去られたが、それ位、少子化に対して楽観的だった。また、「エンゼルプラン」は保育所の整備のみにとどまり、不十分だったことがある。
 第2は、90年代末になって危機感が高まったが、不十分な歩みであったということだ。
 当時の世論調査では「経済的支援の拡充」の要望が強くあったが、財政的制約もあり支援を拡充できなかった。児童手当拡充に対しても、当時の大蔵省の縛りが強く、なかなか実現できなかった。予算上の制約から新規施策にはきわめて消極的という事情もあった。
 日本は、「教育」と「育児」にお金をかけていない。それは、戦後特段の支援がなくても、ベビーブームで子供が増えたからだと思う。昭和30年頃の「厚生白書」のテーマは「日本は人口爆発に耐えられるか」だった。逆に、家族計画に政府をあげて取り組んでいた。
 何もしなくても子供は生まれ、育児支援も必要なかった。保育所は整備されたが、それ以外のことをしなくても子供は育った。教育も、親は教育熱心だから、公的に特別のことをしなくても教育できた。そういう体験が強く残っているからだと思われる。
 しかし実際には、高度経済成長後の80年代あたりから国は様変わりし、家族形態も変化した。それに合わせた政策を早く打つべきだったが、少子化対策ものんびり構えて、すべてが後手に回ってしまったと言える。
 第3に、官僚主導で中央省庁中心のプラン作成であったということ。現行施策にとらわれがちで、中央省庁が各々関連ある政策を集めてくる「寄せ集め政策」になりがちであった。
 少子化対策は全省庁が持ち寄る形になるため、少子化対策に少しでも関係がありそうなものは、予算を取れるだろうと何でも入れてくる。本当に意味のある政策以外も入ってしまうという政策の作り方の問題があった。
 一番典型的なのは、学校週5日制まで少子化対策に入っていた。児童の健全育成ということであれば週5日制を入れる意味があるかもしれないが、少子化対策という観点では少し違うのではないか。このように、少しでも関係があると入れようとする結果、全体として国民にインパクトのある政策が出てこなかった。また、必ずしも子育て家庭のニーズに応えるものとはならなかった。
 少子化対策が成果を上げることができなかったのは、以上のような問題とともに、構造的問題がある。
 少子化対策は、誰でも発言できる問題であるが故に、様々な議論が出され、政策担当者の個人的経験、世代間のニーズや認識のギャップが、要望や施策の拡充を阻む壁になりがちである。私が担当していた時代も、60代以上の国会議員は少子化対策を評価せず、保育所の存在にも疑問を投げかけていた。「保育所は『育児の外部化』であって、自分たちの親は保育所などに預けず、子供を4人も5人も育てた」と。少子化対策がかえって少子化を進めているのではないか、という声さえあった。
 しかし、その当時の親も子供をきちんと育てていた訳ではない。昔は農村社会で親も忙しく、むしろ長男長女が一番下の子を育てたり、あるいは地域で育てたりすることが普通に行われていた。それでうまくいっていた。現在のような核家族、都市化が進んだ社会とは全く違う。そのあたりはなかなか理解していただけなかった。
 また、「メニューは出そろっている」「効果あるものを実施すべき」といった意見が、結果的に支援の拡充を阻害したところがあった。「子育ては家庭の責任と負担で」という意識の強さ等もあった。児童手当の拡充については「ばらまき福祉」の批判が強かった。

不十分な子育て支援

 こうした結果、子育て支援は不十分な状態である。
 第1に、手薄な経済的支援(低水準、狭い対象範囲、所得制限つきの児童手当、出産費用や保育費用への支援策の乏しさ)の反面、教育費は依然として高負担である。
 児童手当は子ども手当を経て拡充されたが、学校教育費の負担軽減はまだまだ十分とは言えない。高校の授業料無償化は導入されたが、現在の問題は大学の奨学金にあると思う。5割以上の学生が受けているが、基本的には貸与制であって、実際は借金である。政府は「留学生を10万人受け入れる」という目標のもと、外国からの留学生には給与制にして奨学金を支給している。日本の学生にも給付型奨学金を充実させるべきである。これも検討課題である。
 もう1つは、乳幼児期の育児負担軽減。下村博文文科相は、幼児教育の無償化に力を入れている。5歳までの幼稚園、保育園費を無料にしようというもので、これには7000億円の財源が必要となる。私見だが、この無償化措置はおかしいと思う。本来は、学校教育の就学年齢を1歳引き下げて、5歳入学にするのが政策の本筋ではないか。いずれにしても、財源確保の問題がある。
 第2に、保育サービスの拡充策も遅れている。「待機児童ゼロ作戦」を最初に言ったのは2002年の小泉内閣であった。それから10年以上言われている。これは1年以内に解消すべきであろう。
 保育所の問題については、認可外保育所利用者への支援策の乏しさ、あるいは学童保育(放課後児童クラブ)の整備の遅れなどの課題がある。
 第3に、両立支援策が進んでいないという問題がある。育児休業の取得率は、女性は8割だが、男性は1~2%で、依然として低い水準にある。政府目標は10%にこれを引き上げることである。育児休業制度が導入されてから約20年経過したが、この低水準はなかなか上昇しない。ワークライフバランスがかけ声だけになっており、これが大きな課題である。
 日本のワークライフバランスについて言えば、ここ数年、政府ではワークライフバランス憲章をつくり、企業も次世代育成支援対策推進法に基づいて従業員の育児休業取得推進や、事業所内保育所の設置等を進めている。基本的に仕事と育児の両立ということであるから、個々の施策の積み上げだと思う。
 育児休業の取得率が原因については、詳細な分析がなされている。原因として大きいのは育児休業給付金である。スウェーデンでは給与の80%、手取り収入としては仕事をしている時とほとんど変わらない。なおかつ「パパ・クォータ」という男性だけが取れる3カ月の育休もある。育休を取らないと損だということで、多くの国民が取得する。
 日本では育休の手当は5割である。今年から最初の半年を3分の2に引き上げたが、共働き家庭では多くは男性の収入の方が多いため、女性が育休を取った方が世帯収入の減少幅が少ない。そのため、男性の取得が進まないのである。
 育休取得率をもっと上げるには、男性だけの育休期間創設や、育休給付金の引き上げが必要になってくる。そうした取り組みも遅々として進まなかった。
 また、生まれてくる赤ちゃんは約100万人だが、育休を取っているのは20万人台に留まっている。育休を取っていないのは、育休を取れないパートの人に多い。女性の場合、5割はフルタイムだが、5割は非正規で育休を取れないために、出産すると仕事を辞めてしまう。パートの処遇改善、併せてパートのための育休制度の政策等が必要である。このように個々に見ていくと、改善すべき点が多い。背景として、社会全体の意識改革が求められる。
 ワークライフバランスが「子育て世帯のためだけ」となると、それ以外の人たちには無関係となり、ワークライフバランスを進めようという力が弱くなる。男性の働き過ぎの改善などを含めて、全世代の課題にする必要がある。内閣府にいる時、スウェーデンとフランス、日本のサラリーマンの帰宅時間を調査したことがある。スウェーデンでは午後6時には帰宅している。フランスが7時から8時、日本は9時以降である。そうしたところから変えていくように働きかけなければならない。

専業主婦家庭への支援策も必要

 ワークライフバランスの推進と併せて、専業主婦家庭に対する支援策も重要である。現在、5、6割の人が第1子出産後に仕事を辞めている。その際、ワークライフバランスがうまくいっていないのではないかという議論になりがちだが、私は別の要素もあると考えている。
 明治安田生命生活福祉研究所が既婚者に行った調査(2009年)によると、「出産後に仕事をやめた理由」について、「子育てをしながら仕事を続けることが大変」(58.1%)という回答の一方で、「子どもを大事に育てたいから」(30.2%)、「家庭を大事にしたいから」(26.4%)、「子育てに専念したいから」(25.8%)といった意見も強い。
 その意味では、ワークライフバランスの推進だけでなく、併せて専業主婦家庭に対する支援策も重要である。実は、専業主婦家庭に対する社会的支援は未だに少ないのが実情だ。児童手当は共働き世帯にも支給されるし、保育所は共働き世帯向けのものである。子供を家庭で育てたいと考えている人たちをいかに支援するかが重要である。
 ここで指摘しておきたいのは、社会保障給付費の推移である。高齢者関係給付費と児童・家庭関係給付費の推移を比較してみると、日本の社会保障は圧倒的に高齢者に偏っている。現在の100兆円のうち約7割が高齢者、具体的には年金、医療、介護に振り向けられ、児童・家族関係、児童手当や保育所補助などだが4%に過ぎない。現状は高齢化対策に関心が強く、少子化対策は後回しになっている。
 高齢向け支出の半分は年金30数兆円である。それと医療が15~20兆円。この2つが多くを占めている。これを児童・家族関係に振り向けるのは政策的には難しく、むしろ児童・家族関係の費用を政策で増やすことが必要であろう。
 また、各国の家族関係社会支出の対GDP比を見ると、日本は家族関係に関する社会的支出が少ない。児童・家族関係、就学児の教育費などがあるが、日本は児童手当を引き上げた後でも1.04%である。アメリカはもともと社会保障制度が不十分であるので国の支出は低い。カナダは日本と同程度。イタリアやドイツは出生率は日本並みだが、家族関係の支出は1.45%、1.88%である。フランス、スウェーデン、イギリスは3%を超えている。日本はまだまだ「家族政策」が不十分と言える。

欧米の少子化対策の特徴

 次に、主な国の合計特殊出生率の動きを見ておきたい。日本は第1次ベビーブームの時期に4.0近くあったが、その後低下していく。ドイツ、イタリアも似た動きである。くしくも第2次大戦の敗戦国と重なる。高い国を見ると、アメリカは2.0前後で推移している。フランスは今ベビーブームで2.0。スウェーデンは増減があるが2.0近くまで行っている。
 いずれも戦争直後は高水準だったが、80年代にいったん低下し、その後は国により分かれている。その意味で、他国の政策も参考になるだろう。
 では、欧米の家族政策の特徴は何か。フランスの特徴は、手厚くきめ細かな経済的支援である。児童手当など家族手当の種類が20種類くらいある。日本で言う児童手当以外に、乳幼児手当、新学期の文房具手当、ベビーシッター雇用の手当等がある。また、保育所以外にも保育ママとして幼児を自宅で3~4人見るという職業がある。利用者もいろいろなサービスを選択できる。
 スウェーデンは男女共同参画による育児ということで、育児休業取得率が高い。男女共8割を超えている。スウェーデンの場合、子どもは1歳半までは親が育てる。ただし育児休業は必ず取る。男性だけが取れる育児休暇(パパ・クォータ)もある。そして1歳半からは全員保育所に預けるというパターンである。
 ゆえに日本のようなゼロ歳児保育はなく、待機児童問題もない。日本はゼロ歳児保育で高額の費用がかかるし、ゼロ歳児保育が不足しているため待機児童が多くなっている。スウェーデンはゼロ歳児は親が育てるため、そのような悩みはない。経済的支援も手厚く、児童手当の水準も高い。また教育費が安い。大学までの教育費は無償に近い。
 イギリスは、ブレア政権の時代からワークライフバランスを推進している。ただ、イギリスのワークライフバランスは子育て支援ではなく、全年齢を対象にしたものである。日本では子育て支援だけに矮小化されているきらいがあるが、あくまで全年代の男女の働き方の見直しである。
 ドイツは、もともと家族給付が手厚かったが、保育サービスは不十分だった。「3歳児神話」が根強く、小さい時は親が育てるものだと考えられてきた。学校給食もなく、昼食は家に帰って食べるという時代もあった。現在のメルケル首相になって、ここ数年は保育所の充実に力を入れている。育児休業制度も改善している。
 アメリカは、社会保障制度としては見るべきものはほとんどない。給与の安い中南米のベビーシッターを雇うなど自助努力と民間サービスの充実を図ってきた。
 よくアメリカは多民族国家だから出生率が高いのではないかと言われる。確かスパニッシュなど高いが、実は白人も出生率は高い。これはカソリックの影響ではないかと思われる。基本的に子供に恵まれたら妊娠中絶しないという考えである。妊娠中絶の是非が大統領選挙の争点になるのも同様の理由ではないか。

日本に欠如している「家族政策」の視点

 日本とヨーロッパの政策を比較すると、決定的な違いがある。日本では「少子化対策」「子ども・子育て支援」と呼んでいるが、ヨーロッパでは「家族政策」(Family Policy)という視点で政策を進めているということだ。「少子化対策」「子ども・子育て支援」では、社会の一部の人しか関係していないというイメージがある。そうではなく、日本も本来「家族政策」として捉えるべきではないか。
 日本で「家族政策」という視点が欠如しているのは、1つは政策面で「家族」をタブー視してきた歴史があるからだ。厚生労働省に「児童家庭局(現在は児童家庭雇用均等局)」を創設したが、「家族」という言葉は使っていない。戦前の「家制度」を思い起こすという理由から、「家族」という言葉は戦後タブー視され、政府で政策に「家族」という言葉を使うことを遠慮していた時代が続いた。
 実は、GHQが作成した日本国憲法の原案には「家族」という言葉があった。「家族は人類共通の社会の基本である」といった意味の文言があった。それが残っていればよかったと思うが、その後「このような文言は法的効果も意味もない」として、削除されてしまった。しかし、他国の憲法には「家族」のことを謳ったものが少なくない。日本では「家族」が削除された結果、子供のみ、親のみにとらわれた政策が立案され、政策に社会的広がりがない。
 また、現在は「家族の絆」の大切さだという国民意識が高まっている一方、「個人」を重視し、社会保障も「個人」を基盤にした政策に傾斜している。「家族を対象にするのは古い」という有識者の意見が以前からあることも影響している。
 「家族政策」の視点としては、多様な家族を前提にした政策が必要であると思う。現在は、いわゆる標準家庭(夫婦、子ども2人)が減り、三世代家庭も減少している。一方でひとり親家族(母子家庭、父子家庭)が増えている。家族の形は選択の結果だが、それを前提にした支援策が必要である。
 税制面の配慮も必要だ。配偶者控除をめぐる議論は、まさにそうで、配偶者控除は専業主婦優遇策だというのは、後で述べるように全く違っている。それから、私が内閣府にいた時からの考えだが、「家族省」の創設を主張したい。海外ではドイツ、韓国にある。決しておかしな案ではないのだが、日本では厚労省、文科省で政策が分断されていて1つにしにくいところがある。

家族を基礎とした総合的政策を

 こうした状況を踏まえて、望ましい政策として、次のような内容が重要である。
 第1に「政策目標の設定」である。その点、安倍内閣が「2050年に人口1億人程度の維持」を掲げたことは評価したい。ただ、出生率がこのまま推移しても2050年は9000万人台であり、一見1億人前後を維持しているように見える。重要なのは1億人を維持し続けるということである。それには2030年頃に合計特殊出生率を2.1程度に回復しなければならないが、これはかなりハードルが高い。
 今の時点で「2050年に人口1億人程度の維持」を掲げても、目標値としてはあまり意味がないように思える。できれば合計特殊出生率を目標にしてはどうか。OECD並みの1.7~1.8。また各種の調査によると、日本の夫婦が希望する子ども数から見て必要な出生率は1.8である。この程度であれば手に届く目標である。こうした具体的目標値を設定すれば、政策評価もできる。
 第2に「単品ではなく総合的政策の展開」である。
 民主党政権時代の子ども手当は評価すべき政策だったと思うが、残念ながら民主党は少子化対策と位置づけず、マニフェストの4本柱の1つに過ぎなかった。他の政策と一緒に合わせていけば、出生率はもっと回復した可能性がある。
 まず、年齢別に切れ目のない政策が重要である。例えば2006年の政策の「こんにちは赤ちゃん事業」は、赤ちゃんが生まれたら各自治体は4カ月以内に家庭訪問して、赤ちゃんと親の状態をチェックするというものだ。これを発展させればフィンランドのネウボラのような、自治体による子育て家庭へのよろず相談のようなものになる。これを生まれてから成長するまで行う。
 次に、若い世代への支援策としては、経済的支援などが重要である。また、ワークライフバランスは全世代対応にする。子どもがいる世代だけを対象にしても、結局は動かない。育児休業が浸透しないのは、50代の課長が承認しないからである。50代が子育てをしていた頃は、ほとんど妻任せで男性の育児休暇もなかった。ゆえに育児休暇取得には理解があまりない。そこで全世代、50代の多忙な人も仕事と家庭を両立させるようにすべきである。
 それから、「産みやすい、育てやすい」という雰囲気づくりが重要である。雰囲気はその社会に影響を与える。先ほどお話しした皇太子のご成婚などそうである。そして、家族を基礎とした総合的政策を展開する。

配偶者控除廃止は単なる「増税」

 最後に、配偶者控除をめぐる議論で大きな誤解があることを指摘しておきたい。廃止は単なる増税に過ぎないということである。
 読売新聞(2014年9月24日付け)の記事、「配偶者控除をめぐる論点スペシャル」に、私と大澤真理・東京大学教授の意見が掲載されている。この中で大澤氏は「配偶者控除は問題だらけだ」と述べている。例えば、「内助の功を評価したものだ」「専業主婦優遇策だ」「女性の社会進出を妨げている」「103万円の壁」「女性の多様な生き方を阻害している」等々。私に言わせれば、それらは全て誤解か、為にする議論である。
 配偶者控除は1961年に「扶養控除」から独立してつくられたものだ。当時は扶養控除の額より高く、内助の功と評価された。現在は扶養控除と同額の38万円なので、優遇というわけではない。
 配偶者控除は妻の所得が38万円以下であれば、夫は38万円の所得控除が受けられる。あくまで控除であるから、金額で言えば税率が10%であれば3.8万円である。控除の額自体、それほど大きな額ではない。給与所得であれば、給与所得控除の65万円とあわせて、妻の年収が103万円以下であれば、夫は配偶者控除を受けることができる。
 ところで妻の年収が103円を超えると、超えた分に所得税がかかり、夫は配偶者控除を受けることができなくなる。このため、世帯収入はかえって減少してしまう。そこで、103万円以下となるよう労働時間を調整する。これを「103万円の壁」と言っている。しかし、1987年に配偶者特別控除ができた。103万円の超えても、141万円未満であれば配偶者特別控除を受けることができるようになった。収入が103万円を超えると課税されるが、配偶者特別控除により世帯収入は減らないようになっている。
 専業主婦優遇論が出てきたのは90年代からで、それまでは専業主婦世帯が圧倒的に多かった。90年代に共働き世帯が増えて専業主婦世帯を逆転したことにより、共働きの人たちから見て不公平だとの声が出て、議論になっているのである。
 実際には、配偶者控除は扶養控除と同額である。これは税の公平性を保つためだ。税の基礎控除38万円、これは働いている人は全て受けることができる。しかし収入のない人は受けることができない。「基礎控除」とは、憲法25条に定められた「生存権の保障」のために必要な額には課税しないという趣旨である。しかし専業主婦はそれを受けることができないため、夫に代替しているのである。つまり、専業主婦を格段優遇しているわけではない。大学生以下の子どもの扶養控除も同じ発想である。
 また、「103万円の壁」と言うが、パート女性で就業調整をしている人は実際には2割しかいない。それ以外は、時間が許す限り働くというスタンスの人たちである。逆に、働きたい人は「103万円の壁」に関わらず働いているわけで、それほど大きな壁になっているわけではない。
 むしろ重要なのは、仕事育児両立支援とパートの処遇改善である。もし、このまま配偶者控除を廃止すれば、単なる増税である。その影響は1000万世帯に及ぶ。私は安倍内閣の成長戦略を全般的には評価しているが、この部分は理解できない。財務省に騙されているのではないかとさえ思っている。

(「21世紀ビジョンの会」2014年11月5日発表より)

政策オピニオン
増田 雅暢 岡山県立大学保健福祉学部教授、元内閣府参事官(少子化対策担当)
著者プロフィール
東京大学教養学部卒業。シラキュース大学大学院(政治学)留学。厚生省に入省後、主として企画法令関係の業務を担当。九州大学法学部助教授、国立社会保障 ・人口問題研究所総合企画部長、厚生労働省統計情報部情報企画室長等を経て、内閣府参事官として政府の少子化対策を担当、平成一六年版から3年続けて少子化社会白書を作成。その後、上智大学教授等を経て、2011年8月より現職。著書『逐条解説介護保険法』『これでいいのか少子化対策』『新・社会福祉士養成講座 社会保障』(編共著)など多数。

関連記事

  • 2019年6月7日 家庭基盤充実

    「性的指向は変化する」ことを示したアメリカの研究

  • 2015年10月1日 家庭基盤充実

    家族保護のための民法改正への提言 ―家族保護のための民法改正への提言―

  • 2020年3月24日 家庭基盤充実

    子供の問題行動と夫婦関係の媒介要因

  • 2019年10月25日 家庭基盤充実

    家族療法による家族力再生への提言 ―深刻化する子どもの養育環境問題―

  • 2019年9月19日 家庭基盤充実

    親教育に見る養育力向上の可能性

  • 2018年9月3日 家庭基盤充実

    児童虐待死の防止をめざした「子育て共同参画社会」づくり ―虐待死児童の無念さを受け止めて―